第2章 大震災
その1
それは1995年1月17日、元号で言えば平成7年の早朝のことであった。藤沢慎二は、入居してから未だ半年にもならない建売住宅がガタガタと箱鳴りするのを聞いて、ぱっちりと目が覚めた。
南北に走る生駒山地、矢田丘陵に挟まれた狭隘な生駒谷における実際の揺れの方はそうでもなかったが、がっちり固められた剛性の強い箱が不気味な音と振動を確実に伝えていたのである。
慎二は起きて直ぐにテレビを点けた。
画面は混乱を極めていた。各地から次々と伝えられる情報を捌き切れず、溢れるままに垂れ流していた。
《一体何があったんやろう!? 最近には珍しくちょっと大きな地震のような気がしたけど、それどころではないようやなあ。とりあえず学校に行かなければなあ・・・。でも、晶子さんのところは大丈夫やろうか?》
慎二はテレビ画面に映し出された、どうやら震源地にまあまあ近いらしく、甚大な被害を受けているJRの神戸駅付近の様子を見ながら、前日、付き合い始めて間もない森田晶子と一緒にその辺りをふわふわしながら、のんびり歩いていたことを思い出した。
そして、そこからは大分遠いにしても、震源地である淡路島から見ると慎二の住む生駒地区よりは大分近い泉南地区に住む晶子の身を案じた。
《幾ら心配やからと言って、こんなに早く電話しては悪いやろなあ。大したことがなくて、未だ寝ているかも知れんへんし・・・》
父親の定年を機に、両親が生まれ故郷の九州に帰ってからも、晶子は自分の生まれ故郷である泉南を離れることが出来ず、生まれた時から住み慣れた文化住宅に独りで住み続けていた。
《築40年を超える木造の平屋で、いわゆる長屋らしいから、もし何かあったとしても、若い晶子さんやったら逃げるのはまあ容易いことやろなあ?》
そう思い、慎二は安心しようとするのであるが、この時ばかりは胸騒ぎがしてならなかった。
それからもテレビのニュースに噛り付いていた慎二は、7時前になり、諦めて家を出た。
近鉄生駒線の最寄り駅から生駒駅までは何時も通りの様子で、特に何も感じない。
ところが生駒駅に着いてからは、何時もと全く様子が違った。駅は人で溢れ、殆んど身動きが取れない。
それでも、生駒線ホームからコンコースに上がるまでは人ごみを何とか掻き分けながら上がれたが、奈良市の中心から大阪市の南部に向かう奈良線ホームに下りようとすると、既に限度を超えた人数でがっちりと固まったように一体化しており、全く動けなくなった。
慎二はそこで奈良線が完全に止められていることを知り、仕方なく家に戻ることにした。
帰ってから、慎二は早速勤務校である曙養護学校に電話を入れる。
みんなが一斉に掛けているのであろうか? 何度目かに漸く繋がった。
トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、・・・
📞はい、もしもし。曙養護学校です。
「あの~、もしもし~。おはようございます。中学部の藤沢です」
📞あっ、藤沢先生。先生は生駒に住んでいるんでしたねえ? 先生のところは大丈夫ですかぁ~!?
教頭のようである。管理職は何かあると逸早く出勤する必要があり、中々大変だ。そんな様子は全く感じさせず、全体の状況把握に努めている。
「ええ、大丈夫ですけど、生駒駅からの電車、それにJRの環状線が止まっているので、仕方が無いから休ませて貰います」
📞大変なことは分かりますが、先生自体が大丈夫だったら、何とか出て来れませんか!? 学校に来て、生徒たちのところの状況確認をして欲しいのです!
「えっ!? 電車が動いていないんだからそんなこと無理ですよぅ。第一僕は車を持っていませんし・・・」
📞そうですかぁ~。仕方がないですねえ・・・。分かりました!
「ところで、学校の方は大丈夫ですかぁ~?」
📞ええ、学校はまあ大丈夫ですが、被害を受けた先生や生徒がかなりいるようです。それで、とりあえず今日は臨時休校に決まりました。だから先生も、年休ではなく自宅待機と言うことで、電車が動き出したら直ぐに出て来て下さい!
