sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

そして季節の始まり(9)・・・R2.8.4①

          第3章 光り輝く日々

 

            その2

 

 1995年1月24日の夕方、藤沢慎二は早めに勤務校である曙養護学校を出て、京橋の京阪モール内にあるアクセサリー店を覘き、付き合い始めた森田晶子が誕生日プレゼントとして望んでいた銀の指輪を探した。

 長い間、ずっとピアノを弾いている晶子の指はかなり太いらしく、サイズが16と聞いている。

《そう言えば麻衣子は9やったなあ。大分ちゃうなあ。晶子さんがそんな大きなサイズはあんまりないって言うてたけど、どうやろう?》

 覘いたのは銀や安価な石のアクセサリーを中心に扱う店で、どうやら若い女性が自ら選ぶ為か、または地味な学生カップルがバイトのお金を握り締めて初めてのプレゼントを一緒に選ぶ為に覘くようなお店らしく、もう中年に差し掛かっている慎二にとってはどうも違和感がある。

 落ち着かないままに探していると、サイズが15を超えるような物は中々見付からなかった。

 可愛いデザイン、繊細なデザインを諦め、男性の指にでも合いそうな無骨な物に目を移すと、寸胴の円筒にrenomaとロゴが入っただけの物の中にサイズ16の物が何とか見付かり、仕方がないからそれに決めた。

《でも、普段着ているものから考えて、合わなくもないか!? まあこれにしておこう! でも、これだけやったら愛想がないから、他にも何か気の利いたものはないかなあ?》

 そう思った慎二は次に本屋を覘き、木の写真集を選んだ。

 晶子が素朴なものを好むようなのと、晶子の父親が写真を趣味にしていると知ったので、案外喜んで貰えるかと考えたのである。

 

 天王寺に着いた慎二は晶子と落ち合い、駅近くにあるはずのちゃんこ屋に誘い、あっさりと同意したので、案内することにした。

 本屋を覘いた時にタウン情報誌、「ぴあ」を立ち読みしていると目に付き、手頃そうだったし、

《こんな店では多分座敷に通して貰えるだろうから、夕食はちゃんこ鍋でもつつきながら、のんびり話を楽しむことにしよう》

 と思ったのである。

 店は案に相違してこじんまりしていたし、結構込み合っていたので、2人だけと見て店員は迷わずカウンター席に案内した。

 慎二は郊外にあるちゃんこ屋ばかりに行き付けているので、多少戸惑ったが、異議を唱えるほどの勇気はなく、晶子も特に反対しなかったので、とりあえず食事だけはここで済ませておくことにした。

 大勢の客で雑然と混み合う中で落ち着かないままにプレゼントを渡す気にもなれず、慎二は黙々と食べることに専念する。

 晶子もくすぐったそうに黙々と食べていた。

 

 そして、早目に店を出た2人はどちらからともなく笑い出す。

「ははははは。何だか落ち着かなかったけど、まあまあ美味しかったなあ!?」

「そうね。まあ美味しかった・・・。でも、何だか臭くない?」

「そうかぁ~。店員さんが、ニンニクが入っている、って言うてたなあ。でも、僕は鼻が利かないから、あんまり分からへんわぁ~」

「ウフフフ。私も。ウフフフフフ」

「ハハハ。そりゃ好かった。ハハハハハ。さて、未だ時間はええんやろ?」

 晶子は腕時計を見ながら頷く。

「そうしたら、今度はもうちょっと落ち着けるところがええなあ・・・」

 そう言いながら慎二は通天閣の方を見て、前に難波にあるサウスタワーに行ったことを思い出した。

 サウスタワーとは高層ビルで、その高層階にあるラウンジからの見晴らしが素晴らしかったことを思い出したのである。

 ただ、これも一緒に行ったのは結婚寸前まで行って婚約解消してそうは経たない安永麻衣子であるから、ある意味慎二らしいと言えば慎二らしい。

 

