sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

そして季節の始まり(4)・・・R2.7.28①

          第1章 再生

 

            その4

 

 翌朝、寝床に横になったまま、ぼぉーっと天井を見ている藤沢慎二を見て、心配そうに川田博美が声を掛ける。

「お~い、藤ピー、しっかり寝たんかぁ~!? 何や、夜通しずっとごそごそ動いていたようやし、今も、未だ6時前やのに、もう起きている・・・。もしかしたら夜遅くに俺が帰って来たのも知っているのとちゃうかぁ~?」

「うん、知ってる・・・。もう11時を大分過ぎてたなあ? そやけど、川田さんも俺が起きていたのを知っているんやから、あんまり寝てないのとちゃうん? あんたこそ大丈夫かいなあ?」

「俺は大丈夫やてえ。それに、俺の方はずっと起きていたわけやない。時々目が覚めたら、決まって藤ピーが起きているようやったから、ずっと起きてたんとちゃうんかなあ、と心配したわけや~」

「そうやったんかぁ~!? 心配してくれて有り難う。でも、大丈夫やでえ。ちょっと眠たいけど、今日もスキー、行けるでぇ~」

 そう言って慎二は笑って見せた。

 その顔にやつれが見え、川田はかえって気を使うのであった。

「どう。今日は観光でもせえへんかぁ~!? もう2日間はタップリ滑ったし、今日ぐらいのんびり温泉に浸かったり、土産物見たりしてもええんやでえ。どや、戸隠に蕎麦でも食べに行こかぁ~!?」

 そう言われると、小心者故に意固地な慎二は余計に、

《もう暫らく川田とは来れなくなるような気がするから、今日こそしっかり滑っておきたい。それに、もしかしたらその内に森田晶子さんとここに来ることがあるかも知れないから、この機会にもう少し上手くなっておきたいし・・・》

 などと欲が出て来るのである。

 と言っても、現時点では決して上手いわけではない。いや、はっきり言ってしまえば、元同僚たちに比べると目立って下手である。ただ体力に任せて転けるまで滑り続け、前回に来たときまでの感じで言えば、それを飽きずに何度も繰り返すだけであった。

 それでも、もう何度か前の職場である秋川高校有志のツアーでここに来ていて慎二は、今回、特に気が弾んでいる所為か? かなりの急坂に見えるような箇所でも、何とかボーゲンでゆるゆると滑り降りられるようになり、漸くスキーの楽しみが分かるような気になって来ていた。

 「・・・・・」

「なっ、それがええやろぉ~!? たまには違うことしようやぁ~!」

 返事の無い慎二に焦れて、川田は再度誘う。

「いや、折角来たんやから。やっぱり滑りに行こ!? それにリフト券、未だ1日分は残っているし、勿体無いやん!」

 そう言いながら慎二は、本当に勿体無そうな顔をした。

「ははは。そんなん、いらんかったら誰かにやったらええやん。藤ピー、意外とけちやなあ。ははははは」

 

 暫らくして、やっぱりスキーをすることに話が付いて、スキー場行きのリフトに乗った慎二は、少し足を揺らしながら下方を見下ろし、手すりを思わず強く握りしめた。

 野沢温泉村の方からスキー場に上がるリフトは長く、所々谷が結構深く落ち込んでいるので、防護ネットがあまり張られていない足元を気にしながらの移動は、高所恐怖症気味の慎二にとって、毎回、大きなスリルであった。

 その真剣そのもののような顔が面白いらしく、川田はわざとリフトを揺らしてみせ、悪戯っぽくニヘッと笑う。

「お、おい。止めろよぉ~! 何するねんなあ!?」

「ははは。藤ピー、こんなん怖いんかいな!? ほれ、俺はこれぐらいいっこも怖ないでぇ~。ほれ、ほれ」

 そう言って川田は両手を離し、状態を後ろに反らせ、脚をバタバタさせて見せる。

「おい、やめろ、ってぇ~! 揺れるやないかぁ~。それに川田さん、何ぼ怖くないからと言うて、あんまり調子に乗っていたら、しまいに落ちるでぇ~!?」

 

 大騒ぎしながらスキー場に辿り付いた慎二は、更にロープウエーのような大型ゴンドラリフトで中腹まで上がり、そこから緩やかな坂を何度か転びながら、それなりに気持ち好く滑り降り、そして林道の方に向かった。

 

