sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(2)・・・R2.8.10①

              第1章

 

              その1

 

 前年度、藤沢慎二が受け持ち、この春に送り出した中学部の3年生では、子ども達がもう殆んど大人の体になり、野太い声になっていたのに対し、この年度、従ってこの春から受け持つことになった1年生では、まだまだ体が小さく、声も高い。僅か3つの違いでも、この時期の3つは大きな違いである。

 その小さくて声の高い子どもたちが叫びながら独楽鼠のように動き回るのであるから、30代になってソロソロ中年を意識し始めた慎二にとっては、追い掛け回すのにも結構骨が折れた。

 今も自閉傾向の強い中田良助が、泣いている山路沙弥香のことが気になったのか? サッと駆け寄り、背中を強く蹴って倒し、事態を更に混乱させている。

「こら、良助、何するんや! 待たんかい」

 慎二は良助を追いかけ始めたものの、小柄で多動傾向のある良助の機敏で素早い動きには到底付いて行けず、

「待て言うてるのに、ほんま、かなんやつやなあ・・・」

 途中で諦めて立ち止まり、後は口、そして目だけで追うことにしたようである。

 

 良助を見失った後、15分ほど、取り敢えず追い掛け回したと思えるぐらいの時間をゆっくりと掛けながら教室に戻ってみると、その直ぐ後にクラスだけではなく、学年全体も取り纏め、バックアップしているベテランの道畑洋三が良助の手を引きながらニコニコしながら戻って来た。

「あれえ、道畑先生、えらく早いですねえ!? 良助は一体どこにいました? 僕が追い掛けていて、見失ったと思い、諦めて帰って来たら、もう戻っている。ほんま、不思議やなあ・・・」

「ハハハ。下の中2の教室ですよ。先生が見失った後、そこに行ってみたら、田村先生の靴をベランダから投げようとしていました」

 道畑はどの子どもがどんな状況においてどんな行動を取るのか? 本当によく見ている。

 しかも、温かみのある非常に優しい目であった。

 子ども達も道畑のそんな面をどこかで感じ取り、信頼するのか? あまり逆らわずによく言うことを聞くようで、障がい児教育に関して殆んど素人の慎二から観れば呆気ないほどあっさりと事が収まるように見えてしまう。慎二にはそこが不思議でならないし、自分を振り返ってみると、普通学校より多めに給料を貰っている(※)だけに恥ずかしくてならなかった。

「そうですかぁ~!? ほんま、悪戯なんやから・・・」

 今もそう言って照れ笑いをして誤魔化しているしかなかった。

 

 それでも慎二は空いた時間に勉強をして少しでも先輩達に近付いて行こうと言う殊勝なところは皆無であった。その時その時の恥ずかしさが嫌なだけのことで、その時が過ぎればあっさりと忘れていた。そしてまたその時が来れば恥ずかしい思いをすることになる。その繰り返しで日々を何とか遣り過ごしていたから、何事にも中々プロになり切れなかった。

 ただ、だからこそ色々なことを客観的に捉え易かったとも言え、出入りの業者、警備員たちが面白がって話し掛けるのは慎二であった。何でも教師然としておらず、偉そうに見えないから話し掛け易いそうだ。そんなことまで明かされて慎二は嬉しいような、教師としては今一だと言うことのような、微妙な気がしていた。

 

 それはまあともかく、受け持ちのクラスには良助の他に男の子が3人、女の子が2人いて、教師と入れて総勢9名、それでいて教室の広さは普通校と変わらない、どころかむしろ広い場合も多い。それに時間割がかなり余裕を持って組まれており、空間的にも時間的にも普通校に比べればかなりゆったりとしているように見えるかも知れない。

 事実、その結果として子ども達皆の顔がよく見えるし、保護者とも密に付き合うことになるから、それはあながち間違いとも言えない。

 ただ子ども達の動きだけを観れば、大きな乳幼児の相手をしているような面もあるから、あまりにも密で重い付き合いとなることも多く、時間の割に、そして付き合う人数の割に、午後3時頃、スクールバスで子ども達を送り出す頃にはドップリと疲れてしまうのも事実なのである。

