オネスト・ジョン
相模宗太郎
親愛なる母にこの話を捧ぐ
正直者には福来る
昔からそう言うでしょう お母さん
なのにどうして僕には まだ福が来ないの
こんなに正直に生きて来たのに
僕がこんなにも寂しいのは
どうしてなのか さっぱり分からない
教えてお母さん どうして
僕は昔から人様に後ろ指だけは指されまいと
誰にでも正直に接して来たのに
僕はまだ少しも幸せになれないんだ
でも 安心してお母さん
僕はこれからも正直に生きて行くから
誰にも笑われないように生きて行くから
序章(その1)
『僕はどうしてこうなんやろぉ? 別に悪気があったわけやないのに、また余計なことを言うて若杉先生を怒らせてしもた。ざっくばらんに言うたら保護者との気持ちが近付くかと思ただけなんや。養護学校って、本当に難しいところやなあ・・・。こんな難しいところで果たして俺は、これからもやって行けるんやろか!?』
5月上旬、初夏とは言え、まだ肌寒さの残る涼風に吹かれて過ごし易い夜、風呂上がりに缶コーラを傾けながら、独りでのんびりと昼間のことを思い返してみると、藤沢慎二は言いようのない不安に包まれていた。
昼間のこととは、その日、保護者を集めて行われた学級懇談会のことであった。
慎二はこの春から大阪府の東北部に位置する曙養護学校に勤め始め、1学期が始まってからまだ1か月ほどにしかならないのに、養護学校の事情を全く知らず、少しでも早く適応しようと言う努力もしない所為で、無神経な言動だけが早くも目立ち始め、ここ週間ほどの間に同じクラスのもうひとりの担任、若杉美也子から毎日のように激しく責め立てられ、かなり参っていた。
美也子も養護学校の経験が3年目で、そんなに経験があるわけではないが、生真面目な性格で、これまで仕事一筋に一生懸命取り組んで来ただけに、慎二ののほほんとして殿様然とした仕事振りが癪に障ったのであろうか!?
それに、今年30歳になり、どうやら同い年らしい慎二がちょっと気になる存在でもあるらしい。
そう言えば同僚達から、この頃少し綺麗になって来たと噂されているようであった。
その日の学級懇談会は保護者と初めて顔を合わせる、いわば養護学校における儀式のようなもので、慎二のように普通校から異動して来たばかりの教員は何だか値踏みされているような、変な緊張感を伴う場であった。
懇談会では先ず美也子が生徒それぞれの学校での様子を差し障りのない程度に話し、次にそれぞれの保護者から家庭での生徒の様子を簡単に話して貰った。
現時点のことをお互いに大体確認し終え、生徒達はこの年もう中学部の3年生になっていたので、どの保護者もすっかりリラックスした様子である。
暫らく沈黙があった後、保護者のひとり、秋元康江が柔らかく微笑みながら慎二の方を向いて、おもむろに聞く。
「藤沢先生、確か養護学校は今回が初めてでしたわね?」
どうやら、養護学校の教員の中では比較的若く、ちょっと茫洋としたところのある慎二に興味を持ったようである。
「ええ、そうです。近くにある山鉾高校から来ました」
「先ほどの全体会でもそう仰ってましたわね!? それで、どうして今回は養護学校を選ばれたんですか?」
康江はちょっと試すような、期待するような表情をしている。
養護学校に子どもを通わせている保護者はそれぞれどこか傷付いており、その分、他人に対して厳しい目を持っている。
自分がどう言う運命の悪戯か障がい児を持ち、ここまで掛かって漸く、大分受け入れて来たにせよ、まだまだ辛い日々を送っているのに、また少しでも子ども共々居場所を確保する為に、一生懸命色んな運動に取り組んで来たのに、のほほんとやって来て高い給料を貰っているように見える慎二が気になって仕方が無いらしい。
しかし彼女等は、一旦自分達の思いに賛同し、真摯な取り組みをしている教師と認めると、全面的に信頼を寄せて来る場合が結構見られる。
それはちょうど村の中に入った新参者に対する過剰な警戒心と期待、と言った感じにに似ていて何だか面白い。
しかし、他人の気持ちに対して呑気な慎二は、そんな複雑な思いがちょっと硬くなった康江の表情の裏に隠されているとは夢にも思わず、
『折角自分に興味を持って聞いてくれているんやから、出来る限り真面目に、かつ暗く、重くならないように答えなければいけないなあ』
と単純に考えて、軽く口を開いた。
「いやぁ~、大した理由なんかないんです。我々教員は異動して来る前年の秋に異動希望と言うのを管理職に出すんですがねぇ、その時に学校の種別に希望順を振るんですよ。その時にたまたま養護学校を、確か8個ある内の第3希望ぐらいにしておいたら、通っちゃったんですよ。ハハハハハ」
「まあ、第3希望ですかぁ~!?」
「ええ、第3希望です。ハハハ」
どうやら非常に拙かったようである。
自分の周囲に冷たい空気が一気に流れ込んで来たことに違和感を覚えながら、慎二は心の中で、
『そやかて希望しているんやから、しないよりはましやろぉ!? それに第3希望やったら、まあまあ高い方やのに、何もそんなに冷たい目をせんかて・・・』
と栓のない言い訳を繰り返していた。
普段から運命の理不尽に傷付いている保護者達は、外にいるものからすれば真面目過ぎると思うほどの真面目さを他人に対しても要求するもののようで、頭の片隅では厳しい現実を分かっていても、自分達と同じように真摯に立ち向かおうとする姿勢を他人である教員に対しても強く期待しているようであった。
それを、どうせ第3希望ですから、と言う感じで安っぽくされることを許されないものように思えたのであろう。自分達がこれまで一生懸命立ち向かって来たものに対してお前は一体何ということをしてくれたのだ!? と腹が立って仕方が無かったのである。
事実、慎二が養護学校を第3希望としたのは、単なる出来心で、そんな気なんて全く無かった、とまでは言わないまでも、安っぽい感傷に過ぎない面も多々あり、障がい児に関することは何も分かっていなかった。
単に高校で、肢体不自由はあるものの、成績的にはむしろ上位に属する生徒2、3人に接する機会を持っただけのことである。
その生徒達は精神的にも幼稚化している今時の健常な高校生よりもよっぽど大人っぽく、慎二の感傷に合わせてくれるぐらいだったので、慎二はすっかり自分を、障がい児に対しても健常児と全く分け隔てなく接する優しい教師と思い込んでいたのであろう。
綺麗事しか見ていない自称人権派教師にありがちなことであった。
当然のように、重度の知的障害を持つ生徒が通う曙養護学校に赴任し、生徒達と接し始めた瞬間からまごまごすることばかりで、美也子をはじめとする周りの教員に呆れられ、迷惑がられる日々の連続であった。
おまけに、保護者の前でも養護学校に異動して来た経緯を馬鹿正直に話すものであるから、保護者にまで呆れられる始末であった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これは20年ぐらい前に書いた話である。
少し訂正したぐらいで、殆んど変えていない。
当時の養護学校は今特別支援学校と言われている。
色々な意味で大変と言うことか? 普通校の教員よりは10%増しの給料であった。
ついこの前まで、このブログではスポーツに関することを中心に書いていたが、そろそろ書きたいスポーツのことが減って来たので、また以前に書いた話を見直しながら上げて行きたい。
お時間と気持ちの余裕のある時にでも読んでいただければ幸いである。