 林道は途中に何箇所か多少急な坂もあるものの、全体的にはなだらかで、下の方までだらだらと長く続いているから、細かな判断を要せず、好きなことを考えながらのんびりと割と長時間に亙って滑っていられる。普段においても華やかに一瞬のエネルギーを燃やす祭りより、一見抑揚の無い、地味な日常生活をダラダラと送ることが好きな慎二にとっては肌に合い、お気に入りのコースであった。

 川田に言わせると、ある程度滑ることが出来るようになったら、勇気を出してもっと難しいコースにチャレンジしなくてはスキーの本当の面白さが分からないらしい。今回も川田は、慎二より遥かに上手いのみならず、更に上を目指して二級の検定を受けるべく講習に参加しているのであるが、不精者の慎二は、そんな風に努力する川田を根が真面目だとは思い、大いに感心するものの、真似をする気などさらさら無かった。

 

        気の置けぬ友と旅する雪国で

        勝手に滑るスキーなのかも

 

        日常のライフスタイル表われて

        選ぶコースが分かれるのかも

 

            その5

 

 正味3日間のスキーを満足の内に終えた藤沢慎二は、今、帰りのバスに心地好く揺られていた。

 これまでも何度かこの野沢温泉村には来ていたが、前の職場である秋川高校有志のツアーの為、何時も周りの流れに乗っているだけで、来る時も、帰る時も、お土産を買ったり、温泉に入ったりする時も、そんなに大きな感慨は無かった。独りではとても出来ないであろう面倒な手続きを手馴れた他の人が纏めてやってくれるから、しかも格安の値段でのんびりと遊べるから、ただ流れに乗せられていただけである。

 それが今回は、幾ら川田博美が殆んどの手続きをしてくれたとは言え、自分で判断した気持ちが強く、それに現地での行動の多くは自分に任された。

 そう思うと慎二は、何だか大きなことを遣り遂げたような満足感を覚えずにはいられない。

 そして、それだけではなく、こんなに色んなことが胸に沁みるように思われたこともこれまでに一度もなかった。

 

 もう大分遠くなりつつある野沢温泉村では森田晶子のことを思いながら落ち着いた民芸品店であけび細工の鳩車や渋そうな焼き物を選んだり、洒落た喫茶店でコーヒーカップを傾けたりしながら、その度に慎二は、

《嗚呼ここに晶子が一緒に居てくれたらなあ・・・》

 と淋しく思うのであった。

 仲睦まじく道を行くカップル、スキーを楽しむカップルを見る度に、慎二はそれを自分と晶子に置き換え、胸を熱くするのであった。

 

「なあなあ、藤ピー、本当に大丈夫かぁ~? この旅行中ずっと、やっぱり何や変やったでぇ~。あんまりわけを訊いたら悪いと思て、なるべく黙ってたんやけど、もしかしたら、また安永さんのことを思い出してたんとちゃうかぁ~!?」

 車内の熱気で曇った車窓の方ばかりぼんやりと見ている慎二を心配するように、川田が遠慮がちに話し掛ける。

 

 慎二は川田がごく自然に表せる友だち思いの優しさを有り難く思いながらも、未だ晶子のことを言う気にはなれない。

 手紙の遣り取りでお互いを熱く思い、求める気持ちは分かりつつも、今、それを口に出せば、そのまま消えて行ってしまいそうな儚さを感じるからであった。

 しかし、旅行中、ずっと心配してくれていた川田のことを思うと、何も言わないわけには行かない。

《それに、もしかしたら今回のツアーも、夏の終わりに婚約を解消して傷付いた俺の気持ちを少しでも癒そうと考えて誘ってくれたのかも知れない・・・》

 そう思うと慎二は余計に何も言えなくなってしまうのであった。

 

「いや、何もなければええし、言いたくなければそれでもええねんけどなあ~。藤ピーを見てたら本当にしんどそうやったから・・・。もし俺でええんやったら何ぼでも聴いたるでぇ~。遠慮せんと言うてみぃ~」

 珍しくストレートに感情を向けて来る川田に押され、慎二は勇気を奮って口を開いた。

「ご免、心配ばかり掛けて・・・。あんなあ、確かに川田さんが言うように、安永さんのことを思い出してたんや・・・。でも、心配せんといてえ! 今までは自分の中でもはっきりさせなかった感情がこの旅行中にはっきり出て来て、これで漸く吹っ切れそうな気がするねん!」

「そうや。藤ピー、あんまり安永さんのことを悪く言わなかったもんなあ!? 俺はかえって心配してたんやぁ~。何ぼあの結婚がお互いの志に怪しいところがあると言うても、一応婚約していた2人が別れたんやから、きっと大きな感情の遣り取り、そして揺れがあるはずやのに、全然そんなこと言わへんかったもん。そやから、まだまだ整理出来てないんやなあ、と思てたんやぁ~」

