sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(6)・・・R2.8.14①

              第3章

 

              その4

 

 5月の授業参観日でのこと、上条達也の授業への参加し方が少し問題になった。

 と言っても、参観を想定して準備していた科目ではなく、その直ぐ後の時間の家庭科でのことであった。

 その日の課題は細長い布に教師が手を添えながら一緒にアイロンを当てて行くことで、この作業を達也も含め、基礎グループ(※1)に属する10人の生徒が順番にやって行くので、アイロンが2台で、担当教員が4人いてもどうしても待ち時間が長くなってしまう。

 この待ち時間が長くなるのは保護者にすれば勿論不満に感じられるのであろうが、それよりも、達也の待たされている様子が、少しだけ覗いて帰ろうとしていた母親、および他の子の母親の目に留まり、神経を逆撫でたのである。

 達也は放っておくとジッと座っていることが出来ず、彼方此方に動き出し、目に付いた物を手に取ったり、咥えたりしてしまうので、アイロンのように高温に達する物を扱う場合は特に緊張を伴う。

 かと言って、養護学校であり、その中でも学年で認識が低い方の10人を選び出しているのであるから、他の子が全く安全と言うわけはないので、順番を待っている8人の子を直接アイロン掛け指導を担当していない残りの2人の教員で看るのは結構大変なのである。

 したがって止むを得ず曙養護学校では、給食、授業等であまり動かれては困る生徒向けに、椅子と机が一体になっていて、机の天板を上げて座らせた状態で天板を下げれば生徒の動きを制限することが出来、安全が確保出来る代物が用意されていた。

 その日も達也をこの一体型の机によって着席させ、それで安心して授業を進めていたのところ、廊下の方でざわざわと音がし始めた。

 どうやら授業を参観し終えた保護者がゆっくりと移動し始めたようである。 

「まあ、達也君、あんな机に閉じ込められて可哀想に・・・」

 口を開いたのは正義感の強い広瀬学の母親、朋美である。

 達也の母親、加奈子は唇を少し震わせながら黙って見ていた。

上条さん、確か4月の保護者懇談の時に、あの机は使わないで欲しい、って言ったはずよねえ!? 口では幾ら好いことを言ってても、やっていることがこれなんだから、こんなところ、学校はどうも信用出来ないわぁ~」

 木島聡子の母親、涼子は自分の子も同じグループに入っているから、他人事ではない怒りようである。

「広瀬さんも木島さんも有り難う。私、もう一度道畑先生に頼んでみるわ。担任の藤沢先生が入っていてもこれなんだから、藤沢先生に言っても仕方なさそうだし・・・」

 上条加奈子はみんなの応援に力を得て、漸く覚悟を決めたように言う。

「そうねえ。上条さん、そうすればいいわ。そう言えば、道畑先生、この時間空いている、って言ってたし、教室を覗いてみましょうか?(※2)。木島さん、自分の子のことだから言い難いでしょうから、私が言ってやるわよ!」

 中では一番行動力のある広瀬朋美がイニシアチブを取り、揃って教室の方に向かった。

 

 幸い教室にはベテランで実質学年全体をカバーしている道畑洋三がいて、のんびりと連絡帳(※3)を書いていた。

「道畑先生、ちょっとご相談したいことがあるんですけど、今、お時間の方はよろしいですかぁ~!?」

 広瀬朋美の迫って来るような言い方、それに木島涼子、上条加奈子の険しい目つきに重苦しいものを感じた道畑は、ちょっと引きながら、

「はぁ、時間はありますけど、どうやら難しい話のようですねえ!? 取り敢えず座りませんか?」

「それでは」

 そう言って腰を落ち着けた広瀬朋美に続いて、木島涼子、上条加奈子も腰を下ろした。 

「それで、どんな話ですかぁ~?」

「それがですねえ、先生、ちょっと聞いて下さいよぅ。前に達也君が座らされていたあの机と一体型の椅子、あれは止めて下さい、って言いましたよね!?」

 そう言って広瀬朋美は教室中を見回す。

 確かに、約束通り所属クラスの教室では使われていないようだ。

 それで少し安心して広瀬朋美は続ける。

「それが、今、家庭科の基礎グループの授業を覗いてみたら、まだ使われているではありませんか! あれ、どうしてですか? 先生は他の先生には言って下さらなかったのですかぁ~!?」

