sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(2)・・・R2.5.6①

          エピソードその1・・・①

 

 昭和50年代、世間はまだ高度経済成長期の真っただ中にあり、好景気に浮かれていた。株価、地価は右肩上がりで、ちょっと投機に興味を持つものにとっては楽しくて仕方が無い。収入が安定し、家を購入出来る層はやどかりのようにより大きな家に住み替えて行くのが普通であった。堅実な庶民にとっても、たとえば郵便局(当時)の定額預金の利率は福利の効果もあって実質10%を超え、ちょっと頑張れば稼ぎが増やせて、我慢する気があれば、貯金が倍々ゲームのように殖やせた。貧乏人の子でも真面目に働けば、やがて結婚出来、子どもを為して、長期のローンにせよ普通に新築一戸建ての家が買えることを疑いもしなかった。

 青木健吾が国立浪花大学の理学部を卒業したのはそんな昭和58年のことであったが、人見知りが強く、就職への強い意欲も感じられなかったのが災いして、当然のように10社以上受けた就職試験では、たとえ筆記試験は通過しても面接試験で悉く落とされた。

 中には、運好く通った場合に本当に行きたくなるかどうか怪しいところも幾つかあったが、それは選べてこそのことで、その土俵にも立たせて貰えなかったショックは流石に大きかった。

《あ~あっ、また落とされた・・・。どうしたもんかなあ?》

 それでも更に数社受けている内に4月になった。

《仕方が無い・・・》

 漸く諦めがついて、暫らくの間は近所のガラス工場でアルバイトをしたり、家庭教師をしたりして過ごしていたら、6月になって大学の研究室の指導教授、井尻好夫から連絡があった。

 井尻はちょっとオタクっぽい感じで、ものごとを斜めに観て冷笑しているようなところがあったが、実は結構世話好きで、目立って浮世離れしたところのある健吾のことを秘かに心配してくれていたようである。

 それはまあともかく、埼玉県にある受験関係の出版社、若草教育出版が理科の編集者を募集していると言う。駆け出しの研究者だった頃に原稿を書いていたこともあるそうで、大きくはないが、伝統があって堅実な会社だと言う。

 疑うことを知らない健吾はそれですっかり安心し、それでも念の為に確認してみると、給与、賞与、諸手当、休日等、条件は悪くない。総合的に考えてむしろ世間並以上であった。

《そう言うたら、出版社は何処でも結構貰えるらしいなあ? これで独立出来そうやし、好きなオーディオとかレコード、それに本とか、一杯買えそうやなあ。そやけど、その分きっと忙しいしやろし、仕事もそれなりに難しいのとちゃうやろかぁ~!?》
 もう夢が膨らみ始めながらも、貧乏人の坊ちゃん育ち、世間知らずのくせに、いやそれ故か、ともかく極め付きの小心者の健吾には大きな不安が尽きなかったが、取り敢えず受けてみることにした。

 それから数日後のこと、埼玉県内の或る地方銀行の研修室を借りて若草教育出版の臨時入社試験が行われたが、受けたのは健吾ひとりで、健吾にしては珍しく殆んど緊張しなかった。

 筆記テストは大学受験対策用の問題であったから、難しくはあってもほどほどに書けたし、後から上司が言うことには、是非とも1人は増やす必要があったので、出身大学から考えて出来に関係なく採用することは決めていたそうだ。面接試験では試すような質問が全くなく、何時から出社出来るのか? とか、当面の生活費は用意出来るのか? とか、独り暮らしは出来るか? とか、もう採用したものとしての質問であったのも頷ける。そんなことが幾ら飛びっ切りの小心者であっても、健吾を大分気楽にしていたようだ。

 7月半ばになって始めた仕事の方は大学受験対策用教材の編集で、レベル的には入試レベルであったから、時折東大、東工大、早稲田大等の入試を意識した難問が含まれていても、全く手に合わなくはなかった。健吾が経験した受験勉強よりは大分高いレベルの問題もあるにはあったが、大学で学んだこと、その際に買い集めた教科書、専門書、事典等を活用すれば十分に対応出来た。また、当時の若草教育出版は比較的懐事情が豊かで、言っただけの本を買って貰えたから、健吾は自分の持っている本も含めてかなりの書籍を買い集めた。そしてそれが大いに役立ってくれた。

 日常的にある月2回の締め切りは少々きつかったが、それでも残業時間が月に40時間ぐらいで抑えられ、残業代はきっちり出たから、辛さよりも収入が増える有り難さの方が上回った。給料が入る度に健吾は生活家電だけではなく、スピーカー、アンプ、レコードプレーヤー等、趣味の家電も増えて行った。

 受験の集中する2~4月の3か月ほどは入試問題の解答集と言う臨時の仕事が加わり、残業が一気にもう50時間ぐらい増えて急にきつくなったが、あらかじめ言われていたので覚悟は出来ていたから、思っていた範囲で収まったし、それに見合う収入増も嬉しかった。

 ただこの周期的な緊張感の連続が健吾には合わなかったようである。2年間ほどで心身の調子が整わなくなり、次第にこのまま定年までずっと続けて行けるものかどうか、大いに疑問に思えて来た。そんな不安が高まった所為か? 軽い胃潰瘍にもなった。

 周りを観ても、またここ数年を観ても、やっぱり先ず精神的にきつくなって来る人が多いようで、まだ身体が元気な内に、大学、予備校、高校の教職、教科書、問題集、参考書の執筆業等へと転身して行く人が多かった。

 色々相談し、迷った末、健吾は一旦生まれ育った大阪に戻り、出直すことに決めた。

 そう決めると未練はなかったようで、2年半ほどで若草教育出版を辞め、大阪に戻って来た。

 そこまでは問題がなかったのであるが、父親の新吉は還暦を過ぎた左官職人で、既に仕事を半分に減らして週に3日ほどしか働いておらず、収入も若い頃の半分の月に20万円程度になっていた。母親の由美子はもう健吾の学費を稼がなくてもよくなって婦人服縫製のパートを辞めていたので、安心して専業主婦となり、全くの無収入であった。そんなわけで2人は家を買うのを諦め、その頃でも珍しくなっていた風呂無し、共同便所の安アパート暮らしを若い頃と同様に続けていたから、自分達のことで精一杯であった。そこに再び入るのはきついので、健吾は出身校である北河内高校のそばにある風呂無し、共同便所の6畳ひと間で月1万2千円と格安の古アパート、山吹荘の奥まった1室を借りて独り暮らしを始めることにした。

《ここやったら失業保険と蓄えで数年はやって行けるけど、さて、これから何をしたものかなあ?》

 大して先が見えていない健吾は、取り敢えず公務員、公立教員等の試験を受けられるように、一般常識の勉強から始めることにした。併せて、幼馴染の吉川治夫の勧めもあり、時間の余裕が出来たこの機会に自動車の運転免許を取っておくことにする。

 今後の見通しをある程度持って気持ちを落ち着けた青木健吾が、近所の市立図書館に行ってみると、これが意外に好い。家とは違って沢山の本があり、整理されて見易いように並べられている。そんな当たり前のことだけではなく、CDを聴ける、DVDを視られる、インターネットでの検索が出来る、他の図書館と連携出来る等、子どもの頃より出来ることがかなり増え、繋がりが広がっている。それに何より、これはずっと前から出来たことではあるが、エアコンの効いた自習室で落ち着いて勉強することが出来る。

 健吾が独り暮らしを始めた安アパート、山吹荘は標高300mに満たない御椀山の山裾であるから、まあ標高100mぐらいのところにあったので、平地よりは僅かに涼しく、独り者の涼しさもあったから、節約の為にエアコンを買っていなかった。

 それでも、流石に夏の一時期、昼間はじっとしていても汗が滲み出て来るから、せめて勉強する時ぐらいはエアコンが欲しくなる。

《これは図書館を利用しない手は無いなあ・・・》

 そんな或る日曜日のこと、健吾が市立図書館の自習室に公務員試験向けの一般教養対策問題集を持ち込んで勉強していると、背が高く、すらりとした少女、中野昭江が入って来た。

 途端に男性陣の視線が彼方此方から面白いようにささっと昭江の方に動く。化粧っ気は全く無く、髪は染めていない。淡いブルーの地味なブラウスに洗い晒しのジーンズと、そこまでで目立つところは何ひとつ無いはずなのに、周りの意識を惹き付けて止まない空気が漂っていた。

 よく観ると、今増えている読者モデル等の何ちゃってモデルではなく、本物のモデル並みにスタイルが好く、何か本気のスポーツでもしているのか? すらりと見えて実は適度な厚みもあった。それが即座にそうとは認識されなかったから、不思議と言えば不思議であった。それはあまりにも周りに溶け込み、染んでいたからであり、自然に整っていると言うことはそれほど周りと違和感が少なく、かえって目立たないもののようであった。

 それでも周りの視線を惹き付けてやまないのは、そこに彼女の存在自体が醸し出すえも言えぬ匂い、そしてオーラが感じられるからであった。

 要するに一般的な認識とは言葉による切り取りで、それにはある時間を要するが、あまりにも多くの情報が入って来た瞬間に脳の奥底焼き付けられ、意識されることによって、かえって表面的な認識に至るのが遅れたと言うことであろうか?

 嗚呼もどかしい。今、その全てを言ってしまいたいが、昭江の存在がそれを許さない。それほど昭江は自然に美しかった。

 もっとも昭江自身はそんな空気、視線が大の苦手だったようで、恥ずかし気に目を伏せており、それが余計に深沈たる風情を添えていた。

 健吾も勿論、気弱であっても普通に、いやそれ以上に欲望を持つ若い男性であったから、昭江が視界に入った途端に目をさっと走らせる。

 でもほんの一瞬であった。一瞬で整った小顔、無視出来ない胸の膨らみ、引き締まったウエスト、脚の長さ等が頭の中に刻み込まれ、惑乱して視線を逸らしていた。

 それだけのことでもうすっかり落ち着かなくなり、問題集に視線を戻しても、全くと言って好いほど入って来なくなった。

 どうやら人は結構強い刺激であっても慣れる動物のようである。そんなことが何回か重なると、次第に当たり前になり、健吾は強く意識しながらも、また勉強が進むようになった。

 それから数日後のこと、健吾はこれも独立して暮らしている兄の琢磨からキリスト教系の聖書研究会、「希望の光」が夏になると能勢で行っているキャンプのことを勧められた。

 琢磨も健吾と同様に、香里園にある安アパートで独り暮らしをしており、守口工業高校を出て直ぐに大手弱電メーカーの杉上電器産業に就職したから、働き出してもう10年目になる。冗談ばかり言っているひょうきん者に見えるが、他人に言えない悩みもあるのか? 宗教への関心が高かった。その琢磨が前年に参加し、安くて、まあまあ楽しく、無理に入信まで誘わないから、割と好かったと言う。

 健吾も宗教には関心が強い方だったので、あまり迷わず参加することに決めた。