sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

季節の終わり(3)・・・R2.7.9②

          第1章  恋敗れて希望あり?

 

              その2

 

 とりあえず1時間ほどのんびりと広瀬学の勉強相手をした藤沢慎二は、チラッと腕時計に目を走らせ、それから30分ほどは学の病状、学校の様子、家庭状況等について、母親の朋美とのとりとめもない話に付き合うことにする。

 養護学校の訪問担当は要するに家庭教師みたいなものである。勉強と同じ程度、時によってはそれ以上に、保護者との一見お気楽な話に付き合い、入院が長引いて不安になりがちな本人および保護者の精神安定に多少なりとも貢献するのである。

 

「今日の学君は調子が結構好いみたいですねえ!? 今日は久し振りに勉強が大分進みましたよぉ~」

 うつむいて指導と言うか? 勉強相手に集中していた所為もあって、上気した顔のまま、慎二がそう言うと、朋美は嬉しそうに言う。

「そうなんですよぉ~、先生! 最近こんなことは珍しいですわぁ。先生が来て下さっても、しんどそうに寝ていることが多かったですもんねぇ・・・。昨日、お腹から水を抜いたからかしら、身体が軽くなったのよぉ。ほら、大分小さくなったでしょ!? 70kg以上あった体重が今日は62kgしかないんですよぉ!」

「ええっ、そうなんですかぁ~!?」

 慎二としては、腎機能の低下の為に体内に余分な水分が溜まっては大きく膨れ上がり、それを薬で強制的に抜かれては小さく萎む学を見ていると、痛ましくて、それ以上は何と言えば好いのか分からない。

「うふっ。それからねぇ・・・」

 看護婦の経験がある朋美は慣れたものである。戸惑っている慎二に関係なく、何か思い出したらしく、嬉しそうに話を続ける。

「この頃、学にはすっごく可愛いガールフレンドが出来たので、もしかしたらそれも励みになっているのではないかしらぁ~?」

「もしかして、松村美樹ちゃんのことですかぁ!?」

 朋美の口から先に美樹の訪問担当教師である森田晶子のことが出ないかと冷や冷やしながら、慎二は自分から、今、朋美の話から何となく思い付いた、と言う感じで話題に出した。本当は、今日は病院に来る前からずっと晶子のことが意識の一番表面にあったので、朋美が話し終えるまでに何度か口から出そうになり、慎二は自分の熱過ぎる気持ちを抑えるのに苦労したのである。

 そんな慎二の隠そうとしても十分嬉しそうな表情を、朋美は決して見逃さなかった。

「そう言えば、彼女の先生、何と言ったかしらