エピソードその0
青春の暗くて長いトンネルを
誰しも迷い迷って通るもの
出口が見えた気がしても
中々出口見えなくて
中途半端に壁壊し
抜け出したくなる誘惑に
何度も何度も誘われて
その都度グッと堪えては
また歩き出すその向こう
まだまだ続くトンネルは
やけに暗くて長いもの
それでも堪えて歩く内
やがてかそけき光明が
ずっと向こうに見え始め
少しは元気出始めて
夜明け求めてまた歩き出す
そこまで苦労したわけではないが、青木健吾は自分が今ひとつ見えないままにもう何年もの年月を重ねていた。
思えば長い、長い、長過ぎる青春である。
一般的にはそんな臭い出しそうなものを最早青春とは言わないのかも知れないが、今でも健吾にとっては、恋、結婚、仕事、人生等、自分の中で何ひとつ解決出来ていないような気がしていた。
と言っても、それなりの恋をし、それなりの結婚もした。その結果、それなりに愛すべき子ども等も為した。その前にそれなりの就職もし、それなりの家も建てた。そして今、それなりにベテランと言われる域に達しようとしている
それなのに、何か心残りなのである。今の生活を遣り直そうと言うほどのエネルギーではないにしても、時折気持ちを揺らせるほどの強さはいまだに保ち続けている。
欲張りなのか、心残りなこととして、上にも書いたようなことが幾つかある。その中の幾つかは夢にまで見て、趣味としてお話に書き、書いたことで忘れられてもいる。それはちょうど思い出の写真をアルバムに貼ることにより、次にその写真を見るまでは忘れているようなものである。
しかし夢には見ず、お話としても中途半端にしか書けていないこととして結婚に至る家人との恋が始まるまでにおける健吾の人生において最後にして最大の恋があった。
そしてその恋の相手は彼女が高校生の時に出会った中野昭江で、はたから見れば恋とも言えないような淡い関係に留まっているが、健吾にすればいまだにとても無視出来ないほどの大きさを保った存在となっている。
そう。まだ過去形にはなっていない恋であるかのような気がしている。
その分、思い出とはしたくなかったのか、中々まとまった作品にはなり切れなかったようである。
ただ、その年月があまりにも長くなり過ぎたように思われる。記憶の中の昭江と健吾、それが現実の昭江と健吾と想像を絶するぐらいに乖離していることであろう。
実際には自分のことしか分からないから、健吾は自分がそうであるから、昭江にもそうあって欲しいと思うだけのことかも知れない。
ともかく、精神的にも漸く暗くて長いトンネルを抜け、夜明けを迎えたくなり始めたようである。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この話の一部は既に「人は見かけが9割!?」の作中作として上げた。
今、書き掛けて、何とか3分の2ぐらいまで進んでいる。
どの辺りで止めるのかも大体決めたので、既に上げた一部も含めて、これからぼちぼち上げて行こうかと思っている。
勿論、書いている途中であるから、これまで以上に整っていないことも大いにあり得る。
暇なオヤジの与太話とでも思って軽く読み流していただければ幸いである。