 ラウンジでは壁側の席に案内され、期待は外れたが、ソファーがゆったりとしていて寛げそうだったから、慎二はここで落ち着くことにした。

「はい、これ。お誕生日、おめでとう!」

 ソファーに腰を掛けたら早速、慎二はちょっと震える手で晶子にプレゼントを渡しながら、

《嗚呼、こんなに嬉しいプレゼントをしたのは何時以来かなあ!?》

 とむしろ自分が感動に包まれていた。

 晶子ははにかみながら受け取り、

「ありがとう。開けても好い?」

 と聞くので、慎二は優しくなった目で承認する。

 晶子は一つ一つに感動の面持ちであった。

 そして、慎二は自分のちょっとした努力を素直に受け入れて貰え、感動を更に大きくしていた。

 

 それから少し会話を弾ませただけのつもりが、直ぐに時間が経ち、時計は早10時を指している。

 慎二は、これ以上ここにいると翌日からの授業に響くし、土曜日にも会う約束をしているので、この日は諦めてここで大人しく帰ることにした。

 晶子も勿論それに異議はなかった。

 

 家に着いたのが11時過ぎ。慎二は少し迷いながらも我慢出来ず、受話器を手に取る。

 晶子もちょうど帰ったところのようであったが、嫌な様子も感じさせず、それから2人は2時間近く話を弾ませた。

 

 恋と言うものは本当に馬鹿馬鹿しいものである。毎日こんなことを繰り返していれば何時か持たなくなると分かっていながら、お互いにそんな風に繋がろうとせずにはいられなかった。

 しかし、未だキスは勿論、手も握ろうとしない。

 晶子はさておき、慎二はもう若くもないのに、そんな真面目な中高校生のような恋でも十分に幸せであった。

 ただ、流石に体力的にはきつくなって来ており、晶子から言い出したように、そろそろ次の段階に移る時期に来ていたのかも知れない。

 

        プレゼントする嬉しさに舞い上がり

        時間作って落ち合うのかも

 

        離れても直ぐに恋しくなり出して

        夜遅くまで電話するかも

 

            その3

 

 1995年1月28日の夕刻、藤沢慎二が勤務校である曙養護学校を出てその最寄り駅に向かう道を浮かれながら、鼻歌交じりで歩いていると、肩を並べ、覗き込んで来る人影があった。

 ぎょっとして身を引きながら目を凝らすと、時々書き物を見せ合う先輩の秋山本純であった。

「秋山先生、びっくりさせないで下さいよぅ! ほんとにもぉ~っ」

「ご免、ご免。でも、何だか嬉しそうやなあ!? もしかしたら、明日、何かええことでもあるのかな? たとえばお見合いとか」

 慎二がちょっと嬉しそうな顔をしていると皆、見合いでもするのか? と言って冷やかそうとする。

《そんなに俺は持てなさそうに見えるのかなあ。期待に反するようで悪いけど、今回ばかりは、違うんだよなあ。フフッ。晶子さんみたいに若くて綺麗な人と付き合っていると知ったら、皆、びっくりするやろうなあ。フフフッ》

 慎二は内心得意気になりながらも、付き合いが好いので、何時もの自信なさそうな顔を崩さない。

「違いますよぅ。フフッ。別に何もありませんよ。フフフッ」

 未だ人に話すのが躊躇われるが、訊いて欲しい気持ちも大分膨らんで来ている。

「いや、きっと何かあるはずや!? この頃、生徒が帰ったらさっさと学校を出るし、その時、何時もにやにやしているし、何やおかしいと思てたんやけど、やっぱり何かあるんやなあ、これは? 今日こそは言うて貰うでぇ~」

 今日の秋山はえらく執拗である。

「怖いですねぇ。先生こそ、一体どないしたんですかぁ~?」

「それだけ皆、君のことを心配していると言うことや! 有り難いと思いやぁ~。折角結婚出来そうになっていた君が秋口に別れた、と聞いて、もう21世紀になるまでは縁がないやろ!? 可哀想になあ、と皆で心配していたんやでぇ~」

