第2章 交換日記 (その2)
夕食後、兄の浩一と一緒に使っている部屋に入った藤沢慎二は、鞄の中からおもむろに交換日記を取り出した。
浩一は父親と一緒に阪神対巨人戦を楽しんでいる。今だったら誰の目にも触れないだろう・・・。
別に悪いことをしているわけではないが、何処か自分の気持ちに嘘を吐いている部分があるのを感じているか゚ら、自慢げに見せる気にもならない。
藤沢君へ
交換日記をしてくれると聞いて、とてもうれしかったです。これからよろしくお願いします。
さて、こんな場合いったい何を書けばいいのかなあ? よくわからないから、とりあえず自己紹介をしますね。
私の家族は父、母、妹、それに猫が2匹います。趣味は音楽鑑賞と編み物です。得意な科目は体育、音楽、家庭です。藤沢君と違って主要5教科はよくわかりません。また教えてくださいね。
将来の夢は看護婦さん(その頃は看護師とは言わなかった)になることです。小学校のときに入院したことがあり、そのときの看護婦さんが優しく、天使のように思えました。私も大きくなったら彼女のように病気や怪我で入院している人たちの役に立てればと思ったのです。藤沢君の将来の夢は何ですか?
それではお返事を楽しみにしています。
邦子
こんなに沢山、一体何時の間に書いたのだろう? 明美らに交換日記の申し込みを伝えられてから暫らくの間ぼんやりしていたとは言え、あんなに短い間にこれだけのことを書いたのだろうか? それにしては字も綺麗だし、文章もそれなりに纏まっている。
そうかぁ~! 交換日記を引き受けるものとして初めから用意していたのだなあ!? そう考えると、ちょっと白けるような気もする・・・。
慎二は邦子の、今日に期待し、前もって用意していた乙女心の健気さは少しも理解しようとせず、粗探しばかりしていた。
それには、実は慎二なりの深いわけがある。慎二が本当に好きな子は別にいた。1年生のときに同じクラスだった矢野正代のことが忘れられずに、今でも強く意識していたのである。いや、今の方が1年生のときより却って強く思っているぐらいであった。その正代が交換日記の相手だったら粗探しなどせず、迷いなく素直に自分の気持ちを書き付けていただろう。
しかし交換日記を求められたのは、殆んど意識していなかった邦子であった。そんな邦子に対して一体何を書けば好いのだろう。
大分迷った末、慎二は邦子と同じように自己紹介から始めることにした。
邦子さんへ
僕も交換日記をするのは初めてなので、いったい何を書けばいいのかわかりません。だから、邦子さんと同じように自己紹介から始めたいと思います。
僕の家族は父、母、それに兄です。趣味は読書です。と言っても、たいしたものは読みません。スパイ小説か推理小説が好きです。得意教科は理科と数学です。音楽や体育は苦手ですが、主要科目の英語、国語も苦手です。恥ずかしながら邦子さんに教えられるほど出来るわけではありません。よかったらまた一緒に勉強しましょう。
それから僕の将来の夢ですが、未だ考えていません。もう将来に対するしっかりした夢を持っているなんて、邦子さんはすごいですね。僕も見習わなければ・・・。
それではまた。
慎二
上気しながら本文を書き終えて、「慎二」と署名するまでに暫らく掛かった。名字ではなく名前を書くことで更に深みに入って行くようで、ちょっと躊躇われたのである。それに、「邦子さんへ」と呼び掛けるのにも大分勇気を要した。
しかし、思い切って名前を書いてしまうと、決して嫌な気はしなかった。一番好きな子ではなくても、自分に真っ直ぐ向かって来てくれている子がいる。その子と2人だけの遣り取りをしている。それがはっきりしたようで、むしろ弾んでいた。母親の祥子や兄の浩一に見られても好いぐらいの気持ちになっていた。