 それに、乳幼児との付き合いでは、体の疲れと言うよりも大人の理性では測り切れない行動にどう対処して好いのか分からず、精神的に疲れる面が大きいのと同様に、養護学校での疲れにもそんな面が大きいように思われた。

 

        分からずに人と付き合う難しさ

        空回りして疲れるのかも

 

※この話の舞台となっている平成5年頃の大阪府において養護学校、養護学級の教員の給与は10%の手当てが付く等、優遇されていた。それだけ専門性、それも含めた特殊性等が認められていたのであろう。それは中々言葉にはし難い面があった所為か? 我が国全体の傾向として分かり難いものの価値を認めないと言う作用が働き、減らす方向で話が進んで行った。

 

            その2

 

 広瀬学は自閉的な傾向が強いものの、認識についてはかなり高く、家でも学校でも、他人にあまり迷惑を掛けない範囲で自分なりに余暇を楽しむ術(すべ)を幾つか持っていたお陰で、パニックを殆んど起こさず、何時見ても穏やかな子であった。

 

 家での学は、自転車に乗ってかなり遠くにあるガソリンスタンドや京阪電車の踏切を見に行ったり、時には実家のある門真に近いほど適当な駅、たとえば西三荘、古川橋等から無賃乗車を楽しんだりするのが大好きな子であった。

 何故ばれないのか不思議なぐらい学は、いつもお金を持たぬまま出掛け、上手に電車に乗ることが出来た。毎日のように出掛けているのに、これまでのところ、ほんのたまに駅や交番から問い合わせがあったくらいである。

 

 学校での学は、大好きなドラえもんのぬいぐるみを持ち、それを指し示しながら、大好きなガソリンスタンド、乗り物等の名称と組み合わせて気に入った教師に、

ドラえもんが勝手にジョモに行ったら?」

ドラえもんが勝手に新幹線に乗ったら?」

 などと問いかけ、その教師が両腕を交差させながら、

バツ! いけません!」

 と返すと大喜びし、そんな遣り取りをその教師に何度も何度も要求したりする。

 遣り取り自体は他愛無いことの繰り返しであるが、気に入った教師としつこく関わることが面白くて堪らないらしい。

 その気に入りの教師の中にこの春から、光栄にも、どう言うわけか? 藤沢慎二も入れて貰えたようである。

 2年目になっても未だ曙養護学校には中々慣れ切れず、日々戸惑い気味であった慎二は、学の存在、遣り取りでどれほど救われる気持ちになったか分からない。

 一方的な関わりのように見えて、相手の困った様子をよく感じ取り、そんな時は自分なりのやり方で癒やそうとしてくれる学の相手を日々していて、慎二は指導していると言うより、救われているような気がしていたのである。

 知的障がい児は言葉が巧みではない分、勘が鋭く、と言うか勘が神話的時代と言われる幼児の状態から衰えておらず、直接心に迫って来るところがある。どうやら慎二と学の関係はそんな部分で繋がっていたようであった。

 

 しかし、この頃の慎二は結婚を前提に付き合い始めている前々任校の山鉾高校おける同僚、安永真衣子との間で組んず解れつ、結構気持ちが揺らされていたし、同じクラスの担任となった本山響子のことでも日々気持ちを揺らされていたから、期待するものがあった割には気持ちがあまり学校の方を向かず、クラスの子ども達のことはベテランの道畑洋三に殆んど任せ切りであった。

 どうやら慎二は大人同士の言葉を中心とした遣り取りが苦手で、と言うか、人見知りを理由に避けて来た所為で、漸く少しは反省していざ始めようとすると、子ども達との付き合い以上に苦労させられているようである。

 だからこそこの時、いやこの時だけではなく人生全体にとって結婚しておくことが特に必要であると強く認識し、真衣子と付き合い始めたところがある。

 

        言葉での遣り取りだけで見えぬもの

        其れが大事と分かり出すかも

 

        言葉での遣り取りしつつ心まで

        思い遣るのが大人なのかも