「心配してくれるのは有り難いですけど、何ぼ何でもそれは言い過ぎですよぅ! 僕はそんなに持てないことないですよぅ・・・」

 そう言いながら、慎二はちょっと鼻を蠢かす。

 隠しておけない奴である。既に殆んど得意な顔になり掛けている。

 秋山はそれを見逃すような輩ではなかった。

「ほら、やっぱりいいことがあるんだぁ~!? 隠さんと、それを言うてみぃ。悪いようにはせえへんから」

《それでは一体何をしてくれるんやろう? どうせ冷やかすだけではないか!? 僕が麻衣子と完全に別れたことを知った時も、陰で噂をして面白がるだけで、別に助けてくれるわけでもなかったし・・・》

 とは思うものの、皆の期待に応えたい気もする。

「仕方がないですねえ。そうしたらちょっとだけですよ」

 そう言いながらも慎二は今までの経緯について堰を切ったように微に入り細に入り話し始めた。

 隠す素振りをしながら、実は誰かに話したくて話したくて仕方がなかったのである。誰も秋山のようにはしつこく迫ってくれなかっただけのことであった。

 

「そうかぁ~。ええ話やん! それで松村美樹ちゃん、やったかなあ? 美樹ちゃんが秋に亡くなってから気持ちを落ち着ける為に、森田晶子さんは冬まで喪に服し、その後で君の元に、晶子さんからの愛のクリスマスカードが届いたわけや!? ふん、ふん」

《何時もオヤジギャグばかり飛ばしている秋山先生から、愛のクリスマスカード、なんて言われると、何や安っぽくなるなあ・・・》

 と思いつつも、慎二は秋山の真摯になった目に嘘は感じられず、ちょっと感動すら覚えていた。

 それから何度か手紙の遣り取りをしたこと、やがてデートを重ね、明日、自宅に招いたことまでついつい話してしまった。

 

 納得の行くまで聴き終えた秋山は、

「好かったやん! それは楽しみやなあ・・・。ええか。折角そこまで来たんやから、ここで焦ったらあかんでえ。でも、時を得たら、男は大胆にもならなあかん。そこが難しいとこや! 今は行儀好うしてるけど、実は君を抱きたくて仕方がないんや、君のことが好きやから我慢してるだけや、でも、とうとう君の魅力に負けてしもた、ご免、と言う感じやなあ、その迷いが可愛いんや! その男の可愛さを十分に見せなあかんでえ」

 と、男の先輩として、恋の駆け引きを伝授せずにはいられない。

 秋山とて、本当は恋に関して大した実践経験があるわけではなく、一般的な性教育の教科書の受け売り、詰まりは机上の空論であったが、生半可な知識を持つと教えたくなるのが教師の性であった。

 それだけではなく、年の割に幼く、また失敗に少しも学んでいない慎二を見ると、教師でなくても教えたくなるようである。

 ただ、それはあくまでそう見えるだけのことで、実際の慎二はみんなが思うほど、そんなに素直でも純粋でもなかった。

 他人が一生懸命教えようとしても、聴いているように見えて、慎二はその教えを守ったためしがない。他人から何と言われようが、自分の思うようにしか決してしようとしないのであった。いや、出来ないのであった。

 

 その日は結局、秋山は京橋まで付き合う羽目になった。

 秋山の自宅は途中の鴻池新田にあり、何時もならば慎二と電車で一緒になってもそこであっさりと分かれるのであるが、その日ばかりは折角話が乗って来たところで、途中で止めたくはなかったようである。

「折角ここまで来たから、僕は京阪モールでも覘くわぁ~。君はどうする? 好かったらお茶でも付き合う?」

 誘いにも、流石にもうそんなに熱意は感じられない。

 慎二もすっかり話し、すっきりしていたので、ここであっさりと別れることにした。

 

        新しい恋の話を訊かれたら

        堰を切るよう話し出すかも