第2章 学の恋
その4
松村美樹と暫らく遊んだ後、広瀬学はニコニコしながら病室に戻って来た。
病室で編み物をしながら待っていた母親の朋美はそんな学の様子を見て、自然と微笑んでしまう。
《不治の病に侵されていることを自分なりに何となく感じているのかしら? このところずっと塞ぎ込んでいるか、しんどそうな顔をしていた学が、こんなに幸せそうな顔をしているなんて・・・》
と、不思議でならなかった。そして、
《自分もしんどいだろうに・・・。それに、自分に比べて内面的に酷く幼い学と遊んでも大して面白くはないだろうに・・・》
と、全く違和感なく付き合ってくれている美樹のことを思うと、感謝するだけではなく、子どものしなやかさが羨ましくなって来た。
「学、美樹ちゃんと遊んで来たのぉ? 面白かったぁ?」
「はい。学君、美樹ちゃんと遊んで来ましたぁ。プレイルームでダイヤブロック遊びして来ましたぁ。学君、とても面白かったですぅ。学君、美樹ちゃん、大好きですぅ。学君、大きくなったら美樹ちゃんと結婚しますぅ」
《あらあら、この子は! 一体何を言い出すんだろう?》
という顔をしながらも朋美は逆らわずに、
「そうだったの。学は美樹ちゃんのことが大好きなのねぇ? 大きくなったら、本当に結婚出来ると好いわねぇ・・・」
と言うと、学は益々調子に乗り、
「学君、美樹ちゃんと結婚して、朋美と正二みたいに、子どもを2人作りますぅ」
「ははは。早過ぎるわよぉ! それはしっかり勉強して、大人になってからねぇ! ははははは」
朋美は笑い出してしまい、やがて目を真っ赤に潤ませた。
学が知的障害児であり、美樹が健常児であるという厳しい現実だけではなく、殆んど将来に見込みがない2人のことを思うと、遣る瀬無い気持ちで一杯になって来たのである。
そんな母親の気持ちには気付かないかのように、学はベッドサイドのもの入れから、子ども用の学習ノートを取り出した。マス目が入っている作文用のノートで、訪問担当教師の藤沢慎二に勧められて、学は入院してから日記を付けている。
9がつ10にち
まなぶくんはふじさわせんせはべんきょうしまいた。ぷりんとはけいさんはしまいた。むずかしかたです。
まなぶくんはみきちゃんはおやつしまいた。ぷりつはおいしのです。
まなぶくんはみきちゃんとぶろくはあそびまいた。たのしかたです。
ふじさわせんせはもりたせんせはとてもすきです。かおはまかかです。
まなぶくんはみきちゃんはだいすきです。けこんします。こどもはふたりはつくります。
それだけ書くと満足したのか? 学はベッドに横たわり、直ぐに寝入った。慎二が言うように、どうやら日記には学を落ち着ける効用があるらしい。
朋美は学の書いた日記をさも愛しそうに手に取り、何ページか前からゆっくりと読み始めた。
8がつ27にち
まなぶくんはまつむらみきちゃんはきようはにういんしまいた。
みきちんはまなぶくんはびようきはとてもしんどいです。
みきちゃんはまなぶくんはおなかはぐりぐりありまいた。
まなぶくんはみきちゃんはびようきはとてもしんぱいです。
みきちんはしんどいのでたくさんねまいた。
8がつ30にち
まなぶくんはみきちんとおはなししまいた。
みきちんはたくさんちうしやうたれまいた。みきちんはまなぶくんはいたいからいやだいいまいた。
まなぶくんはみきちんはいしょにおやつたべまいた。かあるとぷりつたべまいた。おいしかたです。
9がつ1にち
まなぶくんはみきちゃんはぶろくあそびしまいた。
みきちんはまなぶくんはとてもかわいいです。しらゆきひめみたいです。あややよりかわいいです。
まなぶくんはみきちんはぶろくはおしろつくりまいた。
9がつ3にち
ふじさわせんせはもりたせんせはあいさつはこんにちわはしまいた。
ふじさわせんせはかおはあかいです。
ともみはふじさわせんせはわらいまいた。
ふじさわせんせはまなぶくんはかんじはぷりんと3まいはしまいた。
あとでともみはふじさわせんせははなしはしまいた。
そこまで読んで、朋美は学の日記を置いた。
目を真っ赤にしている。
どうやら、美樹の訪問担当教師である森田晶子に惹かれ、緊張し切っている慎二の姿を思い出して笑っている内に、学と美樹の関係に思いが至り、また遣る瀬無い気持ちになって来たらしい。
惹かれ合う二人の未来見えなくて
思い出したら遣る瀬無いかも
その5
学が昼寝から目覚めたのは夕食が運ばれて来た時であった。この頃、薬の所為か? 学はよく寝るようになった。
学が寝ている間に朋美は近所の商店街で夕食の買い物を済ませておく。それが学の入院時の朋美の生活パターンになった。
病院食は冷めている上に、栄養のみを重視しているのか? あまり食べる気がしないようなので、朋美はついでに買って来たレトルトのカレーや中華丼、それにウインナーソーセージ等が入ったスーパーの袋を学に渡しておく。
学はその中から中華丼とウインナーソーセージを取り出し、いそいそとしてミニキッチンのある給湯室に向かった。
病院としては栄養、カロリー等の綿密な計算の元に食事を提供している積もりなので、本当は好ましくないのだろうが、学がそんな風に病院食以外の食事を公然と持ち歩いていても、今はもう何も言わない。
給湯室に入った学は、早速鍋に水を入れ、コンロに掛けた後、ご飯のレトルトパックを開け、水をほんの少し入れてから、電子レンジに入れ、タイマースイッチを捻った。慣れたものである。
そこに美樹もやって来た。
「やっぱりぃ。学君、ここにいたのねぇ。好かったぁ・・・」
美樹は上気して、昼間より生気が戻り、元気そうに見える。何か好いことでもあったのだろうか!?
「美樹ちゃん、さっきより元気ですぅ。よかったですぅ。学君、中華丼とウインナー食べますぅ」
学は嬉しくて仕方がない様子である。
「美樹にも分けてくれるぅ? 夕食が何だか進まなくてぇ・・・」
「美樹ちゃん。学君、中華丼とウインナー分けてくれますぅ」
「ありがとう。助かったわぁ!」
話は簡単に付いたようで、それから2人は肩を並べて、仲好く調理を続けた。
そんな2人の飯事のような微笑ましい様子を、朋美は柱の陰から息を殺してじっと見詰めていた。
飯事に興じる二人切なくて
そっと蔭から見詰めるのかも