sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見た目が9割!?(最新版その1)・・・R3.11.24③

          人は見た目が9割!?

                              相模宗太郎

 

                前編

 

                その1

 

 月日の経つのは早いもので令和も2年目に入っており、藤沢慎二は今年でとうとう年金を満額受けられる65歳となる。自分で書く小話や日記の中では未だに中年オヤジと称しているが、もうすっかりオジンである。正直なところを言えば認めたくはないが、自分でも日々それを感じている。

 或る冬の朝のこと、トイレが長引いた所為で何時も乗っている電車に間に合わないかと焦り、急いで家の横を通る急坂を駆け上がろうとした途端に、ビクン!

 それだけのことで脹脛の筋肉が悲鳴を上げ、切れ掛かったことがある。

 それがもう2年も前のことになる。

 また或る夏の朝のこと、知り合いと会う約束をしていた時間が迫り、エアコンも入れないままに大急ぎでブログを書いていると、何だかおかしいと感じた途端に、頭の中、そして目の前の景色が急にぐるぐる回り出して、止まらなくなった。

 それでも暫らくは走馬灯のような感じを楽しんでいる面もあったが、次第に余裕を失い、怖くなって来た。

 それが昨年のことであった。

 そんなことがぽつぽつとあってからは、公私どんな用事であろうと関係なく、急ぐことは止め、信号が点滅し出したからと言って無暗に走ろうとはせず、次の青になるまでのんびりと待つようになった。

 この頃ではそれでも未だ時折目が回ることがある。

 身体が悲鳴を上げることもある。

 最近になっていよいよスローな生き方をするようになった。

 何だかただでさえ短くなった残り時間が更に少なくなった気分である。

 それでも慎二の3人の子どもの内、1人はまだ学校に通っているので、少なくともあと1年は働く気でいる。

 今務めているのは以前と変わらず、設立には然るやんごとなき方々や大阪府も関係していると言われる公的な機関である心霊科学研究所であり、その新たに設けられた東部大阪第2分室に配属されている。

それらしい名称ではあるが、口が悪いものに言わせると、窓際族が増えたこの機関の収容所のようなものであった。

好意的に観れば、個性豊かで、ともかく経済的に許す限りの時間と空間を与えてみれば思わぬ発想を生み出すかも知れないと期待出来そうな面々を集めてみた、と言う感じか!?

それはまあともかく、この話の舞台は東大阪市内にある築30年以上は経っていそうなこじんまりとした3階建ての貸しビル内にあり、上記の研究所ではこのビルの全てを借り切って、2階、3階それぞれに4室ずつある20坪ほどの各部屋に研究員と称する職員が3人ずつ、それとコピー、掃除、お茶汲み、寂しい時の話し相手、事務作業等、何でもしてくれる雑用係の事務員1人の計4人が配置されていた。1階には40坪ほどの大部屋があり、そこは会議室とし、残り20坪ほどの2室はそれぞれ更衣室、事務室として使われていた。

 注目する部屋、ここでは執務室と呼んでいる一部屋であるが、そこに配置された研究員は慎二の他に、30代の正木省吾、40代の井口清隆であり、それに事務員として若い依田絵美里も配置されていた。

 正木は慎二と同じ国立浪花大学の工学部オーラ応用工学科を出ており、殆んど給料と変わらないぐらい株式投資による配当で稼いでいるので、研究所の皆からはファンドさんと呼ばれ、羨ましがられていた。株主優待も馬鹿にならないらしく、交通費、宿泊費、映画鑑賞、観劇、スポーツ観戦、日常の買い物等でも結構恩恵を受けていた。

 井口は中国地方にある公立大学の文学部を出ており、心霊科学研究所では殆んど評価されない学科だったので、自分から出身大学、出身学科等の話題に触れることはなかった。それでも研究所に入ることが出来たのは、学生時代から趣味で取り組んでいるネットでの発信に先進性が感じられたからであった。今は趣味と小遣い稼ぎを兼ね、ネットでの情報収集力を生かして、大した資本を掛けずにフリーマーケットのメルカリ、ヤフオク等で盛んに売り買いを楽しんでいたので、皆からはメルカリさんと呼ばれ、大いに興味を持たれていた。

 因みに慎二は自宅でも職場でも暇さえあればへぼな短歌や俳句を添えた日記風のブログを書いては推敲もせずに即座に発信し、日々機嫌よく過ごしていたので、皆からはブログさんと呼ばれ、微妙に怪しがられていた!?

 それはまあともかく、慎二には2つ違いの兄、浩一がいた。浩一は勉強があまり出来る方ではなかったが、要領がよく、自称するところによると結構持てたようである。伝統のある中堅の公立高校、大阪府立守口工業高校(現守口工科高校)を出て直ぐに、近くにある大企業、杉上電器産業に入って定年まで勤め上げ、幸い子どもが皆独立していたので、そのまま退職し、寝屋川市にある小振りな3階建て住宅に住んでいる。退職してからは年金生活であるが、多彩な趣味を楽しみ、退屈することが無い。色々あって現在独身ではあるが、寂しい思いは全くしていないようであった。

 

 さて暫らく前、2月中旬の或る日のこと、慎二は浩一を訪ねて大阪府の東部にある中堅都市の寝屋川市まで来ていた。

浩一が退職してからは1か月に1度ぐらいの割合で会いに来て、昼食を共にするようにしている。もう慎二のことを半分ぐらいは忘れたような母親の祥子が近くの特別養護老人ホーム、「スマイル」に入居しており、その面会も兼ねていた。

