sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

季節の終わり(12)・・・R2.7.18①

          第4章 晶子の日常

 

              その2

 

 森田晶子がどうにかこうにか教材作りを終えて勤務先である西都学校を出た時、もう6時過ぎになっていた。先輩の音楽教師、美山雪彦の虚しいお喋りに付き合っていた所為ばかりではなく、国語の教科書にある谷川俊太郎の詩を読むことによって色んな思い出が走馬灯のように頭を駆け巡り始めたのである。

 

 晶子は大阪府の南西部に位置する、勇壮なだんじり祭りで有名な泉南地区に生まれた。

 父母は共に九州から一角の出世を夢見て出て来た人であったが、既に世の中はそんなチャンスが中々見付け難い時代になっていた。

 父親は堅実ながら小規模な電子機器メーカーを何とか勤め上げ、1年ほど前に定年を迎えた。

 母親は独身時代に幾つかの職業を経験した後、家庭に落ち着き、晶子と姉の奈津子の学費が気になり出した頃からは近所のスーパーにパートで勤め始めた。そして今は専業主婦を自分の天職と自負し、父親と共に故郷に帰って気楽な年金暮らしを堪能している。

 そんな父母に慈しまれながら育った晶子は、決して大それた夢を持たない堅実な乙女になり、高校時代に通っていた音楽教室の声楽教師、吉野彩音に才能を認められながらも、そう迷うことなく関西音楽大学への進学を諦め、浪速教育大学の音楽専科を選んだ。そして大学に入ってから、晶子は周りの友達の華やかさに触れて漸く、

《何時も清潔で明るい家庭だとのみ思っていたけど、どうやら我が家は、物質的には決して恵まれていなかったようやなあ・・・》

 と気付いたらしい。それ程、愛に満ちた家庭だったのである。

 その後も地道に努力を重ねた晶子は、大学の4年時に教員採用試験に無事合格し、今所属している西都中学に勤めてから2年目になる。他人から見れば、まさに順風満帆というわけである。

 しかし、今、心の何処かに淋しい空白が丸っ切り無いかと言えば、そうでもない。独り住まいのマンションで夜、仕事疲れでぼぉ~っとしていて、ふと正気に戻ると、

《噂によると、高校時代、一緒に声楽を習っていた仲間、田尻美里が関西音大を優秀な成績で卒業し、今はプロへの道を目指しているらしい。確か彼女より自分の方が多少は才能に勝っていたはず・・・。どうしてあの時にもう少し我がままを言ってでも、自分の関西音大に進んでおかなかったんやろう。もしかしたら特待生になれたかも知れないし、それが無理でも奨学金とバイトで何とか学費を捻出出来たのかも知れない・・・》

 そんな後悔に似た思いに打ち沈んでいる自分を見出すことが、この頃時々ある。

 それでも生徒と接している時、特に吹奏楽クラブの指導に当たっている時はまあまあ楽しくて、余計なことを考えなくて済んでいる。松村美樹のように、自分の果たし得なかった夢を重ねられそうな生徒に出会えた時の喜びは、また格別であった。

 

 その美樹が、夏休みに入ってから、突然の病に倒れてしまったのである。しかも、お母さんの話によると、不幸にもどうやら不治の病であるらしい。

《嗚呼、これから私は一体どうすれば好いのやろう!? 何が出来るのやろう?》

 晶子は、純粋に美樹の不運だけを心配し、嘆いているのではなく、自分の価値観が土台から揺らされているような気がしていた。

《嗚呼、この世に神様なんて本当にいるのやろうか? 私は音楽の専門家になる道を諦め、こうして子どもたちに音楽の面白さを教える道を選ぶことになった。そんな私に、出来れば後進を育てられたら、と言う夢ぐらい持たせてくれても好いではないか!? それなのに、漸く対象となりそうな生徒を見付けて喜んでいたら、その美樹ちゃんの生命の炎がもう直ぐ尽きようとしているらしい。私が一体何をしたと言うんやろう!? そんなに悪いことなんかした積もりは無いのに・・・。嗚呼、私はこれから一体何を信じて生きて行けば好いのやろう?》

 何をしようが、そんなことに関係なく突然のように訪れる死、理不尽なまでに暴力的な死、と言うものを身近に感じて、晶子は何もかもが虚しいような気になって来るのである。

 この2週間、晶子は死に関する色んな本を読んだ。生に対する虚しさ、そして絶望感、死の怖さと言ったものを少しでも和らげる為である。

 しかし幾ら本を読んで考えてみても、晶子は、

《小さなことに悩み、揺れている自分は苦しいけど、ある日を境にこの自分が全く存在しなくなるなんて、とても信じられない。いや、決して信じたくはない。無くなってしまうぐらいなら、日々揺らされ続けている方がまだましではないのか!?》

 と言う気持ちが拭い去れず、独りになると悶々としていた。

 

 そんな晶子を救ってくれたのが、美樹が入院している近城大学附属病院に同じく入院中で曙養護学校の中学部の生徒である広瀬学、そして学の訪問担当教師である藤沢慎二であった。

《何かの完成、それも出来る限り効率良く、美しく、と求められることに、否応無しに慣らされて来た自分たちにとって、彼らが所属する社会のことは一体どう捉えれば好いのやろう? 考えてみれば、彼らは何も役立ちそうな物を生産していないのではないやろうか!? たとえしていたところで、殆んど生産性なんか上がっていないではないやろうか!? そやけど、人間が生きて行く上で大事なこととは一体何やろう? 何かを効率好く生産し続けることなのか? そうやとすれば、成長するとは、他人の手を借りずにそう出来るようになることなのか? しかし、それだけに価値観を求めると、結局、人は皆必ず衰え、死んでしまうことを一体どう考えれば好いのか!? そこまで言わなくても、努力しても結果が得られなかった時の評価はどうなるんやろうか? それに障害児の存在意義とは一体何なのか!?》

 ただ同情していれば好いだけの時は、自分達とは全く別の存在として理解しておけば済んだが、美樹を通じて彼らに関係するようになってからは、それだけでは済まない。いや、済ませたくない気持ちが晶子の中で無視出来ないほど大きくなって来た。

 そして、不思議なことに、そう思うようになった自分が、何時の間にか、何だか救われているような気がして来たのである。

 ともすれば今まで自分の歩んで来た道が虚しいものに思われたり、果たし得なかった夢を美樹に託すことで自分を慰めたりしていたが、本当は今までの自分が通り過ぎて来た過程にも十分意味があったし、時には喜びもあった。これからも目の前のことに精一杯努力して行く過程に意味、そしてそれなりの喜びもあるような気がして来たのである。

 そんなことを考え始めている時に出会った谷川俊太郎の詩は、乾いた砂に撒かれた水のように、晶子の胸の奥まで染み透って行った。

《何気ない日常の喜び、そして飾られた言葉により一見目を惹き付ける虚しい夢、その違いを鋭く感じ取れる自分でありたい》

 今、晶子は、そう強く思えるのであった。

 

        何気無い日常送るその日々が

        大切なこと身に染みるかも