「流石やなあ、川田さん!? やっぱり普段からせっせと小説を書いているだけのことあるわぁ~。分かってたんやなあ・・・」

 

 川田は関西の私学ではトップクラスに入る立正舎大学の文学部を出た国語の教師で、よくあるように大学時代は同人誌に加わり、純文学の小説家になることを夢見ていた。そしてこれもよくあるように仲間からの痛烈な批判に負け、表向き小説家を諦め、本人の弁によれば「しがない高校教師」になった今も、長期休暇になるとせっせと私小説らしきものを書き溜め、何時かは小説家になり、あわよくば芥川賞を獲ると言う夢を、決して諦めてはいなかった。

 理系でありながら書くことに興味を覚え、この頃せっせと歌日記やエッセイらしきものを書いている慎二は、何れ小説を書いてみたいとは思っているものの、川田の真剣さに比べると気後れがして、とてもそれを口に出すことは出来なかった。

 

「そんなん、藤ピーのことを見てたら誰でも分かるわぁ~!? 別れた頃はほんまに嬉しそうやったけど、その後、何や沈んでたし、それに面倒な手続きも残っていたみたいやから、陰ながら心配していたんやでえ。もし慰謝料とか要るんやったら、100万円ぐらいやったら用意する覚悟、してたんやでえ・・・」

「ははは、そんなん大丈夫やぁ~。収支決算で多少はお金が掛かったけど、慰謝料と言うほどのものは取られへんかったし・・・」

 慎二は川田の言葉に籠もる真情に、涙が出るほどの嬉しさを感じていた。

 それから結婚を考えて麻衣子が自分の母親と共に選び、新居になるはずの建売住宅に運び込んでいた電化製品、家具等を実費で買い取るように頼まれ、一刻も早く片付けたかったから断り切れなかったことを苦々しく思い出す。

《嗚呼、あれが慰謝料みたいなもんやったなあ。自分で選ぶんやったら、あんな高いもん、買わなかったもんなあ。あれを払う為に生命保険を解約したり、予備に置いていた定期を取り崩したり、大変やったわあ。でも、今、その電化製品や家具を使って結構重宝しているから、やっぱりあれは慰謝料とは違うもんやなあ・・・》

 慎二はゆっくりと自分の気持ちを振り返り、自分で自分を十分納得させた後に、訥々と口を開いた。

「前にも言うたように、電化製品や家具を買い取らされたようなもんやけど、まあええねん」

 川田は、慎二の話し相手をあまり意識しない、自分勝手で、酷く間の抜けたテンポに、辛抱強く付き合ってくれる。

「藤ピー、あれに80万円も払た、と言うてたやろぉ~? 結構しんどかったんちゃうかぁ~!? もしこれからでも何か入り用があったら、遠慮なく言うてやぁ~」

「本当に大丈夫やてえ。今のところ、何とかなっているよ。今回も野沢温泉村まで一緒にスキー旅行に来たし、その前には日本橋まで一緒にマックのパソコンを買いに行ったやろぉ~!?」

 

 マックとはウインドウズパソコンが出て来るまで結構な人気を誇っていたアップルコンピュータマッキントッシュのことで、慎二は年末にパソコンに関する大先輩でもある川田に日本橋まで付き合って貰い、自身の庶民感覚で考えて普及価格帯に入って来たと思われたパフォーマ575と、それとセットで用意されていたプリンター、スタイルライター2400を買ったのである。

 慎二はボーナスを貰ってから住宅ローンの支払いに必要な分だけを残し、殆んど遊びや電化製品に使っていた。

 その辺り慎二は至極暢気なもので、知らない土地の一戸建てに住み、独りで生活するのに、そして今後、晶子と付き合って行くのに、どれぐらいのお金が掛かるのか? 全く予想していなかったし、あんまり心配もしていなかった。比較的潤沢に小遣いが使えたこれまでの自然な流れで、

《いざとなれば原稿書きや原稿吟味のバイトもあるし、まあ何とかなるやろう!?》

 と気楽に考えていたのである。

 慎二は教師になる前、2年半ほど大学受験関係の中堅出版社である若草教育出版で編集者をやっていたことがあり、その縁で物理や地学の大学受験用模擬試験の問題作成を頼まれることがあって、小遣いが足りなくなると時々それを受け、結構無視出来ないぐらいの収入を得ていた。

 

        結婚に現実感が薄い故

        今一財布締まらないかも