sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

懐かしく青い日々(11)・・・R2年1.10②

           第2章  その1

 

        予習して訳が分かれば簡単で
        怖れるほどのことはないかも
       
 藤沢慎二は北河内高校の2年生に上がる前の春休みになった頃から家庭学習を強く意識し始めた。
 と言っても、今まで家で満足に勉強をしたことがない慎二は、何をどんな風に勉強すれば好いのか、雲を掴むような状態であった。試験直前のように決められた短い範囲を復習する以外は、授業のように課題を与えられ、リードしてくれる人がいなければ勉強出来なかったのである。
 仕方がないから、京阪電車京橋駅にある大型書店で目に付いた参考書、問題集を掻き集め、科目に軽重を付けず、無理な予定を立てて、取り敢えず動き始めた。
 当然上手く行く筈もなく、初めの頃は落ち込みがちであったが、案ずるより生むが易し、動いてみるものである。暫らくすると何とか軌道に乗り出した。
 そうすると、元々中学校の勉強との間に隔絶するような鉛直壁があるわけではないから、少しずつ見えて来る。
 思っていたほど難しいものではなかったんだなあ!? 出来るじゃないかぁ~。よし、高2の数学も予習しておこう!
 あんなに苦手になり始めていた数学の問題も流れに乗ればすいすい解けるような気がした。要するに、幼児が目にするもの、耳にするものを海綿が水を吸うように吸収して行くようなものである。

 

 そして、ある意味待ちに待った新学期が始まった。春休み中に上手く離陸出来たようである。授業の予習についてはある程度軌道に乗り、自分なりのやり方が見付かったので、臆することなく授業に臨めた。
 するとどうだろう。教師はもう分かっていることをただなただぞっているだけではないか!? 少なくとも数学、物理等の課題は、答えがはっきり出せるパズルのようなもので、昨年までどうして見っともないほどおたおたしたのか、不思議なぐらいであった。
 しかし、何事も続くと飽きて来るもので、予習さえしておけば授業は別に聴いても仕方がないような気がして来た。そして、1年生のときと同様、授業中は何時の間にか夢の世界に遊んでいた。
 そこが慎二の浅はかなところであるし、それを否定するだけの力が、北河内高校の教師が行なう授業にはなかったようである。

 

 後日談であるが、事実、医学部を目指した為に浪人した松本昭雄が、予備校の授業に感動して言っていたことがある。
「高校のときの授業と全然ちゃうでぇ~。ほんま、勉強してると言う気がするわぁ~。3年のときの三杉の授業をみんなが凄いと言うてたけど、あんなん、予備校やったら普通やでぇ。いっこも凄いことあらへん」
 それを聞いて慎二は、浪人して予備校に行くと言うことは強ち悪くもないんだなあ、と思ったものであった。
 更に後日、慎二が通信添削の雄、奨励会(通称S会)に入り、編集者として東京の有名校の先生が書いた原稿を目にするようになったとき、その解法のスマートさに感心させられ、北河内高校の教師たちの授業が如何に平凡なものであったか、自分でも再認識したのであった。
 
        自信出て顔が明るくなって来て
        クラスの人気集めるのかも

 

 話は戻る。
 中間試験を前に、慎二は自分が松本と変わらないぐらい出来るような気がしていた。
 同じクラスで授業を受けているわけではないし、普段、授業内容について話し合ったこともないから、何を根拠にと言われても困る。ただ、雰囲気としてそんな風に感じていたのである。
 その妙な自信が背中を押したのだろうか。試験勉強もスムーズに進み、試験の問題の方も不思議なぐらいに解けた。
 そして慎二が返って来た答案を松本と見せ合うと、何と理系科目では明らかに上回り、文系科目で下回ったものの、全体としても上回っていたのである。
 う~ん、やっぱりやってみるもんだなあ。
 その自信が顔に表れ出した所為か、慎二の顔は次第に明るくなり、クラスの中にも溶け込めるようになった。そして出身中学の名称が菅原中学だったもので、髪型がスポーツ刈りであったこととも併せて、皆から文太さんと言う愛称で呼ばれるようになった。
 高校に入った頃は、周りの生徒に中学とは明らかに違う気取りを感じ、それに成績もあまり振るわなくなっていたから、クラブ以外では高校生活に殆んど馴染めなかったのが、慎二にとっては2年になって漸く高校生活が始まったような気がしていた。

 

        大学で何を学ぶか分からずに
        ただ入ること其れが目標

 

        何となく理系科目が出来た故
        理系に向くと単純なこと

 