「分かりました。明日、もし動いていたら出て行きますので、今日は休ませて頂きます。それでは失礼します」
生徒が登校しないと知って、慎二はホッとするものを感じていた。根っからの小心者の為、どんな事情があるにせよ、生徒が居る時に休むのは気が引けるのである。
と言っても、授業が遅れる、補欠に入ってくれる他の先生に迷惑が掛かる等の他人を気遣う意味ではなく、そのことによって自分が責められるであろうことを心配するのであった。
それから何度か晶子のところに電話してみたものの、深夜になっても通じず、結局通じたのは翌、1月18日の午後10時近くになってからであった。
状況がはっきりし出してからのニュースを見て、慎二はことの大きさに改めて驚くばかりであった。
突き上げる揺れを感じてテレビつけ
直ぐは大きさ分からないかも
少しずつ事の大きさ知るに連れ
色んな思い込み上げるかも
その2
話は少し戻る。
前年、すなわち1994年の年末、スキーツアーから帰った藤沢慎二は、ソワソワしてならなかった。直ぐにでも森田晶子と会いたかったが、未だ漸く手紙による連絡が付いたばかりで、いきなり電話して好いものかどうか? ちょっと迷ってしまう。
連絡が欲しいと言うからには好いに決まっているのに、電話をすると思うだけで震えが来る慎二には、とても出来そうになかった。
《野沢温泉村からとりあえず年賀状を出したし、次は彼女からの年賀状が来てからにしようか!? その方がええやろなあ。あんまり立て続けに連絡して、焦っていると思われてもなあ・・・》
どう見ても焦っているのに、慎二は出来る限り格好を付けておきたかった。そして、今直ぐに電話をしないしっかりとした理由が欲しかった。
元旦になり、ソワソワしながらポストを時々覗いていると、昼前、輪ゴムで束ねられた年賀状が届いた。
お急ぎで取り込み、居間に戻るまで待ち切れず、玄関先で誰から来たのか確認する。
クラスの生徒、出入りの本屋、職場の管理職、よく行っている家電量販店(この頃慎二はまだネットショッピングや通信販売を利用していなかったが、たとえば上新電機が通信販売を開始したのは1974年のことらしい)、友達、父親、祖父、親戚、この家に住み始める際に家具、カーテン等を揃えて貰った家具屋、普段利用している理髪店、同僚、元同僚、・・・、そして、
《あった!》
明けましておめでとうございます。
お元気ですか。
私は今、両親の元に遊びに来ています。
年が明けて、3日頃には大阪に戻る積もりです。
今年もよろしくお願いします。
1995年元旦
晶子
《どうやら晶子さんは今、九州の両親の元に居て、大阪には居ないらしい。と言うことは、今電話するわけには行かないなあ・・・》
慎二は、今直ぐに晶子のところへ電話しなくても済む明確な理由を得て、むしろホッとしていた。
しかし、暫らくすると、晶子が近くには居ない淋しさが感じられてならなかった。
九州までは、幾ら橋やトンネルで繋がっていると言っても、地続きと言う感じがせず、2人の間を繋ぐ元々細い道が更に細く、不安なものに感じられるのであった。
《今から返事を書いて出せば、4日か5日ぐらいには着くなあ?》
書斎にしている2階の荷物だらけで納戸のような6畳の和室に入り、慎二は机の上に便箋を開いた。
親愛なる晶子さま
明けましておめでとうございます。
お元気そうで何よりです。
僕は野沢温泉村でのスキーツアーから帰って来て、そしてあなたからの年賀状を手にして、喜び一杯でこの手紙を書いています。
あなたがクリスマスカードで書いて下さった、僕がそばに居ないことを淋しく思った、と言うことは本当でしょうか。
本当ならばこんなに嬉しいことはありません。
僕も、松村美樹ちゃんのことがあってからあなたに会えなくなり、時間が経てばまた会えるようになるかも知れないと思いながらも、あなたに会えない時間が淋しくてなりませんでした。
今、昨年の11月から退院している広瀬学君と毎日一緒に過ごしているので、学君を通して日々、美樹ちゃん、そしてあなたとのことが思い出され、その気持ちはより強くなっています。そして、美樹ちゃんのことが返す返す残念で、哀しくなっています。
でも、あなたの漸く落ち着いて来た様子を思うと、手放しで喜ぶのもどうかと反省はしていますが、美樹ちゃんのことを決して忘れることなく、これからぼちぼちとあなたとお付き合い出来ればとも思い始めています。
