その1
10月上旬、書斎の窓から見える刈り取られた田んぼの周りに咲き揃う彼岸花が美しい。窓を開ければ、さわさわと庭木の梢を揺らす秋風が心地好く頬をくすぐる。
藤沢慎二は勤務する心霊科学研究所の緊急特別業務による休日出勤を一昨日の土曜日に終え、長男の浩太が幼稚園に行った月曜日の午前中、振替休日を取ったお陰で、久しぶりのゆったりした時間を堪能していた。
近所に住む男の人は大抵仕事に出て、家にはいないし、テレビの番組も平日用であるから、多少の後ろめたさと共に、自分だけが休めていると言う優越感も感じ、慎二はこの微妙な心地が何となく気に入っていた。
その時、階下から電話の呼び出し音が響き始め、少し遅れて2階にも置いてある子機の呼び出し音が鳴り出した。慎二が取ろうかと迷い、子機の方に向かい掛けた時、階下の方から妻の晶子が呼ぶソプラノの声が鋭く静寂を破る。
「父ちゃん、電話やでぇ~。上で取ってぇ~」
♪パッパッパッパッ~パッパッパッ~パ~パッパッパ~パ~パ~♪
晶子の声と共に、浩太の大好きなアンパンマンのテーマソングにした呼び出し音が勢いよく鳴り出し、取ってみると、
「あのぉ~、もしもし・・・。お休みのところ失礼します。初めまして。怪々舎の有沢と申します。この前、先生から頂きました人シリーズの原稿、読ませて頂きましたぁ! 中々よかったですよぉ~」
「えっ、そうですかぁ~!? ありがとうございます! まあ多少まあの自信はあったんですよぉ~。フーッ、よかったよかった・・・」
「それでですねぇ、出来れば何とか本にすればですねぇ、先生の記念にもなるかと思いましてぇ~、こちらで相談させて頂きました結果、朋友出版のCコースと言う形をお勧めしたいと思いまして・・・」
それを聞いた慎二は公募倶楽部に載っていた要項を思い出し、ちょっと声を沈ませ、一体幾らぐらい吹っ掛けられるのか!? と不安な面持ちで
「ああっ、そうですかぁ~。それではこちらも幾らか持つと言う形ですかぁ~!? それは一体どれぐらい必要なんですかぁ~?」
「アハハッ、そんなに警戒されなくてもいいですよぉ~。うちは至極真面目な商売をしていますから・・・。あくまで藤沢様のような方の素晴らしい作品に何とか日の目を当てる、このお手伝いをさせて頂きたい。もうそれだけの商売でして、思い切った勉強をさせて頂いておりますぅ、はいっ! そうですねぇ~、藤沢様の今回の作品でしたら100ページほどになりますから、100万円で綺麗にお作りさせて頂きます。それに、幸い藤沢様の作品には光るものがあると言うことで、朋友出版と言う形にさせて頂きたいと思っておりますので、奨励費を何と1割に当たる10万円もお付け致します。如何でしょう? こちらのアイデアを少しお示ししたいこともありますし、一度お会い頂けませんでしょうか!?」
何となく高いなあと思いつつも、
《丸っきり出せない額でもなさそうやなあ。それに出せば、もしかしたら売れると言うことも有り得る。いや、きっと売れるはずやぁ!?》
そう思った極めて楽観的な慎二は、暫らくの沈黙の後、おもむろに
「そうですねぇ~。と言っても僕は今、こう見えて結構忙しいからなあ(電話では休日のだらけた様子が見えないことをいいことに)、ちょっと予定を調べてみないと・・・」
「ええ、結構ですよぉ~。何でしたら掛け直しましょうかぁ~?」
「いや、ここに手帳があるから、ちょっと待ってくれるぅ~?」
そこら辺りにある新聞広告をペラペラ捲りながら、もったいぶった様子の慎二は、
「そうだぁ! 今度の3連休あるよねぇ? あの中日が偶々空いているようだねぇ~。と言っても、午後からになるけど、それでもいいかなあ?」
「ええ、結構ですよぉ。それで、どちらに行かせて頂いたらよろしいですかぁ?」
敵も商売、そんな輩はごまんと見ているので、その辺りは変に逆らったり余計なことを言ったりはしない。単純なもんで、そこにすっかり気をよくした慎二は、それならばと自分のテリトリーを指定することにした。
「そうですかぁ。悪いねぇ~。それじゃあ、お渡しした原稿にある『お茶する人』にも書いた、駅前の喫茶店と言うことでいいかなあ?」
「はいはい! それでは午後の2時過ぎから1時間ほどと言うことでよろしいでしょうかぁ?」
「ああ、いいですよぉ。それぐらいなら大丈夫ですぅ。それじゃあ、お待ちしていますので・・・」
「はい! それではよろしくお願い致しますぅ。失礼致しますぅ!」
慎二は電話を終えた後も、そのままの状態で暫らくボーッとしながらこの状況を反芻している。
《初めのお金が掛かるようだけど、何とかこれで世に出せる。出せばちょっとぐらい認めてくれる人もいるやろぉ~? 確か前に読んだ自費出版の本に500冊だか5000冊だか売れたら元が取れて、次の本も出せたなんて書いてあった。ましてこの俺が書いたんやから、あの人の本よりはきっと受けそうに思うけどなあ・・・。うん、きっと受けるはずやぁ~!? フフッ。そしたら幾らか儲けも出るというわけかぁ~、フフフッ。これはやらない手はないよなあ。あの、浩太にと思って掛けている学資保険からも少し借りておけば、何とかなるやろぉ? どうせ儲けが出るんやから・・・》
清水の舞台から飛ぶ勇気出し
奈落の底に落ち込むのも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これは20年近く前に書いたものを見直しながら少し加筆訂正している。
当時自費出版が流行っており、中に挙げた自費出版の本は家人の両親が住んでいる近くのホテルに泊まった時にそのロビーで見掛けたものである。
ハードカバーの確りした本で、確か200万円ぐらい掛けた感じであったか?
ともかく本屋に並んでいる本と変わらない装丁であった。
ちょっと惹かれた覚えがある。
それもあってか? 当時大盛況であった自費出版専門の出版社に原稿を送ってみたら、文庫本のような装丁で150万円ぐらいと言われた気がする。
流石に清水の舞台から飛び降りる勇気は出なかった。
でもまあ、それからワープロ、パソコンがどんどん便利になり、綺麗に打ち出せるから、それにこんな風にお手軽に発信出来る場が増えたから、以前ほど自費出版が流行っていなような気がするなあ。
どうだろう?
お手軽な発信の場が増えたから
自費出版が流行らないかも