 道畑は朋美の勢いにタジタジとなりながらも、

「勿論、言いましたよ! それで、皆で相談して、先ず所属クラスの教室では使わないようにしよう、と言うことになって、それから他の特別教室でも出来る限り使わないようにしよう、と言うことにはなったんですが、そうですかぁ~、基礎グループの家庭科では使ってましたかぁ~!?」

「ええ、堂々と使ってましたよ!」

「そうですかぁ~。それで、どんな場面でした?」

 この辺り、元々高校の社会科の教師であった道畑は細かく分析的に話を進めようとする。

「アイロンを当てる課題でしたし、あの人数ですからそれは確かに危険性がありました。でも、それを言うのであれば、あの人数にするのがそもそも可笑しいとは思いませんか!?」

「まあまあ、広瀬さん、そんな先に先にと話を進めないで下さい。確かに、あのグループは、事情を考えれば生徒の数の割に教師の数が少ないですねえ。そこに問題があるのに、それを解決しないままに、止めて欲しいと言った一体型の机を用いて安全性を確保する。それは確かに考え直すべきかも知れませんねえ!? う~ん・・・」

 道畑はそれ以外に直ぐに返す言葉がなく、暫らく考え込んでいた。

 そして、大きなことを決断したようにスッキリとした顔になり、

「分かりました! 配当教員のこと、例の椅子のこと、学年でもう一度話し合ってみます。だから、暫らく時間を貰えますか?」

 それを聞いた広瀬朋美もパッと表情を明るくしながら、

「やっぱり道畑先生に相談してよかったわ! お願いします。是非、もう一度学年で話し合って下さい! 人数を増やさないと待ち時間も多いし、あれはちょっと可哀想過ぎますわぁ~」

 広瀬朋美は、自分の息子である学が養護学校では何も困らないほど自立しているのに、他人のことにも親身になって取り組むほど人の好いところがあった。

 そして、それだけではなく、いい加減なところで誤魔化そうとする教師は許せないらしく、果敢に立ち向かって行く勇気もあった。

「でも、広瀬さん、本当に凄いですねえ!? 私はあなたの勇気、それに他人への思いやりには感動しました。きっと話し合いますので、私に任せて下さい! 今日は先ず私に言って下さって、どうもありがとうございました」

「いいえ、そんな・・・」

 道畑からあんまりはっきり持ち上げられて、広瀬朋美は流石に恥ずかしそうである。

「それじゃあ先生、よろしくお願いします」

 少し顔を上気させながら立ち上がり、

上条さん、木島さん、後は先生にお任せして、私たちは帰りましょうか?」

 と誘うと、木島涼子も上条加奈子も上気したまま、口々に、

「ええ、そうしましょう! 先生、お忙しいところどうも有り難うございました。これからもよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 と言いながら立ち上がった。

 

 3人が立ち去った教室で、道畑はどう言う風に話を進めるか? 暫らく思案している様子であった。

 

        保護者から要望を聴き思案して

        日々遣り方を工夫するかも

 

        保護者から要望を聴き相談し

        また子ども等に近付くのかも

 

※1 一般的な養護学校(現支援学校)の授業では学力、認知度等の差が大きいので、課題別グループに分けて行われることが多い。そして指導上、安全確保上等の理由から、上位グループの担当教員は少なく、下位グループの担当教員は多くするのが普通である。

※2 課題別のグループに分け、それぞれのグループ毎に分かれて授業をする際、幾つかのクラスの教室は空いているので、空いている教員は職員室ではなく教室で連絡帳を書く、担当授業の準備等をしていることが多い。中には本を読んだり、書き物をしたり、韓国ドラマを視たり、趣味を楽しんでいる教員もいたかも知れないが、それは広い意味での人間磨きと言えなくもない!? まあゆとりの肯定的見方と言えるのかも知れないなあ。フフッ。

※3 養護学校に通う子等は言葉での遣り取りが巧みでないことが多いので、彼等を通して保護者との遣り取りが難しい場合も多い。また、保護者にすれば彼等の学校での様子を知りたいものであるし、教員にすれば家庭での彼等の様子を知りたいものである。そこを先ず繋ぐものとして日々連絡帳が利用される。