sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(14)・・・R2.8.22①

               第5章

 

               その6

 

《この人、私を見てこんなに戸惑っている・・・。あの人がこんな風に戸惑ってくれたのは一体何時までぐらいだったかしら・・・》

 広瀬学の母親、朋美は自分を近くに感じてあまりにオロオロする藤沢慎二のことが可笑しく、また懐かしいような気分になっていた。

 しかし、そんな風に慎二を感じさせて、戸惑わせてしまった自分の魅力に漸く気付き

くと、俄かに恥ずかしくなって来て、

《いけない。駄目、駄目。私は学の母親よ! それに、この人は学の先生。けじめをつけなければ・・・。私が確りしなければどうするの!? ええと、落ち着くにはどんな話をすればいいかしら?》

 気を取り直した朋美は話題を学のことに戻そうとする。

「ところで、藤沢先生。話は変わりますけど、小学部の方から学のことは聞いてはりますぅ?」

「はい。まあ大体のところは・・・」

 表情を見ていると、どうも頼りなさそうである。

「たとえばどんな風に?」

「そうですねえ。国語や算数の学力とか身辺のこととか・・・、それに自閉傾向が強いけども、人との遣り取りが大好きだとか、色々聞いてますよ」

「そうですかぁ~。現況については大体報告されていると言うことですね? そうしたら小さい頃のことや、その他思いつくままに色々話したいと思いますので、聴いて貰えますか?」

《えらく真面目な話になってしまった。何があったんやろう? もしかしたら俺の不躾な目に気付き、怒ったのだろうか!?》

 慎二は急に別な緊張を感じながら、小さな声で、

「は、はい!」

「産まれた時はほんの少し小さかったけど、何だかあまり泣かないなあ? と思ったぐらいでそんなに心配していなかったの。かえって楽に思っていたぐらいだったわ。それが、中々体が確りして来ないし、言葉が出ないからちょっと心配になり出して・・・。あれは確か1歳半検診のことだったわね? 視線が合わないことを指摘され、自閉症の検査を受けるように言われたのは・・・」

「そうだったんですかぁ~。それはさぞかしショックだったでしょうね!?」

「ウフフッ。それはショックだったわよぉ~」

 朋美は笑いながらも、当たり前のことを聞くなと言う顔をしている。

 慎二は拙いことを言った自分に恥ずかしくなり、益々小さくなってしまう。

「でもねえ、分かっていたの。毎日見ているんだもの、何か違うなあ? と思って色々本を見たりするわけよ。だから、大体はそうだろうなあ、と思っていたの。だから、夫ほどではなかったわね・・・。夫は学が生まれた頃から急に仕事の方が忙しくなって、あまり話をする機会がなかったんだけど、時々学の様子を話しても、そんなん思い込みやろう!? 気にするな! と適当にあしらうだけ。だから、検診のことを告げた時は本当にショックを受けていたわ・・・。大体男の人はこんな時駄目みたいですね!? 先ずショックを受けて、少し落ち着くと血筋のことを考えてみたり、産まれ方、育て方を考えてみたり、出来たら自分の方の責任でない(※1)ことを願い、色々私を責め出すんです。妻としては、こんな時こそ一緒に悩み、考えて欲しいのにね・・・」

「そうなんですかぁ~!?」

 慎二は、自分が責められてでもいるかのように、いたく恐縮した顔をしている。

 それを見ていると、朋美は益々憎めなくなって来て、

「別に先生もそうだと言っているんじゃないですよ。私の狭い経験で言っているだけですから、そんなに気にしないで下さい。先生にもし同じようなことがあったら、少しは奥さんのことを気遣ってあげてね。まあ、こんなこと余計なお節介ですね? すみません・・・。それでね、また学のことに戻りますけど、それからは何でも大体私独りでやって来たようなもんなんです。大学病院での検査、訓練、療育をしてくれる幼稚園探し等々、しんどいこともあったけど、それを通して、学は自閉症や障がい児と言う特別な存在やなくて私の子(※2)なんだ、と言う気がして来たわぁ~。そんなレッテルは社会が分類する都合上付けたものだって、そう思うようになったの」

「そうですねえ。社会は本当に勝手ですよね!? 病気なんかでも社会が作り出すもんや(※3)と思います。社会の能率を落とすような奴には何でもレッテルを貼っちゃうんやぁ~」

