sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

懐かしく青い日々(9)・・・R2年1.9①

            第1章  その8

 

        気が付けば周りが力付け始め
        相対的に下に居るかも

 

        努力せずプライドだけは高ければ
        比べることを否定するかも

 

 期末試験の結果が出て、長かった2学期が漸く終わろうとしていた。中間試験のときと同様、大して勉強が進んだわけではなかったから、予想通り、急によくなったりはしなかった。それでも平常点等が加えられ、数学も結局赤点ではなくなったので、藤沢慎二としてはそれで十分であった。
 母親の祥子は保護者懇談で担任の鎌田から、慎二を就職させることは考えず、大学に行かせるようにと勧められたようで、家に帰って来てからその話をした。
「どうやろ、教育大でも受けてみたら? 鎌田先生が言うてはったよ。普段勉強せんとこれぐらい出来るんやったら、ちょっと頑張ったら行けるやろぉ、って。折角そう言うてくれてはんねんから、今からでええから、ちょっとぐらい頑張りいやぁ」
「う~ん、そう言われてもなあ・・・。どないして勉強したらええか分からへんねん」
「何言うてるの! 小学校から数えたらもう何年やぁ? こんなに長いこと勉強してるのに・・・」
 小学校を卒業した後、高等小学校に2年間通って学業を終えた母親としては、新制にしても中学校を卒業し、受験まで経験した上で高校に通っている慎二が、勉強の仕方が分からない、と言っても、俄かにはぴんと来なかったのである。
 それに、本当はもう少し上の学校に進みたかったのに、祖父に、女の子に教育は要らない、理屈っぽくなったら嫌われる、と強く言われて進学を断念せざるを得なかった母親としては、自分より遥かに恵まれている慎二が何を贅沢なことを言っているのか、という不甲斐なさもあったのかも知れない。
 慎二にすれば常々その話は聞かされているから、多少は面目ない気がしている。
「そうやなあ。学校だけはそれなりに行っているからそう言いたい気持ちは分からんでもないけど、家では試験前しか勉強せえへんからなあ」
「簡単やん。普段も試験前と同じようにやったらええやん!」
「う~ん、別に何とかなっているんやから、試験前に固めてやったらええやん」
 口先だけではなく、慎二は本当にそう思っている。明日で間に合うことは今日するなと言うユダヤの格言(?)を「日本人とユダヤ人」(イザヤ・ベンダサン著、山本書店刊)と言う本で見て、強く共感していた。
「違うやろぉ! こつこつしとかへんから下がって来たんやろぉ?」
 小学校しか出ていない母親に何が分かると思っている慎二には、鎌田の受け売りを言われても、納得が行かない。
「そうかなあ? 高校に来たんやから、こんなもんやろぉ」
 仕方がないから、母親は具体的なデータを出すことにした。
「何言うてるのぉ! 福山さんなんか、100番前後や言うてたよ。市立の浪速大ぐらい狙えるらしいわぁ」
 福山とは同じ中学校から来た福山梓のことであった。中学校のときは、下がったとは言え慎二が300人中で悪くても30番に入っていたのに対し、梓は50番から100番の間で上下していた。それでも北河内高校に行けたのは女子の合格最低点が男子より50点ぐらい低かったからである。
 その梓が自分よりかなり上のランクにいると聞き、慎二はいたく傷付いていた。努力はしないくせに、プライドだけは結構高かったのである。
「まあな。女子は真面目やからなあ」
 そう返すのが精一杯であった。
「ほな、あんたかて真面目にやったらええやん」
「それがな、クラブから帰って来たら眠たいんやぁ。机に向かっても、知らん内に目が閉じて来る・・・」
「クラブのこと、鎌田先生も言うとったでぇ。もっと早く止めて帰るように言うって」
「まあええやん。今の内に色々やっといて、人間の幅を広げるわけやぁ。その内にするから、のんびり見といて・・・」
「そんなのん気なこと言うとってええんかぁ? みんなもっと一生懸命やり始めてるようやでぇ!」
 それからもくどくどと繰り言を言われている内に慎二の気持ちは何処かに行ってしまい、もう言っても仕方がないと思ったのか、言うことで納得が行ったのか、暫らくすると母親は口を閉じて、夕食の支度に掛かった。

 その日の夜、幼馴染の岸川友也から電話があった。
「もしもし。藤沢、元気にやってるかぁ? どや、今度の25日、空いてるやろぉ?」
「うん。日曜日やし、クラブがないから空いてるよ」
「ほな、うちに来いやぁ。クリスマスパーティーするから。どうせ暇やろぉ?」
「まあ暇言うたら暇やけどなあ・・・」
「ほな、おいでえやぁ。この前一緒に宝塚行った子らを呼んでるねんけど、お前のこと面白いから呼んでと言うとったでぇ~。隠し芸か何か考えとってやぁ~」
「そんなん言われてもなあ・・・」
「ハハハ。冗談やがな。まあ気楽においで。ほな」
「うん。分かった。ほな行くわぁ」

