sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

交わらない心(18)・・・R元年12.28①

            第6章 再会 (その1)

 

 藤沢慎二が大阪府の北部に広がる浪速大学に入ってからの話である。中2のときの同級生、進藤隆が発起人になって、藤沢慎二、辻本勇作、田中健二、小松志保、森川美咲、天野裕子、大谷邦子等気の合った者同士が集まろうということになった。

 

 中1のときはまだ知り合ったばかりで、手探り状態の内に1学期を終え、それに新しい環境に慣れるまでの緊張感が伴うから、後から会ってみたいと思うような余裕は生まれなかった。慎二にとって強く印象に残っているのは、矢野正代の他には、悪友の脇坂正一、岸川友也ぐらいのものである。

 中3のときは高校という新たな地平に向かって準備するのに気忙しく、また友達よりライバルが強く意識される時期であるから、再び同じクラスになった正一の他に印象に残っているのは、転校生の真崎紀夫ぐらいのものであった。

 結局好い印象を残し、偶には会ってみるのも好いような気にさせられるのは、一番気楽な時間を持つことが出来た中2の頃の仲間のようである。

 ただ、メンバーの中に邦子の名前が入っていることに多少の抵抗を覚えなくもなかったが、時間の経過が恥ずかしさ、罪悪感等の刺激を大分和らげてくれていた。

 

 懐かしさもあって話はすんなりまとまり、紅葉が美しくなった頃、宝塚のファミリーランドに行くことになった。

 今はもう閉園されてしまった宝塚ファミリーランドも当時はそれなりに賑わい、ひらかたパーク、あやめ池遊園地とはまた違う、ちょっとした気取り、洗練と言ったものを感じさせ、ちょっと奥手で親や教師から観て健全な若者のグループにとっては格好の遊興地であった。

 もっと洗練され、刺激も強い千葉県にある東京ディズニーランド(1985年開園)、長崎にある県にあるハウステンボス(1992年開園)等のテーマパークが現れるのはこの時点からかなり経ってからのことであるし、社会全体の流れももっとゆったりとしたものであったから、当時としてものんびりし、淡白系であった進藤等のグループにとって、それ以上刺激的な場所は必要なかったのである。

 

 約束の日、慎二が進藤から待ち合わせ場所に指定された阪急梅田駅の下に広がる紀伊国屋書店前に行くと、もう大体のメンバーが揃っていた。

 メンバーの特性上、まだそれほど話は弾んでいないようであったが、一様に懐かしそうな顔をしている。そして時間の流れがそれぞれの顔をより深く刻み込み、中学生のときよりもそれぞれなりに大分濃く、大人に近付けていた。

 

 全員揃い、阪急電車の宝塚行き急行に乗り込んだときには、気になる者同士の近況報告もそれなりに終わり、お互いの気持ちもかなり解れ、会話が滑らかになりつつあった。

 その中でも慎二は他人と打ち解け難い方で、独り車窓からの見慣れた景色に目を遊ばせていた。

 

 豊中を過ぎた辺りのことであった。

「お前の大学、この辺やったなあ!? 学部はどこやったぁ?」

 突然の声に慎二が振り向くと、進藤であった。

 進藤はあと少しのところで浪速大学を諦め、大阪府の南部に広がる泉州大学に進んだと聞いたことがある。

 中学生のときから数学に強く、数学のテストでは常に慎二が後塵を拝していた。しかし、全教科の得点を合計すると慎二より大分低かったはずである。

 どうやら、高校に入ってからかなり頑張ったようだなあ。進藤の家はプロテスタントの教会に付属していて、精神的には豊かでも、経済的には決して豊かではなかったはずであるから、かえって意識を高く持てたのだろう。

「うん。この辺や。文理学部の基礎科学部やでぇ。お前のところは岸和田市辺りやったかなあ? お前はやっぱり数学かぁ?」

「まあ場所はちょっと違うけど、学科は理学部の数学科やぁ」

「ふぅ~ん、やっぱり・・・。ほんで、何になるつもりやぁ?」

「そうやなあ。今のところは教師にでもなろうかと思って、教職も取ってるんやけど、まだよう分からんなあ。親父を継いで牧師になるかも知れへんし・・・。ところで、お前の方はどうやねん?」

「お前はまだ好きなことがはっきりしているからええなあ。聖職に進むにしても、ミッション系の学校の教師になるにしても、数学は何とか生かせんこともないやろぉ? 俺の方はほんまによう分からんなあ・・・」

「何を言うてるんやぁ!? 理科が得意で基礎科学に進んでいるんやから、十分やん! お前も教職を取っているんやろぉ?」

「いいや。クラブの時間と重なるし、教師になりたいという気持ちもそんなに強くないから、ちょっと迷ったけど、結局取るのん止めた」

「ふぅ~ん、取っといたらええのに・・・」