sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(1)・・・R2.8.9②

            トンネルを抜けて

 

                                相模宗太郎

 

              序章

 

 大阪府の東部、北河内に入った辺りにある府立秋川高校から移って来た大阪府の東北部、京都府寄りにあり、知的障がい児を預かる府立曙養護学校(※1)での2年目を向かえた藤沢慎二は、勤務している学校でのこと、自身の恋愛そして結婚のこと等、まだまだ解決しなければならない問題が山積みであった。

 しかし、落ち着かない中にもそれなりの希望が見出せ始めたような気がし、今年度こそはと期するものがあった。

 余談ながら、教師をしていると、職業柄どうしても年ではなく、年度のくくりで考えがちになって来る。 

 それはまあともかく、慎二はこの時、暗くて長いトンネルの中を手探りで歩いている気分であったが、それでも少しずつ向こうに薄っすらと光明が見え始めた気がし、

《色んな波に揉まれながら、結構格好悪い自分をさらけ出しながら、何とか日々を送っている人が殆んどであることを目の当たりにすると、こんな自分でも十分、とまでは行かなくても、まあまあで好いのなら、この曙養護学校でも何とかやって行けるのではないかなあ・・・》

 そんな風に思えて来たのである。

《よし、ここを居場所と定めて、今の自分を見つめ直し、新たな一歩を踏み出そうではないか!?》

 慎二は、そう強く決意して、次の日に迫った始業式を迎えることにした。

 始業式と言うと、一般的にほんの僅かな時間、顔を合わせるだけのことだし、大したことがなさそうに思えるかも知れない。

 ところが、現場にいるとそんなに簡単なものではなく、何年勤めていても、新たな学期を迎える日として緊張するものであるし、特に1学期の場合は新年度を迎える日としての緊張度が高く、前の晩は中々眠りに就けないものなのであった。

 この年度慎二は、前年度、したがってつい3週間ほど前まで授業等でよく世話になったベテランの道畑洋三、前年度、大分気持ちを揺らされたものの事実としては結局何もなかった赤坂響子改め本山響子と同じクラスを担当(※2)することになり、仕事的には気が楽な面と、男女間の緊張を伴う面とが絡み合った、中々複雑な思いであった。

 ただ、いずれにしても心底嫌な感じ(※3)はなさそうなクラスなので、

《不器用な自分にとっては、このメンバーやったら、余計な神経を使わずにまあまあやれるのではないかなあ!?》

 と期待するものがあったのである。

 

        トンネルの中で彷徨う日々送り

        漸く光感じるのかも

 

※1 大阪府では普通校の教員として採用され、支援教育の免許を持っていなくても、支援学校に初めから配属されたり、普通校から異動させられたりすることがままある。

※2 養護学校、現在では支援学校においては複数担任制が普通である。

※3 支援学校、特にこの話の舞台となっている知的障がい支援学校の生徒は言葉が不自由である分、勘が鋭く、教員が教養で隠している部分を揺さ振る傾向にある。それが合えばぐっと近寄り、仲の好い家族のようになれるが、合わなければ逆になり、日々が辛いものとなる。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 この話を書き終えたのは2003年とあったから、それらしい話が実際にあったのは更に前、だからもう大分前のことになる。

 何がどうと大して変わり映えのしない話かも知れないが、庶民の日常はまあこんなものである。

 そしてそれぞれに人生がある。

 初めはそんなことを日記に書いていたが、そのまま書くのはちょっと恥ずかしい。

 それならばちょっと脚色し、私小説とでもしておくか!?

 ということで、段々それらしいものを書くようになった。

 その頃、自分が書いたものを周りの人に見せて喜ぶようになっていたのであるが、流石に私小説なものは直接知られていることが多いだけに抵抗がある。

 それに恥ずかしい。

 それ故、創作的なものとして見せたのはSF 的な小話が殆んどであった。

 当然、私小説なものは見せていないものの方が多い。

 今、上げようとしている話もそのひとつである。

 また時間と気持ちに余裕のある方は、気が向いた時にでも読んでいただければ幸いである。