sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

教員の免許更新って何だか微妙!?・・・R3.4.6①

 某年俸月のこと、藤沢慎二はその春まで故あって教員を休職していたので、教員免許の更新を1年間猶予して貰う手続きを取ることにした。

 本来であれば復職した年度中が期限であったが、流石にそれはきつい場合もあるだろうとの配慮である。復職した年度から2年以内に更新すれば好いことになっている。

 それは勿論有り難いのであるが、調べてみると申請するのに2000円分の印紙がいると言う。

『印紙なんてどこに売っているんやろう?』

 調べてみると、ある銀行で売っていた。

 職場から歩いて30分ほどのところにその銀行の支店がある。

 早速出掛けることにしたが、向かって歩いている内に後ろ向きな疑問がふつふつと湧いて来た。

『何で待ってもらうのにお金払わなあかんねん! と言うか、更新すること自体にも3万ぐらいすると言うし・・・。教員を続けさせて貰う為には上納金がいると言うわけか!?』

 ちょっとムズムズしながらも手続きを済ませ、ちょっと出遅れている感がありながら、もしかしてまだどこかで更新講習を受け付けているかと期待し、調べてみた。

 調べてみるものである。

 或る大学で通信教育による更新講習を受け付けていた。

 慎二は教員免許を大学卒業後に取ったので、必要な単位の一部を取得するのに通信教育を利用した覚えがある。

 これが普通に教室で講義を受けて学ぶよりも面倒なことは分かっている。

 それでも時間の自由が利くのと、短期間で所得することも可能な場合が多いので助かる。

 この時もそうであった。

 申し込んでみたら、折り返し電話があって、今年度中に取得するのはちょっと難しいかも知れないが、急げば可能であると教えてくれた。

 慎二にすればわざわざお金を払ってまで猶予して貰っているので、急がないことを伝えると、大学の方もホッとしたようであった。

 それが気を楽にしたのか? 隙間時間を有効に使って学び、短期間で済ませることが出来た。

『ホッ、何とか取れて好かった、好かった・・・』

 そう思うと慎二は待って貰うのにお金を払ったことが惜しくなって来た。

 それでも、更新講習を受けたこと自体に悔いはなかった。

 しっかり勉強し、レポートを書いたり、試験を受けたりして、教科的な知識として後々教えるのに役立ったこともある。

 ほんの一部ではあるが、これを切っ掛けに常に学び直しなさいよと言う意思は感じられる講習であった。

『でも、今更教育事情についてさらりと概観してもなあ・・・。でもまあこれもこれを切っ掛けにして常に学び続けなさいよ、と思えば好いんやろなあ』

 そう納得して慎二はもう10年は受けなくて好いことにもホッとしていた。

 暫らくしてからのことであるが、或る大学の講習を受けに行った人の話にはちょっと笑ってしまった。

「理科でなあ、教卓の上に水が入ったペットボトルがずらりと並んでるねん。ほんでなあ、どれがエビアンですか? それがテストやねん」

 言っている人も笑っており、その時はそれで済んだが、それに比べると通信教育の内容が確りしたものであったことを後々改めて感じる慎二であった。そして折に触れては、

『でも、やっぱり3万円は高いわぁ~。それを自分で払わなあかんのも変やし、1年猶予して貰うのに2000円も出さなあかん。頑張って年度内に取れて、結局待って貰わんでよかったから、余計に惜しい気がするわぁ~』

 と悔しがる、大阪人らしくけち臭い慎二でもあった。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 ネットの記事を読んでいると、教員免許の更新に付いて触れていたので、思い出したことを元に、小話を書いてみた。

 好く見れば、これを切っ掛けに常に学びなさいよ、と言うことだろうし、多くの教員に役立てようと思えばもう少し手間暇を掛けるべきかとは思う。

 それからやっぱり、仕事を続けて行く為に自分の時間とお金を要求されるのには抵抗がある。

 それは自主的にするべきことで、外から求められるものではない。

 そう思う気持ちが強いからである。

 

        面倒な免許更新済ませたら

        使った時間惜しまれるかも

 

        面倒な免許更新済ませたら

        使ったお金惜しまれるかも

 

 結果を求められ、差を付けられるのは仕方が無い。

 それはどんな職業であろうと同様であろう。

 任意で受けられるような有料講習が用意されているのも好い。

 喜ぶ人も多いことだろう。

 でも、強制にはやっぱり抵抗があるなあ。

 教員はそれぞれが個人事業主みたいなもんで、我が強いからね。フフッ。

 

        其々が自己責任で仕事して

        強制あればむず痒いかも

 

 これは何もこんな些末なことばかりではない。

 授業準備、生徒指導、保護者との懇談、クラブ活動の指導等においても熱心な教員は自分の時間とお金を使って自主的に取り組み、遣り甲斐を感じているはずである。

 それが、その熱い思いを利用するかの如く強制になって来るから、それはちょっと違うと言う思いが頭をもたげて来るわけである。

 勿論、熱意があれば何でも好いと言うものではない。

 ただ頑張ることが評価されるのは学校だけで、社会では成果を求められると言うのも分かる。

 その為には一定の縛りも必要であろう。

 多くの教員が納得の行く基準を設け、その基準に沿って各教員毎の成果を評価すれば好い話ではないか!?

 足りなければマイナスの評価を伝え、改善を求めれば好い。

 給料が下げられるのも仕方が無いだろう。

 また優れていればプラスの評価を伝え、待遇を好くすべきであろう。

 その為には、管理職にも形式ではない、より多くが納得する評価を求められるだろうがね。フフッ。