sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

そして季節の始まり(10)・・・R2.8.6①

          第3章 光り輝く日々

 

            その4

 

 1995年1月29日の午前10時前、藤沢慎二の元に待ち侘びていたステレオコンポが届いた。

 

 先ずアンプであるが、サンスイのAU‐α707XRで、これは重量23kgと、中身の詰まったずっしりと重いプリメインアンプである。低音に力を持ち、余計な色付けがないしっかりとした音を聴かせてくれる。主張がないのが主張と言えそうな通好みの中堅アンプであった。

 慎二は以前、このアンプの2代前の機種を持っていて、十分満足していたので、同価格帯の他メーカーの製品には目が行かず、迷わずに注文したのである。

 ところで、以前持っていた物はもの弾みでその頃勤めていた秋川高校の卒業生に上げてしまった。

 そんなに気に入っていたのならば、幾ら教え子とは言え、何故そんな風に気前好く上げてしまったのか!?

 自分では気前好くとも思っていなかったが、上のアンプを買う際にニノミヤ無線の店員にその話をすると、ちょっと呆れた顔で気前好さを言われたので、気付かされた次第である。

 それはまあともかく、上げた理由は単に本の置き場がなくなり、その時は、本の置き場を確保する為にはたとえ大好きなステレオでも上げてしまいたい気分だったのである。慎二らしいと言えば極めて慎二らしい誠に気まぐれな行動であった。

 そして慎二は、気まぐれの結果、かなりの影響が残っても、それについては出来る限り淡々としているのが男であると思い込んでいた。

 

 またスピーカーであるが、ダイヤトーンのDS‐1000ZAで、これも1本で30kg近くあり、ずっしりと重く、3本のスピーカーユニットからなる密閉式でまあまあ大型の3ウェイの密閉式ブックシェルフ形のスピーカーである。大音量アンプからの瑞々しく力強い音の背景にあるまでをしっかりと受け止め、聴くものに向かって余すことなく伝えてくれる中堅スピーカーであった。

 慎二は大分前からダイヤトーンの中型で2ウェイの密閉式ブックシェルスピーカー、NS‐500をサブシステムとして2階の書斎で愛用しており、その時からダイヤトーンの音が気に入っていたので、今度はもっと大き目で、低音のしっかり出るダイヤトーンのスピーカーが欲しくなったのである。

 

 それからCDプレーヤーであるが、ソニーのCDR‐XA5ESで、これも15kg近くあってずっしりと重く、真ん中に収納トレイを持つCDプレイヤーである。以前ならば数10万円はする機種に用いられていた技術を応用し、価格を超える表現力を持った中堅機種であった。

 これは慎二の好みで選んだわけではなく、予算に見合い、組み合わせ上、合いそうな機種をベテラン店員が紹介してくれたのである。同価格帯の製品の中では一番慎二好みの引き締まった音を出してくれた。

 それにデザイン、動きの重厚感を所有欲を程好く刺激してくれたのである。

 

 さて、箱から出して2階のリスニング室まで運び上げて貰ったステレオを惚れ惚れと眺めていると、直ぐに時間が経ってしまう。

 ふと時計をみると、もう11時前になっていた。

《晶子がやって来るのが昼前って言ってたから、後1時間ほどしかない・・・》

 焦りを覚えた慎二は大急ぎで結線をし始めた。

 勧められて買ってみた太いスピーカーコードが思いの外繋ぎ難く、何度も捩り直して、少しはみ出しながらも何とか繋ぎ終えた時には既に12時前になっていた。

 その時、遠くから電話の呼び出し音が聞こえたような気がし、遅れて、

 

   トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、・・・

 

 と書斎に置いてある子機が鳴り出した。

《来た!》

 慎二は慌てて子機を取り上げ、息を弾ませる。

「は、はい。もしもし」

📞もしもし、こんにちは。晶子です。今、駅に着きました。

 初めての土地に来た緊張の所為か?晶子の言葉が以前のように丁寧になっているのが可笑しい。

「着いた! 好かった、好かった・・・。ほな、直ぐに迎えに行くから、駅から出たところで待ってて!」

 慎二は、取るものも取り敢えず、玄関の鍵だけを閉めて、慌てて家を飛び出した。

 

 日は既にすっかり高くなっており、生駒山が燦然と輝いていた。

《この生駒山を見て、この土地を気に入って貰えると嬉しいなあ・・・》

 漠然とそんなことを思いながら、慎二は最寄り駅へと続く下り坂を飛ぶように駆け下りて行った。

 晶子は駅前のロータリーに独り佇み、不安そうな様子で待っており、遠くから迫って来る慎二の嬉々として上気した顔を確認すると満面の笑みを浮かべた。

 慎二はそんな晶子の喜びに溢れる顔を見付けて、更に道を急いだ。

 

