第1章 懐かしい声(その3)
京阪京橋駅を囲むようにある京阪モールの辺りから片町口の方に歩いて行くと、手軽に飲める小奇麗な居酒屋が何軒かある。約束通りに2005年の1月4日の夜、半年後に50歳を迎える私は、岸川、脇坂、真崎と落ち合い、その中の一軒、「竹馬」に入った。
悪友たちも年を重ね、すっかり落ち着いて、好い顔になった者、相変らず欲に操られ、金銭的に満たされながらも寂しい風情の者、昔のままに彷徨っている者等、様々であるが、逢えばたちまち時間が逆流し、昔と同じ表情になるのがおかしい。
「藤沢、お前何時までも若いなあ。やっぱり若い嫁さんを貰うと違うなあ」
と岸川が羨ましそうに言えば、
「ほんまやぁ~」
真崎もにこにこしながら言う。
「そうかなあ。でも、真崎のところも俺のところと同じぐらいのときに結婚したんやろぉ?」
「まあそうやけど、俺のところは見合いやし、同い年同士やでぇ~。地味なもんやぁ」
「ふぅ~ん」
確かに家人は36歳だから、私に比べると大分若い。それに恋愛結婚だから、それだけ聞けば羨ましがられてもおかしくはない。
唯、人間は何事も直ぐに慣れてしまうもので、幾ら熱烈な恋愛の末に若い伴侶を得たとしても、新鮮なのは結婚当初だけのことである。お互いにリフレッシュ機能を持っていないと、結婚生活は急速に色褪せてしまう。それに対して、見合い結婚をした後、共同作業として愛を育んで行き、数年後には却って恋愛結婚のように見えるカップルもあるぐらいである。
と言っても、それはあくまでも一般論で、私のところがそうだと言うわけではないことを年の為に言っておく。
「ところで、岸川のところの商売は上手いこと行ってるらしいやん?」
「まあそこそこやなあ。始めた頃に比べたら大分落ちたよ」
「こいつ、五千万円もする豪邸を即金で買いよってんでぇ~」
真崎が心底羨ましそうに口を挟む。
「ふぅ~ん」
「一遍皆でこいつの家に行こうやぁ。鶴見区やけど、街中にようあんな大きな一戸建てを買うたなあ。やっぱり親父のコネがあったからやろなあ」
脇坂までが羨ましそうである。
「でも、お前のところもまあまあ大きいんやろぉ?」
「俺のところはバブルの頃やし、同じ5千万円でも30年ローンやぁ。それに横浜やから、値の割にはそんなに大きくないし、今は単身赴任やから、ワンルームに毛の生えたぐらいのところに住んでいる。侘しいもんやでぇ」
そう言う割に、脇坂は少しも侘しそうではない。元々立派な体格のところに風格が加わり、人並み優れた顔立ちには年なりの渋さが加わっている。それに営業で長年鍛えた太く、よく響く声は、相手の全身に迫るものがある。
「ふぅ~ん、ところで岸川、えらい痩せたなあ」
「今頃気ぃ付いたんかいな。やっぱり冷たいやっちゃ・・・。でもこいつ、連絡したら断わりよれへん。そこがまだましなところやなあ」
岸川が恨みがましく言う。
そう言えば、岸川は先ほどからちらちらと私の方を観ていた。
どうしてだろう? 昔から私のことをそんなに気にしていたのであろうか? それとも、今は目立って痩せるほど調子が悪い自分に比べて、私が以前より大分太り、血色、肌の張りも好く、元気そうに見えるのが羨ましいのであろうか?
「前は75㎏ぐらいあったけど、肝臓患うて食事制限を受けているから、今は58㎏ぐらいしかあらへん」
「そら、あんな生活してたらあかんわぁ~。不規則やし、暇があったら飲んでばかりおったもん。今でもレジにも出んと、事務所で飲んでばかりおるんやから…」
脇坂が心底心配そうに言う。
「まあ今は飲むことぐらいしか楽しみがないもん。始めた頃は金回りもええし、元気やったから、そりゃよう遊んだでぇ~。気が付いたら京橋のホテルで朝になっとって、横には若くて綺麗なお姉ちゃんが寝ている、なんてことが何回もあったしなあ・・・。でも、この頃はさっぱりやぁ~。身体を悪くしてから、そっちの元気もないわぁ~」
情けなそうに言いながら、岸川は私の方を観る。
元々対人緊張が強く、しかも淡白で、その手のことに疎い私は、唯事実として聞くだけであった。人生の荒波に大きく揺さ振られ、目立ってやつれた岸川を観ると、羨ましさよりも哀れさが先立つ。
「ふぅ~ん。それで真崎はどうしてんねん?」
岸川の視線に耐え切れなくなって、岸川に応えず、真崎の方を見た。
何人かで来ていると、こんなところが楽である。
「俺かぁ~? 俺は相変わらずやでぇ~」
「相変わらず競馬に行ってるんかぁ~?」
岸川が聞く。
「いや、競馬はもう止めたけどなあ。この頃はスロットかパチンコやぁ」
「こいつ、ほんまに阿保やでぇ~。三が日だけで、もう20万円以上も負けてるらしいわぁ~」
真崎と頻繁に会っているらしい脇坂が、感に堪えない様子で言う。
「ほんまかいなぁ? 凄いなあ」
気の小さい私はスロットと聞くだけで腰が引けてしまうし、パチンコは千円以上使うことさえ滅多にないから、他人事でしかなかった。
真崎は唯へらへらと笑っている。