 中間試験の結果が出た後、担任教師の岡元敦との面談でのことである。
「クラスで3番、学年で42番。1年のときが250番前後だから、200番は上がったわけかぁ!? 大分上がったねえ!」
「は、はい・・・」
 普段において多少自信が出て来たと言っても、教師の前で萎縮する癖までは急に直らない。
「塾にでも行き始めたのかな? それとも勉強の仕方を変えた?」
 元銀行員だった岡元は、終始笑顔を絶やさず、優しく聞いた。
「いえ、塾には行ってません。1年のときは家で勉強してなかったから分からなくなったんです。それで2年になってからは予習をするようにしました」
 どん底から上昇して来た事実を語っている内に、慎二の表情には余裕が表れ始めていた。
「う~ん、そうかぁ~。よく頑張ったねえ」
 と言っても、それはあくまで定期試験のレベルまでであった。
「それで藤沢君は、大学では何処を狙っているの?」
 1年の時には頑張って国公立に行けるかどうかの成績だった慎二は、今回の成績だけで進学まで自信を持って言えるほどの気の強さはない。当然、進路について聴かれてもイメージがなかったので、躊躇いがちに思い付いた大学を蚊の鳴くような声で答える。
「あのぉ~、浪速市立大の化学科辺りを・・・」
 岡元は空かさず、
「それなら国立の浪速大にしなさい」
 自分の母校であり、関西では京奈大に続く国立1期校の総合大学でもある国立の浪速大の方を勧めた。
 担任教師としてだけではなく、受験のプロとして、その時の上がり具合を本物と見たのだろう。笑顔ではあったが、岡元の声は冷徹な観察者のそれであった。
 慎二は急に目の前の雲が切れたような気がした。見通しがすっと好くなった。今まで雲の上の存在であった国立1期校が身近なものとして示され、自分がそれに値するものに見えて来た。

 それから慎二は疑いもなく国立の浪速大に行くものと思い始めた。この辺り、まことに単純に出来ている。
 単純と言えば、慎二が咄嗟に化学科を選んだのはもっと単純な理由からであった。中間試験だけの経験で、化学なら覚えるだけで簡単に点が取れると思ったからである。
 しかし、元々慎二は論理的、分析的にじっくり物事を考えるより直感によって動く方であったし、実験はむしろ嫌いな方であったから、本来は化学科など選ぶべきでなかったのかも知れない。
 しかも、後日談であるが、実際には理系の王道とも言える物理学科に進んだのであるから呆れてしまう。

 実際のところ、慎二が高校の科目で本心から面白いと思って勉強出来たのは古典だけであった。案内者である国語教師の福本欣治の造詣が深く、話しっぷりがユーモラスだったことも勿論関係があったのだろうが、慎二自身のゆったりとした波長が古典の世界に合ったようである。 

      

        入るのが目標だった大学に
        何とか受かりそれなりの日々

 

 これも後日談である。

 慎二が大学に入ってからも面白く感じ、熱心に出席したのは古典の授業だけであった。物理を含め理系科目は、高校時代のような数理パズルの域を出て、益々理系らしくなって行ったから、すっかりお手上げであった。
 それでも何となく自由な雰囲気のある大学生活が気に入り、慎二は毎日機嫌よく通っていた。
 この辺り、受験と言う圧力が掛かる前の高校のときと同じであるから面白い。
 要するに、慎二の真実がどの辺りにあるかと言う話である。

 

        自信見え質問される面映さ
        周りの意識高まるのかも

 

 また話は戻る。
 出来る奴と見られるようになっただけではなく、自信から来る柔らかさが出て来たのであろう。慎二はクラスの中でもかなり注目される方になった。文太さんと言う愛称で呼ばれて話題に上り易くなったし、女子から数学、物理等の課題に関する質問をよくされるようになった。
 恥ずかしがりでもそこは男子である。女子から首を傾げ、可愛く質問されると、自然と頬が緩む。今まで殆んど持てたことがない哀しさか、必要以上に丁寧に教えてしまうのであった。
 ある日の数学の授業も慎二にすれば予習して来た通りで、質問にもすらすら答えることが出来、後はのんびりと過ごしている内に終わってしまった。
「ねえねえ、文太さん。この問題、どうやって考えたらええのかなあ? 私なあ、昨日家でもやってみたんやけど、分からへんの。教えてぇ」
 担当教師の堀井辰雄が教室を出た後、隣の席の林理恵子が聞く。
 慎二にすれば既に前日の予習で理解していたから、簡単な問題であった。それで理解したままにざっと説明する。
タンジェントをtと置いたら全体がtの関数になるから、あとは解と係数の関係を使ったらええねんでぇ~」
 理恵子は今一要領を得ない顔をしている。
「ええかなあ? タンジェントをtと置いたら、ほらこんな風にサイン、コサインのところもtの関数になるやろ? そしたら全体がこんな風にtの二次関数になるんや。ほな、今までに習った解と係数の関係が使えてやなあ・・・」
「あっ、分かった、分かった。私、計算間違いしていたのね。後は出来るわぁ~。文太さん、有り難う」
 後は比較的簡単であるから、そこで止めておけば好い。事実、理恵子は席を離れようとしているのに、慎二は、
「ちょっと待ってやぁ!」
 と引き止め、更に式の変形を進めた。理恵子の目の前で最後まで解いて仕舞わないと気が済まないようである。
 しかし、人間焦ると碌なことはない。最後の式変形で間違ってしまい、それが合うまでやろうとするものだから、理恵子は少々有難迷惑そうな顔になって来た。
 そのとき、次の授業が始まるチャイムがなり、理恵子は救われた顔になる。
「有り難う。後は自分でやってみるわぁ~!」
「ご免。昨日は上手いこと行ったんやけどなあ・・・」
 慎二も救われた顔になった。
 そんな風に、決してスマートには行かなかったが、よく出来ることは周りにも伝わったようで、慎二は次第に勉強に関しては皆から頼られる存在となった。