「ごめん。待った? 遠かったやろう!?」

「うん、遠かった・・・。でも、来るまでの景色が好くて楽しかったわ!」

「景色が好かった!? そうやなあ。生駒山が綺麗やろう?」

 慎二としても、自分が住んでいるところを気に入って貰えて嬉しい。それに、さっき自分でもそこに晶子を重ね合わせたばかりであった。

「うん、今見える生駒山も綺麗やけど、電車の中から下の方に曲がりくねった川や、ごろごろと大きな岩が見えるねん。それが何とも言えず、ええ味を出していたわ・・・」

「うん? もしかしたら、王寺の方から来たんかぁ?」

 どうも話が合わないと思っていたら、晶子は鶴橋回りではなく、天王寺回りで来たらしい。

「うん。そうやねん」

 それから慎二は晶子の荷物を受け取り、上り坂も苦にせず、弾むような足取りで家まで案内した。

 

 慎二の家に着き、リスニング室に通された晶子は、荷物の中から早速CD2枚とワインを取り出した。

 ワインを部屋に置いてある小型冷蔵庫に入れた後、慎二はCDを手に取り、しげしげと見て、

「ふぅ~ん、中丸三千繪? どこかで聞いたことがあるような名前やなあ。もしかして、結構有名なソプラノの歌手やったかな?」

 と、晶子の目を不安げに見ながら確認する。

「そう、よく知ってるやん! まあ掛けてみて」

 晶子は慎二の自信を損なわないように先ず承認してくれる。

「分かった・・・」

 言われるままに慎二はCDを取り出し、セットした後、おもむろにスイッチを入れた。

 ちょっと得意気である。さっき音響調整に好いと言われていた松田聖子のCDを使って取り敢えず音のチェックだけはしてあった。

 

 余談であるが、何でも松田聖子の声には色々な要素が含まれて不思議な魅力があり、それが自然に聴こえるオーディオは性能が好いらしい。つまり、オーディオチェックに最適だと言うことである。

 

 それはまあともかく、晶子は何も言わず、頭をちょっと傾け、確かめるように聴いている。

《気に入らないのかなあ、この音!? 俺は好いと思うけどなあ・・・》

 慎二が不安になり掛けた頃、晶子は漸く口を開く。

「ふぅ~ん、中丸さんはこんなに好い声をしていたんやぁ~。そうや、コンサートでも確か、こんな声やったなあ・・・」

 慎二としては何と言って好いのか分からない。

「ごめん。普段家で聴いているCDラジカセの音とは全然違うもんで、ちょっとびっくりしててん・・・」

 それですっかり気を好くした慎二は漸く胸を撫で下ろし、一緒に昼食を摂り、話を弾ませた。

 

 話が一段落し、途切れた頃、音楽も終わっていた。

 晶子が何だか物思いに沈んでいる。

《一体どうしたんやろ!? もしかしたら何か気に障ることでも言うたんかなあ?》

 不安になって来た慎二は確認せずにはいられない。

「どうしたんや!? 疲れたんか?」

「いえ、ごめん。美樹ちゃんと学君のことを思い出しててん・・・」

「美樹ちゃんと学君のこと?」

《折角好い雰囲気になって来た時に、晶子は一体何を言い出すんやろ!?》

 想像が付かなかったので、不安ながらも慎二は黙って先を聞くことにした。

「私たちは今、こんなに楽しそうにしているけど、美樹ちゃんと学君はもう会えないんやなあ、と思うと、何だか悪いような気がして来て・・・」

「そうやなあ・・・」

 

 晶子の優しさに感動し、慎二もしんみりとなって松村美樹と広瀬学の美しい恋のことを思い出していた。

 自閉的傾向が強く、軽度の知的障害を持つ養護学校の生徒である学と中学校でも優等生であった美樹とが大学病院で知り合い、立ち待ち意気投合して、美樹が亡くなるまでの間、飯事のような遣り取りをしていたのは、恋と言うにはあまりに幼いのかも知れないが、精神的には確かに恋であった。

 死と隣り合わせの2人が世間の基準や外見を離れ、心の惹き合うままに魂の遣り取りをする姿に、大人たちはもう何も言えなかった。

 

