第1章 懐かしい声(その1)
結婚してから、生駒山地と平行して奈良側に走る矢田丘陵の麓に広がる住宅街の外れに住むようになった私は、それまでとは違う緑の多い環境が大いに気に入っていた。
実際には、それまでも四条畷市で飯盛山のごく近くに住んでいたから、緑は多かったはずなのであるが、大阪府内と違って生駒地方の空気は澄んでいる。緑を素直に緑として意識出来るのである。
人にとって環境とは大きなものである。落ち着いた生活を手に入れてから私は、下手なりに歌や俳句を詠むようになり、やがてそれ等を配した日記を付けるようになった。
若い頃に受験用問題集や参考書の編集者をしていたことがあり、その影響もあって、元々書くことが嫌いではなかったが、今の職場になってからは精々職場の交流を図る冊子に記事を求められれば書くぐらいで、自らの意思によって書くことはなかった。それが、自然と歌や俳句を詠み、日記を付けたくなったのであるから、不思議なことではないか。
まあ、それだけ年を取ったのだと言えるのかも知れない。加えて、周りに比べて大分結婚の遅かった私の魂は、長い間荒野を独りで彷徨い、創作に興味を持つような余裕がなかったのも事実である。
何れにしても、私は今の状況がすこぶる気に入っている。
山荘日記2004年12月30日
朝焼けた冷たき空を見上げつつ
済み行く心そっと愛しむ
揺らされて感傷的な歌を詠む
時を隔てて歌集は生きる
住宅街を歩くと、発破をすっかり落とした裸木が目に付く。
目を凝らすと、その梢に小鳥が数羽止まっているではないか。
ふぅ~ん、あんな細い小枝にも、小鳥たちを落ち着かせる膨らみ、柔らかさと言ったものがあるのだなあ。
感心している内に、年末に行われた職場の合同会議でそれぞれが自分達の不満、不安を口々に言う光景が思い出された。
自然の中の僅かな恵の中に寛ぐ小鳥たちに比べ、私たち人間のなんて恵まれていることか。それなのに、満足出来なくて、小さな不満を如何にも不安げに、声高に叫ぶ。嗚呼、寂しいことではないか。
でもまあ、私もまた、立場を換えれば同じ様なものだろうなあ。あんまり偉そうなことは言えない。
ふと見上げると、朝焼けた空が清々しく美しい。
それにしても透き通った、冷たい空だなあ。観ているだけで心まで澄んで行くようだよぅ。
嗚呼、また独りで感傷的になり、その自分に酔ってしまった・・・。フフッ。これもまた、中城ふみ子の歌集に揺らされた所為だろうか。ほんと、我ながら影響され易い奴・・・。フフフッ。
でもまあ、優れた歌集、と言うか、優れた作品と言うものは、時を隔ててもなお、まるで目の前にあるが如くに生き続けると言うことだろうなあ。フフッ。羨ましい~い。フフフッ。
長かった秋が終わって其々に
リラックスして優しくならん
ゴール見え少し気持ちが落ち着かん
前ほど恨み残らないかも
纏まりの無かった意見知らぬ間に
無難な方に纏まるのかも
年末の職場の合同会議では口々に不満、不安を訴えていた人たちも、後からフォローし合って、何とか無難なところに落ち着いたように思われる。
長かった秋、と言うか、盆から暮れまでが漸く終りを迎え、心なしか皆リラックスし始めたようだなあ。何だか優しくなった気がするぞぉ~。フフッ。結局、年を越すに当たって、気持ちの整理をしたかったのだろうなあ。そう言う私も、大掃除を終えて、こんなに落ち着いた気分でいるではないか。フフフッ。
緊張に凝り固まった此の身体
少しは解し新たな年へ
仕事をしている時は、大して筋肉運動をしているわけでもないのに、ふとした弾みで彼方此方の筋肉が引き攣ってしまう。嗚呼情けない。
2004年の暮れも押し詰まった頃、書斎の大掃除を終え、パソコンで気持ち好く歌日記(気取って山荘日記と呼んでいるので以後はそう呼ぶ)を付けていた時、階下から家人の晶子が私を呼んだ。
「父ちゃ~ん。友達の岸川さんやったかなあ? その人から電話やでぇ~」
折角気分が乗って来たところなのに、この気忙しい時期に、一体何の用だろう? 面倒だなあ。
私は何か書いている時に邪魔をされるのが一番腹立たしい。
しかし、そんなことは電話を掛けた主である岸川にとって与り知らないことであろう。仕方が無い。出てやるか。
「分かった。書斎の子機に回してぇ~」
暫らくして子機に回って来た電話を私は受けた。
「もしもし」
「おう。岸川やけど。どないしてたんや? いっこも電話してけえへんから、死んだと思てたでぇ」