 祥子は相変わらず慎二の顔を見ても、思い出すのに少し掛かるようであった。目を凝らしながら怪訝な顔をして、

「あれっ、誰っ!? 浩一かぁ~?」

 ちょっと戸惑った慎二は、祥子に自分から思い出して貰いたくて、

「違うでぇ~」
 その後暫らく黙り、直ぐには名前を言い出さないでいると、

「誰っ!? 誰やいなぁ~? もしかして俊太かぁ~?」

 甥の名前を言うので、焦れて来た慎二は祥子の耳元で殊更に声を大きくして、自分でもわざとらしく感じられるほどゆっくりと言うことにした。

「慎二やでぇ~。し、ん、じ、・・・」

 何とか聞こえたのか、祥子はちょっと安心した顔になり、横にいる浩一と見比べて笑いながら、

「何や、慎二かいなぁ~!? 暫らく見ん内にえらい老けて、浩一の方が若く見えるなあ・・・」

 祥子が子どもの頃から浩一の方を好んでいただけではなく、実際に浩一は年齢より大分若く見えた。慎二にすれば余計なお世話だとは思っているが、それだけ自分がまだ頑張って働いている証拠だとも思っていた。

ただ2人の年齢逆転現象はこの時だけではなく、若い頃からずっとそうで、慎二は以前勤めていた受験関係の出版社、若草教育出版でも、大学卒業後、入社して直ぐに、女子社員達から35歳に見えると言われていた。

 それはまあともかく、ひと通り確認が終わって安心した後、祥子は家族、親戚それぞれの年齢、住所等を思い付くままに言って行き、記憶を確かめようとしている。

 そんな遣り取りを30分ほどした後、慎二は浩一と2人、「スマイル」を後にして、京阪の寝屋川市駅に向かった。駅の近くにある飲食店でゆっくり昼食を共にし、ぼちぼちとお互いの近況を確かめ合う為であった。

 この日は久し振りにお好み焼き屋を選び、慎二は豚玉のモダンとドリンクバー、それにデザートに抹茶パフェも頼んだ。普段の昼食では、特に勤務日にはそんなに食べる方でもないが、ゆっくり出来る時はついあれもこれもと頼みたくなって来る。

 浩一が注文したのは野菜炒めと生ビールだけであった。飲む方が好きなのと、退職してからはあまり動かなくなっているので、食べる量は自然と減っていた。そして慎二が注文するものを見ながら何時も感心したように言う。

「お前ほんまによう食べるなあ。ほんま、やっぱり働いてたら違うわあ・・・」

「まあなあ・・・。ところで兄貴の方はこの頃どう? 相変わらず煙草は吸うてるんかぁ~?」

 慎二が心配するように訊くと、

「いや、止めてるでぇ~。もう2週間になるかなあ。コロナにも悪い言うしなあ・・・」

 そう言って浩一はちょっと寂しそうな顔をする。

 そんな遣り取りをひと通りした後、珍しく政治の話になった。

「どう? この頃吉村大阪府知事の評判はぁ~?」

 慎二は職場が大阪府内にあり、生活費に関わる為に多少は気になる存在であった。

「ええでぇ~。若いのにようやってはると思うわぁ~」

 浩一にしては珍しく褒める。

 以前、国会議員の選挙を機に全国的な人気者になり始めた自民党の次期幹部候補と言われる小泉進次郎の話が出たとき、浩一は迷うことなく、

「あれはあかん! 一見弁舌滑らかで爽やかそうな印象やけど、恰好ばっかりやぁ~。よう聴いてたら中身が何もあらへん。ほんま、見かけだけやなあ・・・」

 けちょんけちょんであった。

 それを聴いていた慎二は、そこまでとは思わず、

《まあまあ見映えが好いし、当意即妙の弁舌が爽やかであるから、庶民に受けるんやろうなあ・・・》

 とは思っていた。大体において慎二は、見映え、押し出しと言ったもの、要するに見た目に弱く、いわゆるイケメン、美女の類には直ぐに惹かれ、信用してしまう傾向がある。

 それはまあともかく、選挙後暫らく経ち、国政の重要な役目について露出度が一気に高まった小泉進次郎の評判は必ずしも芳しくなく、浩一が言っていたほどではなくとも、それに近いようなことも言われ始めた。

 そんなこともあり、慎二は浩一の人を見る目を多少見直していた。

 そして今回は自分の印象と一致していることに慎二はちょっと安心するような、嬉しいような気がしていた。

 

 それから1か月半。新型コロナウイルス騒ぎは益々大きくなっている。そして国政、地方自治に限らず、益々代表者が人前に出るようになり、顔が見えるようになって来た

 当然のように政治家にしては若くて見栄えが好く、分かり易い発言をする大阪府の吉村知事は人気を上げている。

 このところ慎二は、毎晩、大好きな韓国ドラマを観た後、ネットやテレビで首相、識者、各都道府県知事の記者会見、関連する記事等をチェックするのが日課となっていた。

 

        人はつい見た目に惹かれ其の結果

        大事なことが見えないのかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 昨年の春から夏に掛けて書いた話で、このブログにもぼちぼち上げて行った話でもある。

 

 コロナ禍真っただ中の時期、その頃のことを書いた日記、若い頃のことをモチーフにして書いた話等も折り込みながら、結構長くなった。

 

 それでも、一旦置いてから大分経つのに、マスク生活はまだ続いている。

 

 今回、この話をもう少し丁寧に見直しながら、加筆訂正等もして、少しずつ上げて行こうと思っている。

 

 このブログに何時も書いていたスポーツの野球、ゴルフ等が次々とシーズンを終えて行き、暇になって来たこともあるが、折角書いた話を書きっ放しにしているよりは、見直しておきたくなったのもある。

 

 お時間と気持ちに余裕のある方は読んでいただければ幸いである。

 

 そして、それぞれのコロナ禍を振り返ってみる一助とでもなれば、この上ない喜びである。