第2章
通学路思わせ振りに待っており
自信無さ故避けていたかも
その頃川端浩二の通う北河内高校では体育館を建て替えをしていたので、その間、浩二の所属する柔道部には道場が無くなり、運動場の端にある砂場でトレーニングをしていた。
或る日のこと、仲間の安城透と運動場に描いた1週300mのトラックを走っていると、斜め前方からソフトボールが転がって来た。
少し前方を走っていた安城が、目の前を通り過ぎようとするボールを身軽に拾い上げ、転がって来た方に向かって投げ返す。
それは女子ソフトボールの部員たちであった。その中の目立って可愛いひとりが目を凝らして、
「有り難う。健さん!?」
はにかみながら上目遣いで確かめ、
「違うね。ご免なさい・・・」
勝手に否定し、恥ずかしそうに去って行く。
どうやら大野恵子のようであった。
目が悪く、練習中は眼鏡を外していたので、浩二は彼女が見慣れないユニフォーム姿であった所為か? 直ぐには気付かなかった。
《それにしても恵子はどうして僕のニックネームを嬉しそうに呼び、間違いと分かると、あんなに恥ずかしそうにしていたんやろぉ~?》
それから浩二は恵子のことを強く意識するようになった。
どうやら恵子が自分に好意を持っているらしいと思っただけで、硬くなってしまい、身体の自由が利かなくなってしまうんだから可笑しい。
恵子は昭和の時代に明治生まれかとも思える時代遅れな朴訥さを残した浩二のぎこちない態度が酷く可笑しく、また、自分の好意を意識していることが嬉しかったらしく、前より積極的な態度を見せるようになった。
たとえば席替えのときのこと。係りであった恵子はくじを入れる容器として浩二に学生帽を借りに来るようになった。浩二は恥ずかしくて堪らなかったが、何だか嬉しく、それまで毎日は被っていなかった学生帽を忘れないように意識するようになった。そして2週間に1度の席替えが待ち遠しく仕方がなくなった。
そして恵子の席は不思議に、何時も川端の近くに決まる。
冷静に考えれば不思議でも何でもないことが、浩二には運命的に思えるんだから可笑しかった。
更に浩二が恵子の視線を意識し過ぎるようになって来ると、恵子の席は浩二の視線があまり向かなくても済む方向で、しかも浩二の直ぐ近くになる。
そこまで作為的になると、流石の浩二でも気付いたが、そうするとあまりに健気で何も言えなくなっなていた。
しかし、そんな恵子もうじうじした浩二の態度にもどかしさを感じ始めたようで、更にはっきりした態度を見せるようになる。
或るときのこと、恵子のキラキラ光る強い視線を感じた浩二は思わず目を伏せ、固まったまま何も出来なくなった。
それから数日後のこと、クラブを終えた浩二が友だちの三室啓二と一緒に最寄りの北河内駅に向かって歩いていると、曲がり角に恵子が友だちの前原美津江と一緒に通せんぼするような感じで立っていた。
浩二は恵子の気持ちを十分に感じていながら、応えることが出来ず、気付かない振りをして通り過ぎる。
恵子はそれを無理矢理振り向かせるには幼過ぎた。
少し離れてから三室がおもむろに聞く。
「なあ川端。あれぇ、お前のことを待ってたんとちゃうん!?」
しかし、浩二は何も答えることが出来なかった。
三室も恋をするには幼く、それ以上何も言わなかった。
「久保先輩、どうこれっ!? 高校時代に好きになった子のことを思い出しながら書いてみたんやけど、可愛いと思わへんかぁ~?」
「ハハハ。自分で言うててどないするねん。そんなん、ただの根性なしやっただけやないかぁ~!?」
「きついなあ・・・。そりゃ先輩は卒業して直ぐに結婚したぐらいやから、大学時代はさぞかしブイブイ言わしてたんやろなあ? もしかしたら高校時代にも色んな子と・・・」
「な、何言うんやぁ~!? そんなことしてへんよ。俺は高校時代から女房一筋、一途なもんやぁ。これ、女房も読むかも知れんねんでぇ~。思い付きでええ加減なこと書かんといてやぁ~」
「そやけどぉ~、前に、両手に花やぁ、なんて自慢してたやん・・・」
「あれはやなあ、小学校のときの話やぁ~。何も知らん頃のことやでぇ~」
「それでも、高校時代からしっかり彼女がいたんやから、ええやん!? そやから持てへん奴の気持ちなんか分からへんのやぁ~」
「ああ分からへんよぉ。そんなもん分かりたくもないわぁ~」
「あっ、居直ったなぁ~!?」
「ハハハ、冗談、冗談」
「本当かなあ?」
「本当やてぇ~。そやからその続き言うてみぃ」
「続きぃ? 俺、何処まで話したかなあ?」
「ハハハ。最近えらい忘れっぽなったなあ。もう年やでぇ~。高校時代に可愛い恋をしていたという話やぁ~」
「そうやった、そうやった。可愛い子に自分が意識されていることに気付いて、逆に此方が意識し過ぎるようになってしもたんや」
「君は今でもそんなところがあるなあ。そんなん、助平なことを期待し過ぎて焦るからやと思うでぇ~」
「えっ、そうなんかなあ? それって、ちょっと言い過ぎちゃうかぁ~!?」
「いや、ちょっと露骨に言うただけで、意外と本当のことやでぇ~」
「いや、やっぱり違う! 俺は感じ易いだけなんやぁ~。何もいやらしいことを考えているわけやあらへん。声を聞くだけでも、同じ教室にいるだけでも十分に幸せやったんやから・・・」
「フフッ。そんなん本当かなあ? 夢の中で裸にしたり、想像しながらちんぽこ握り締めたりしてなかったんかぁ~?」
「な、何を言うんやぁ!?」
「君こそ、何を言うんやぁ、やぁ~。ええ年してぇ、そんな韓国ドラマみたいな綺麗事言うてたらいかんわぁ~。どうせ小説を書くんやったら、もっと現実を見なあかん!」
「そうやけどなあ、そんなとこにわざわざ触れんでもええやろぉ~。人間、どんな美男美女でもうんこもすれば、おしっこもする。でも、そんなとこにわざわざ触れんでもええと思うけどなあ・・・」
「ハハハ。それが君の甘いとこやぁ~」
「そうかなあ?」
「そうやでぇ~。現実を見て、それを乗り越えてこそ美しい世界があるぅ!」
「まあな・・・。大人の美しさはそうなんかも知れんけどぉ、俺は渡辺淳一みたいな好色文学を書きたいわけやない。仮初めの世界かも知れんけどぉ、未だ手前で彷徨っている青春文学を書きたいんやぁ・・・。大体やなあ。今は早く経験し過ぎる。手間で彷徨っていてこそ見える世界もある。知らないからこそ見えることもあるんやぁ!」
「フフッ。何やえらい力が入っているなあ。フフフッ」