sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(5)・・・R2.8.13①

              第3章

 

              その1

 

《響子はついこの前結婚したところで、心身共に十分に満たされているはずやのに、何で未だ俺のことをそんなにもの欲しそうな目で見詰めて来るんやろう!? 結婚した時はほんまに残念やったけど、これで漸く響子のあの濡れて大きな目に悩まされんで済むなあ、と思ったらホッとしてたのに、これやったらいっこも変わらへん。あっ、あかん、あかん! そんなにしっとりと見詰められたら何も出来へんようになってしまうがな・・・》

 広瀬学と中田良助を連れた藤沢慎二が教室に入ろうとすると、既に赤坂響子改め本山響子が居て、慎二の方を確かに濡れた目でしっとりと見詰めて来るような気がしたのである。

 慎二は立ち竦み、視線を上げることが出来なくなり、深呼吸してから漸く逃げるように教室に入ることが出来た。

「お、お早うございます・・・」

「お早うございます。ウフッ」

 響子は慎二の年に似合わない戸惑いが面白いらしく、覗き込むようにしながら挨拶を返す。

「聡子と牧恵はもう来ましたか?」

 蠱惑的な響子の視線に晒されながら、幾ら落ち着こうと思っても落ち着かず、仕方がないから、慎二は俯きながら生徒達のことを事務的に聞く。

「ええ、牧恵は着替えて他のクラスに遊びに行っていますわ。聡子は何時も通り、ノンビリと着替えていますよ」

 その声が聞こえたのか? 木島聡子が、

「これ、これ! せんせ、これ、これ!」

 と言いながら、ズボンを穿かないままの格好で出て来る。

「こら、聡子! 早くカーテンの中に入ってズボンを穿きなさい」

 慌てて押し戻そうとする慎二を見て聡子は嬉しそうに、

「これ、これ! せんせ、これ、これ!」

 更に相手になって来る。

 

 聡子は自閉的傾向が強い上に、認識力の発達が相当に遅れていて、障害児教育に関しては未だ殆んど素人に等しい慎二には、どう付き合えば好いのか? まだ殆んど分かっていなかった。

 たとえば簡単な指示をしても、聡子はポカンとしたまま殆んど反応を示さず、意思の感じられない目で見返して来ることがあっても、慎二が見返すと、怖いようにサッと視線を避けた。

 それでも聡子にすれば、何か悪戯を仕掛けた時の慎二の慌てた様子、不器用ながら何度でも相手をしてくれているようなところが嬉しかったのか? 時々、こんな風に性の芽生えを感じさせるような迫り方をして来ることがある。

 この時など未だましな方で、周りに人目がない時はもっと大胆な格好を見せられることもあり、しかも聡子はスラッとした肢体を持つ美少女だったので、そんな時、慎二は視線を避けようとすればするほど余計に惹かれてしまい、ただただ戸惑っているしかなかった。

 

 この時も響子にすれば、好い年をしながら知的障害を持つ少女を相手にして酷く動揺している慎二が面白いらしく、何も言わず、悪戯っぽい目をしてズッと見ていた。

 

        言葉より空気に惹かれ子ども達

        気になる人に近寄るのかも

 

        言葉より醸し出す気に子ども達

        惹かれた人に近寄るのかも

 

              その2

 

 或る日の昼休み、藤沢慎二はあまり遊びを知らないらしい木島聡子が可哀想になって来て、午後の授業までは未だ大分時間がありそうなので、2人で校内を散歩することにした。

 手を取って廊下を歩き出すと、聡子はニッコリと微笑みながら大人しく付いて来る。

 何だか普段とは違うしっとりとした雰囲気があり、胸がこそばいような感じを持ちながら、慎二は彼方此方に聡子を連れ歩き、何時の間にか慎二の顔にも優しい微笑が浮かんでいた。

 そんな2人の様子を周りの教員は、これはちょっと変だぞ!? と思いつつも、どう変なのか上手く表わし切れず、ただ黙ってやり過ごすことにした。

 世慣れた大人には往々にしてこんなことがある。自分の理解の範囲を超えることには頭のスイッチを切り、取り敢えず置いてしまうのだ。

《独身で中年と言うには未だ若い俺が、こんな可愛い子と2人きりで手を繋いで歩いてたら、やっぱり可笑しいかなあ!? 何だか気恥ずかしいなあ・・・》

 当事者である慎二の方がかえって頭のどこかでちょっと気になり始め、周りを見回してみたところ、上記のような状況で、取り立てて注目されているようでもなさそうに見える。

 慎二はそれに甘え、美少女と2人切りで、もう暫らく午後の校内散歩を楽しむことにした。

 