 これまで殆んど持てた覚えがない慎二にとって、前回のデートは主役ではないと言う気楽さがあったから何とか何時も通りに振る舞えただけのことであった。大して期待していない分、緊張しながらも素に近い自分を出せたのであろう。
 それが今回はそれなりに評価され、期待の上で誘われたのであるから、何だか意識してしまう。関西人的に? 少しは面白いことを言い、場を盛り上げなければと思うと、気が重くなるのだ。
 本当は、全く持てないと自覚していたら、余計な期待や緊張などしないで済んだのであろうが、中学生のときに人づてに思ってもみなかった子、大谷邦子から交換日記に誘われ、気取って上滑りな言葉を交わし合ったことがある。書くことがなくなるまで数日間だけでも望まれて日記を交換したと言う自負があったので、多少は持てると本気でそう思っている。
 ただ、自分が望んでいた子には持てない、と言うか、意識し過ぎて重くなるから避けられて来ただけのことだと思っているのである。
 要するに、緊張さえしなければ自分は割と持てる方ではないか? と密かに自負しているのであった。
 経験が少ない分、イメージが限定された理想に偏り、それが達成出来ないと何も出来なくて当然だと思っている。理想が達成出来ていなことで目の前の事実から逃げる理由が出来、むしろほっとしているのかも知れない。
 そうすると、理想を高くすればするほど何も出来なくて駄目な自分に逃げ込む理由が出来るわけで、小心故変化を好まず現状に甘んじていたい慎二にとって至極都合の好い生き方ではないか!?
 それに比べて、性的なエネルギーが強く、あんまり考え込むタイプではないそ岸川は違った。通っている学校が異性に対して気取る必要がない男子校であったことや、町工場が多い周りの猥雑な影響も強かったにしても、彼自身それが肌に合ったようである。多少の失敗をものともせず、流行りには決して乗り遅れず、男女交際を積極的に楽しもうとしていた。臆することなく、幾らでも軽口を利くことが出来た。

 さて今回も、佐々木奈々枝のことが多少なりとも気になっていただけに、いざ誘われてみると、嬉しさより緊張の方が強くなってしまった。

 

        誘われて聖なる祭り煌めいて
        意識し過ぎて眩しいのかも

 

        思うほど他人のことなど見ないもの
        独り芝居は滑稽なこと

 

 予想通り、岸川の家でのクリスマスパーティーは自意識過剰の慎二にとって酷くぎくしゃくとしたものになった。主役である岸川にとっては、慎二が独り盛り下げ、自分の引き立て役になったのだから、特に文句はなかったようであるが、慎二にとっては実りなくしんどい時間を過ごしただけのことであった。

 その日の夜、布団に入ると、昼間のことが恥ずかしさ、そして悔しさを伴って思い出された。
 あ~あっ、こんなことなら行かなければよかったなあ。余計にそ寂しくなってしもた。今度から誘われても絶対に行かんとこ。
 岸川のガールフレンドである秋元玲子だけではなく、途中からは奈々枝までが岸川の方ばかり見て、3人で盛り上がっている。慎二には目を向けないどころか、少しも話し掛けなくなった。
 視線を避けられ易いのは何時ものことであるが、奈々枝を好ましい存在として多少意識し始めていただけに、慎二としてはちょっと辛いものがあった。

 こんな風に女子を前にしたぎこちなさ、カップルを前にした羨ましがりよう、落ち込みようと言ったものが好いのか、慎二はカップルの触媒と言うか、引き立て役に呼ばれることが多かった。
 部外者からすれば、惹かれ合った者同士が好きなように2人の世界を作って楽しめばそれで十分ではないか、と思うのであるが、付き合いが長引けば、幾ら関係が深まっていても、それだけでは物足りなくなるものらしい。短くても、今一盛り上がりに掛けるカップルも同様であった。慎二のように、自分たちが仲の好いところを見せ付けて、望むような反応を示してくれる対象が欲しくなり、気が付けば慎二は近くに呼ばれているのであった。
 要するに慎二は、カップルが自分たちの仲のよさを慎二と言う鏡に映し出すことによって改めて自覚し、かつての新鮮な刺激を思い出したり、まだ見えていない刺激を呼び起こしたりする脇役にされ易いタイプだったのである。
 しかし、はっきりとは自覚していないにせよ、それが慎二にとって嬉しいはずがない。人は誰でも自らが主役としてそれぞれの人生と言う舞台を踏んでいるものであるから、脇役でありたいわけがなかった。
 慎二のように、幾ら小心者で人生経験が少なく、自分の中に自信を持てることが見付かり難いタイプだからと言って、決して人の引き立て役に甘んじていたいわけではないのである。
 と言うか、自身の中に持てる面を見付けられない分、余計に自分を他人の下に置くことに耐えられないのであった。