第5章 未練 (その2)
藤沢慎二は矢野正代に対してだけでなく、女子全体に対して人並み外れて初心なところがあり、興味が強ければ強いほど、わざと素っ気ない態度を取ることが多い。
たとえば初秋の或る日のことである。文化祭のキャンプファイヤーに向けて学年全体でフォークダンスの練習をしていたとき、水泳部の徳田由美子と組む順になって、由美子の手を指先だけで、まるで汚いものにでも触れるかのように持とうとした。
他の女子に比べて明らかに成長が早い由美子の、浅黒く焼けて伸びやかな肢体、鍛え上げてよく引き締まり、それでいて女性らしくメリハリのある上半身が眩し過ぎたのである。
反応の速い由美子から即座に不満の声が飛んだ。
「嫌々持たんといてぇー!」
大きな声に弱い慎二は一瞬ビクンとし、気を取り直してしっかり手の平まで密着させるように由美子の手を取った。
しかし、僅かでも見てしまうとどうなるか分からない自分が怖くて、無限に長く感じるその時間、視線はあらぬ方に向けたままであった。
特段由美子のことが好きだったわけではない。ただすっかり女性らしくなった肉体の魅力に抗し難かったのである。
正代の場合はそこに深い思いが加わるから、もうどうしようもなかった。それを知られるのが怖くて、どうか正代と当たりませんように! と祈るしかなかった。幾ら好ましい異性からの刺激であっても、コントロールし切れない刺激は避けるしかなかったのである。
秋も深まった頃の休み明けのこと、学校からの帰り道、慎二は脇坂正一、金森順二と一緒にのんびり歩いていた。
思い出したように順二が自慢げに言う。
「あんなあ、昨日なあ、松田明美、久保田礼子と一緒に梅田まで映画を観に行ったんやでぇ。2人とも好いところになったら泣き出しよんねん。ほんま、可愛いところがあるわぁ~」
順二は正一ほど背が高くはなく、中肉中背であるが、全身がばねのような身体をしており、正一以上に学校全体から認められるスポーツマンであった。それに顔まで引き締まって凛々しかった。
「ふぅ~ん、意外やなあ」
そう言う正一の目が少し羨ましそうである。
それ以上何も言わない正一に焦れて、順二が問う。
「ところで脇坂、キャサリンとの文通は上手いこと行ってるんかぁ~? 」
正一は大阪万博で外国人を間近に見たことが刺激になったのか? アメリカに住む白人の女子高生と文通を始めていた。
「うん。まあまあやなあ。そやけど、あれはどうやらキャサリンやなくて、カトリーヌと言うらしいわぁ~。彼女、フランス系やからなあ。英語の読みの方でキャサリンやと思ってたけど、フランス語の読み方やったらカトリーヌちゅうねん」
得意げに知ったばかりの蘊蓄を披露する。
慎二は黙って聞いているだけであった。
しかし心の中では、中2のときに大谷邦子との交換日記の話を持って来た明美と礼子の様子を思い出していた。
私たちは単に仲立ちをしに来ただけで、あんたなんかに興味はないの、と言う感じであったが、その彼女らが順二の前ではすっかり普通の女の子に戻ってしまうのだ。一方正一は正代に好かれていると自慢げに言っていたくせに、付き合うでもなく、外国人の女の子と付き合おうとしている。それに比べて自分は夢の中で正代と付き合うだけで、正代に限らず、女の子普通に話すことすら出来ない・・・。
気持ちを外に出す勇気が出ない分、慎二の想像はついつい膨らみ始める。
万博が終わり、静かになったエキスポランド(大阪万博の時に会場内に設けられた遊園地にで、今はもう閉園している)で正代と2人、仲良くデートをする慎二は、降りたばかりのジェットコースターの興奮が冷めやらぬ表情で、
「次は何に乗る?」
そう聞くと、薄っすらと涙を浮かべた正代は首を儚げに横に振る。
「どうしたんやぁ?」
「ごめん、もうちょっと待って・・・」
正代はしっとりと見る。
「うん、分かった! きつかったもんなあ・・・。ほな、ジュースでも飲むかぁ~?」
木陰にあるベンチに座らせながら、手持ち無沙汰になった慎二が聞くと、それにもそう正代は首を横に振る。
「こうして休んでいるだけでええの」
仕方が無いから慎二はその横に座った。
暫らくすると、正代が慎二の肩に頭をもたせ掛ける。
その温もり、柔らかな重みを感じながら、慎二はこのままずっとこうしていたいような気になっていた。
「おい、藤沢! 藤沢、一体どうしたんやぁ!?」
正一が心配そうな顔で覗き込む。
「いや、正代がな・・・」
きょろきょろしながら言い、慎二は白日夢であったことに気付いた。
「いや、何でもない・・・」
「何が、何でもない、やぁ~! ほんま気持ち悪い奴やなあ。また正代のことで変な想像でもしてたんやろぉ~? 独りで変なことばっかり考えてんと、ほんまに行かなどないするねん!?」
正一にそう言われても、正一から、正代はずっと自分のことを思っているやぁ、と聞いているだけに、慎二は一体どうすればどうよいのか分からなかった。