 教室に帰って来る頃、藤沢の顔は何か悟ったような嬉しさに満ちていた。

 聡子に色々悪戯を仕掛けられ、それが大概、普通ではとても受け入れ難く恥ずかしいことなので、慎二は慌てて止めるのであるが、その反応が楽しいらしい聡子は、更に悪戯をエスカレートさせる。今まではその繰り返しで、あまりよく聡子との関係を考えたことがなかったが、こうして2人で手を繋ぎながらノンビリと散歩してみると、意外な落ち着きに慎二は、ただ戸惑うものだけではなく、ストンと腑に落ちるものを感じたのである。

《そうかぁ~。そうやったんや!? この子と俺は何やよう分からんけど、波長が合うんやぁ~! 俗に言う、馬が合う、ちゅうこっちゃなあ。それで何や彼や言うて聡子は俺に相手になって来るんやろなあ。人と人の間を繋ぐものは言葉だけやないんや! 言葉なんかなくても通じ合うものがあるんやろなあ・・・》

 ちょっと考えてみれば当たり前でも、言葉のある世界に浸り切った我々が普段見逃しがちなことに気付き、慎二はその日一日、酷く浮かれていた。

 

        子ども等の相手しながら少しずつ

        悟り始めて浮かれるのかも

 

※ 自閉的傾向の強い子等に美形が多いように言う人もいる。もしかしたら余計なことを考えず、自分の受け入れられるものだけに一途である所為だろか!? たとえばどの宗教であろうと、真面目に信じている人の目が澄んでいるように・・・。

 

              その3

 

 上条達也は藤沢慎二のクラスのみならず、学年、いや学校中で一番認識が低いと言ってもよい生徒だった。

 先ずスクールバスが着いて、そこから確実に降ろし、教室へと連れて行くまでに、かなりの仕事が待っていた。

 バスの中では、放っておくと立ち上がったり、色んな物に興味を惹かれて動き出してしまうので、席にベルトで固定されていて(※)、バスが着いた時には添乗員がそのベルトを外し、達也の腕を取って乗降口で待っている教員に引き渡す。

 この受け渡しを確実にしないと、達也は不安定な歩き方ながら、ヒョコヒョコと歩き出し、どこに行ってしまうか分からない。水溜りであろうと、道路であろうと、達也には怖いものはないのだ。

 バスから降りて下足箱のあるところまで連れて行くと、大抵の生徒は自分の靴箱でなくても、誰かの靴箱に手を伸ばしたり、履いている靴を脱ごうとしたりする。或いは、日々の大体の流れが分かっていても中々動き出せないような拘りの強い子でも、慣れた教員からの指示があれば何とか動き出す。

 ところが、達也はその何れにも当てはまらず、連れて行ってもただフラフラとその辺りを動き回るだけだし、履き替えるように指示をしても、少しも反応を示さないように見える。

 仕方がないから、教員が達也の履いて来た土足を脱がせ、上靴を渡すと、達也はその上靴を咥えてしまう。

 結局、達也の口から上靴を引っ張り出し、教員が履かせるしかなかった。

 教室に連れて来た後の校内服への着替え、トイレにしても同じようなものであるから、毎朝、授業担当者に達也を引き渡すまでに、担当した教員にはかなりの負担が待っている。

 達也のことは殆んどベテランの道畑洋三が担当してくれ、慎二はほんのたまに食事やトイレの介助を手伝ったりするぐらいであったが、それでもどうしてあげれば好いのか? 全く検討も付かず、ただ道畑の指示に従い、やり方を真似るだけであった。

 

        繋がりを中々持てぬ子ども等と

        付き合い方の戸惑うのかも

 

        ベテランの自然な感じ真似ながら

        未だ気持ちまで分からないかも

 

※ まだ全体に見えない頃、教員と障がい児の距離は無限に遠かった。それでも、日々の授業を含めた取り組みは何とかそれらしくしなければならない。それより何より、安全は確保しなければならない。その為にスクールバスのおける幅広の固定ベルト、教室で使う椅子と一体型で生徒を固定出来る机等がかつては使われた。手探りで少しずつ分かって来るに連れ、また保護者の要望もあって、今のように教室ではなるべく固定しない状態になって来た。