「そんな時はこんな風に、美樹ちゃんや学君のことを静かに偲んだらええねんやろなあ・・・」

 慎二がしんみりと言うと、晶子は黙って頷く。

 黙っているのも辛いから、晶子の表情を確認しながら慎二は更に言葉を重ねた。

「確かに、美樹ちゃんとこの世ではもう会えないかも知れんなあ。でも、僕らが生きている限り、心の中には何時までも美樹ちゃんが生きていると思うでえ。それに、学君なんか、今でも時々美樹ちゃんと遊んでいるみたいやもん・・・」

「ええっ!? それ、ほんと?」

 晶子が話に乗って来たようである。慎二は意を強くして、

「そうやでぇ。前にも言うたように、今、学君はちょっと元気になったから退院して、毎日元気に学校に来ているんやけど、興が乗って来ると美樹ちゃんの名前が出て来て、僕と2人で居てても、まるで3人で居るみたいやでえ」

「何だか怖い・・・」

「信じられへんかぁ~?」

「そうやないの。私のところ、カトリック信者やって前に言うたやろう? その所為もあってか? お母さんがよく霊を見るらしいねん。そやから、私も信じているよ。そやから余計に怖いねん・・・」

 そう説明しながら晶子は、本当に怖そうな様子で全身を小刻みに震わせている。

《抱きしめてやりたい!》

 そう思いながら慎二は、未だテーブルを挟んだまま、それ以上近付きも出来なかった。

 同じ部屋に2人切りで居る分、余計に行儀好くしなければ、と言う歯止めが無意識的に強く働いていたのである。

 

「僕も、半分クリスチャンやから、その気持ち、分からんことないよ」

「半分!? それどう言うこと?」

 晶子は、慎二が何を可笑しなことを言い出すのだろう!? と言うような顔をしていた。 

「僕はミッション系の幼稚園を出ていて、ほら、こんな風に一杯聖書を持っているやろ。大きくなってからもキリスト教のキャンプに行っていたし、何となく引かれるものがあるねん」

 そう言って慎二は、部屋の彼方此方の本棚から聖書を数冊取り出して見せる。

 晶子が何も言わずに聞いているので、慎二は更に自分の宗教体験を説明することにした。

「僕は半分趣味みたいなもんで、宗教自体に興味があって、普段から浄霊とか、幸福の科学とか、原理研究会とか、エホバの証人とか、色んな宗派の話を聴いたり、本を読んだりするねんけど、もう一つ乗られへん。そやけど、キリスト教だけは何となく離れられへんねん・・・」

 晶子は慎二が自分のような真っ当な信者ではなく、どうやら宗教フリークらしいと知り、かえって安心したようで、

「私も大学の時、よく原理研究会の人に引き止められて、長いこと話を聞かせられたもんやわぁ~」

 と言いながら、懐かしそうな顔をする。

「そうかぁ~!? 僕も大学で原理研究会の人によう引きとめられたわぁ~。適当に付き合うもんやから、余計に長くなってしもて・・・。それはまあともかく、お互いに美樹ちゃんと学君のことを忘れなければ好いと思うねん!」

「そうやねえ・・・」

 

 納得したのかそれからまた話が弾み、気が付くと辺りはすっかり暗くなっていた。

「あっ、もうこんな時間やぁ~!? 晩御飯も食べて行くやろう?」

「うん。食べさせて!」

 どうやら晶子はその積もりで来たようである。

「ほな、夕食は下で鍋でもしよかぁ~!? と言うても、煮込みラーメンやけどなあ。ハハハ。それでええやろう?」

「えっ、作ってくれるのん!?」

「ご免。白菜だけ切ってくれる?」

「ウフフフ。上手くはないけど、別に好いわよ」

 晶子は面映そうに台所に立つ。

 慎二はカウンター越しに見える晶子の姿にホッとするものを感じていた。

 

 ワインを開け、ささやかながら幸せな食事を終えた時には、時計はもう8時を指していた。

「あっ、もうこんな時間!? 明日が早いから、そろそろ帰らないといけない・・・」

 2時間近く掛かってここまで来たらしいから、慎二としても初日からこれ以上引き止めるわけには行かない。

「そうかぁ~。ほな、駅まで送るわぁ~」

 

 最寄り駅へと続く下り坂の道で信じは思い切って晶子の手を取る。

 晶子はそれを少しも避けず、その上にもう一方の手も包むように添えた。

 その日の慎二は、もうそれだけで十分に幸せであった。

 

        細やかな食事共にし其れだけで

        大きな幸が得られるのかも

 

        何気ない話を交わし其れだけで

        大きな幸が得られるのかも