 慎二は話が自分の領分に入って来たとでも思ったのか? ここぞと主張し始める。

 朋美はその稚気が可愛く思え、少し表情を柔らかくしながら、

「分かって頂けてうれしいわぁ~。ありがとうございます。それでねえ、訓練の甲斐があったのか? 中々言葉が出なかったんだけど、みんなが言うことは分かっていたんでしょうね!? 大体指示は通るようになって来たし、小学部に上がって2年の夏頃だったかしら? 急に言葉が増えて来たの。それからは喋ること、喋ること。体も強くなって来たわぁ~」

「そうですかぁ~。それで、今のように独りで外に出るようになったのは何時頃からですかぁ~?」

 朋美は、慎二が初めて教師らしい質問を発したことにちょっと見直したような表情になりながら、

「あれは5年生の夏休みでしたね・・・。この時は夫も協力してくれまして、独りで自転車に乗れるようになったんです。それからは毎日どこかへ出掛け、初めのうちは酷く心配しましたが、特に何も起こらなかったし、何度か呼び出されることがあっても、本人はケロリとしていますし、元気であればまあいいか、と思うようになりまして・・・」

「そうですよね!? 元気が一番です!」

 朋美に認められたことが余程嬉しかったのか? 慎二は軽薄なほどに調子好い。

「フフッ。それが不思議なんですよぉ~。本人に聞いてみると、どうやら彼方此方電車に乗り歩いているらしいんですけど、その割に連絡を受ける回数が少なくて・・・。あれはどう言うんでしょうかねえ!? もしかしたら誰かの後についてスゥーッと通っちゃうのかしら? それとも、こんな子だから見逃してくれるのかしら?」

 慎二はその両方だろうと思いながらも、どう言って好いのか? 上手い言葉が見付からないので、ただ笑っていた。

「でも、今回はやり過ぎよねえ!? 幾らなんでも遠過ぎるわぁ~。先生、本当にすみませんでした・・・」

「いえ。大阪駅に行ってみたら、電車があんまり格好いいので、つい乗りたくなったのでしょうねえ!? この電車、サンダーバードでしたか? ほんまに格好いいですもんねえ・・・」

「ウフフッ。共感してどうするんですか、そんなこと!? 先生も電車が好きそうですねえ。ウフフフッ」

「ええ、乗るのは好きなんですよぉ~。学君のように車両の名前までは覚えてませんが、乗り物に乗るのは、飛行機以外なら大体好きですねえ」

「ホホホ、ほんま、先生らしいわぁ~。それで今回も嬉しそうだったんですねえ!?」

「えっ、そんなに嬉しそうな顔をしていましたかぁ~? それは恥ずかしいなあ・・・」

 本当は朋美と一緒に遠出出来ることが嬉しかったのだが、勿論そんなことを口に出すわけにはいかない。

 それに、慎二自身、自分の気持ちにそうはっきりとは気付いていなかったのかも知れない。

「いいんですよ。無事に見付かったんだから、不謹慎だなんて責めたりはしませんよ。

でも、乗った途端にアイスクリームには吃驚したわね。気が弱いんだか強いんだか、本当に不思議な人ですね、先生って・・・」

 そう言って覗き込む朋美の悪戯っぽい目がまた段々眩しくなって来て、慎二はまたオロオロし始める。

 

        障がい児家庭に居れば普通の子

        そうなることで落ち着くのかも

 

        障がいは社会が作る面もあり

        余裕があれば軽くなるかも

 

※1 子どもが障がいを受けるには遺伝以外にも、当然変異、産まれる時の事故、産まれてからの高熱、事故等、色々な理由がある。それでも誰かの所為にしなければ納得し難いのが人間の弱さであろう。そんなことに育児の難しさも加わって、障がい児を育てる過程で離婚する夫婦は多い。

※2 障がい児と言うのはあくまでも社会生活を送る上で、と言うことも多い。たとえば、社会がもっと整っていれば障がいとはならないこともある。そして家庭生活が落ち着いていれば、すなわち余裕があれば、障がい児と言う面よりも、その家の子と言う面がクローズアップされる。

※3 ※2と共通するところであるが、病気にも社会が作っている面がある。社会生活をして行く上で大して問題にならなければ病気と認識されなくとも、社会が不完全で問題になれば病気と認識される。例えば米国のように、経済的に余裕があっても、時間的に余裕がなければ、病気、障がい等と認識し、分けて薬、施設・設備にコストを掛けるやり方もある!?