その2 赤い糸
世の中には信じられないことがままあるもので、それが好ましい人との縁の場合、運命の赤い糸と言ってみたりする。
ところで、赤い糸とは一体何だろう? 本当にそんなものがあるのだろうか?
不思議で仕方がなかったロマンチストの秋山本純は、元旦の夜、疑問に思いながら、ほろ酔い加減で床に就いた。
その夜遅く、秋山の枕元に気配もなく立つ老人がいた。
老人は音だけでなく影も薄く、もっとしっかり見ようと思って目を凝らすと、かえってぼやけてしまう。
怖くなった秋山はぎゅっと目を閉じた。
するとどうだろう? くっきりと見えるではないか!?
「お前は一体誰なんだ!?」
秋山は思わず叫んでいた。
「フフッ。そう興奮しなくてもいい。お前が知りたがるから出て来てやったんじゃないかぁ~」
老人が面白そうに言った。
「それでは、もしかしたらあなたは運命の赤い糸の?」
「そう。赤い糸担当の神様じゃよぉ!」
「それじゃあ赤い糸って本当にあるんですかぁ~? でも、自分から神様だなんて、何だか怪しいなあ・・・」
「疑り深い奴じゃなあ。でも、まあいい。初夢だから大サービスじゃ。特別に教えてやろう。本当はなあ、運命の人とは本当の恋をしたときだけに見える無数の糸で繋がっておる。ひとつ物を覚える毎にその糸が1本ずつ切れて、段々自立し、大人になって行くわけじゃ。赤い糸が最後に残っている1本で、これが見えた人には印象深いだけのことじゃろうなあ・・・」
「と言うことは、物を覚え過ぎて、本当の恋を覚える前に赤い糸まで切れてしまった人は?」
「そう。賢くはなるが、残念ながら運命の人とは永遠に出会うことが出来なくなり、寂しい人生を送ることになるんじゃろうなあ。フフッ」
「ええっ!? そんなぁ~!」
秋山が叫んで飛び起きたときには老人はもう何処にもいなかった。
恋すれば仄かに見える赤い糸
切れないように静かに引かん
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これは以前ここに上げた「青い光」と同じ時期、15年前頃に書き、その時にいた職場の同僚に見せたものである。
人にとって物を覚え、知識を増やして行くのは喜ばしいことであるが、反面、それまで持っていた一般的な動物が持つと言われる勘が鈍くなって行くことでもある。
言葉を覚えるにしたがって奇声を上げたりすることが収まり、落ち着き始めるが、感じ取る力が弱まり、普通の人になって行く子どものように。
我が子等にもそんなことを感じていた時期であった。
そして恋とは人間に忘れがちであった動物であることを思い出させてくれる行為でもある。
当然勘も鋭くなっている。
あまりに人間であることにどっぷり浸かり、小賢しくなってしまうと、その恋をする機会さえも失われてしまうのではないか!?
と言うことを冗談めかして書いたんだろう。多分。
それはまあともかく、人間が考え出した時間をお金を惜しむあまりに自分勝手な性愛に終始し、真っ当な恋愛を忘れたくないものだなあ。フフッ。
時間金大事にし過ぎ
真っ当な恋を避ければ味気ないかも
勿論、真っ当な恋愛=結婚、なんてことを言う気はない。
結婚も所詮は人間が考え出した制度、契約であり、打算的な面も少なからず含んでいる。
時代、場所によって大きく変化して当然のことであろう。