そんなに焦ってはいませんので、何時でもいいから一度会って頂けませんでしょうか。のんびり返事を待っています。
1995年元旦
慎二
勇気を奮って初めてのデートに誘い、慎二はこれから2人の関係がより深い方向に動き出す予感に震えていた。
《嗚呼、麻衣子と結婚する気やったら、本当はこのときめきがなければいけなかったんやなあ!? そんなん、いっこもなかったもんなあ・・・》
大晦日から殆んど寝ておらず、碌なものを食べていなかったのにも拘らず、慎二は一気呵成に手紙を書き上げ、何度も見直し、封筒に入れて、投函する為に駅前の郵便局にあるポストに向かった。
それから数日後、晶子からの手紙が届いた。
《何やえらく反応が早いなあ!? 九州から帰って来て俺が出した手紙を受け取り、それから直ぐに返事を書いてくれたんやなあ・・・。それだけ俺とのことを真剣に考えてくれているんやぁ~!?》
そう思うだけで慎二はその手紙が芳しく、勿体無いものに思われ、じっくり重みを味わってから開封した。
親愛なる慎二さま
なんて書くのは、中学校で習った英語の教科書に出て来がちな表現を思い出して、何だか恥ずかしいですね。
あなたが相変わらずこんな私のことを真剣に思っていて下さるのを知り、嬉しく思っています。
そして、美樹ちゃんのことを忘れないようにしたい、と言うあなたの優しさに感動しています。
私も勿論その積もりでいます。
それから、学君が退院して、毎日元気に登校しているようで、何よりです。
さて、私は九州で両親、祖父母、叔父、叔母たちと会い、のんびり過ごして来ました。
その間、時々あなたのことを思い出しましたが、大勢の愛に包まれているからだけではなく、あなたとまた会えると信じていましたから、もう淋しくはありませんでした。
今、私は独りで住んでいますし、夜は結構遅くまで起きており、時間を持て余していますから、何時でも遠慮なく電話して下さって結構ですよ。下に電話番号を書いておきます。
それではまた。さようなら。
1995年1月4日
晶子
0745―××―××××
歓喜! これしかなかった。
安永麻衣子との時も付き合い始めがあったはずなのに、お互い他のことに意識が行っていたから、相手と会える喜びと言うより、事がそれぞれの自分の都合と言う意味において上手く運ぶ満足感でしかなかったのである。これほどの恋愛に対する冒涜はなく、当然恋愛の感動などあるはずがなかった。
慎二は早速受話器を握り締め、指先を震わせながら、間違えないように何度も確認して晶子に電話を掛けた。
トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、・・・
📞はい、もしもし、森田です。
「あっ、もしもし。こんにちは。藤沢です!」
📞あっ、こんにちは・・・。
慎二と同様に晶子も電話が大の苦手のようで、ちょっと緊張しながら慎二が何か言い出すのをじっと待っている。
「今、時間はよろしいですかぁ~?」
📞あっ、はい!
「あの、出来れば近い内に会いたいんですけど、何時なら都合が好いですか? 多分晶子さんの方が忙しいと思うので・・・」
📞そんなことはないですけど、そうですねえ、それならば明後日の夕方はどうでしょうか? 午前中に始業式があって、午後は少し会議があるだけだから、3時には学校を出られます。
「明後日ですかぁ~? 今、手元にあるからちょっと予定表を確認してみなすね・・・。明後日なら、僕のところも午前中に始業式があるだけだから、大丈夫ですよ! それでは明後日の4時頃、大阪駅の中央コンコースにある噴水前辺り、と言うことで好いですかぁ~?」
📞ええ・・・、それなら大丈夫だと思います。
「そしたら、そう言うことで、よろしくお願いします。さようなら・・・」
📞さようなら。おやすみなさい・・・。
電話を切った後も慎二はその場を動かず、相好を崩しながら余韻に浸っていた。
声楽をやっていただけあって、晶子の声には艶があり、それに情感が籠もっているだけに何時も以上にしっとりとして、胸に染み入るようであった。
手紙から電話と距離が近付いて
更に思いが込み上げるかも
少しずつ二人の間近付いて
胸の温もり感じるのかも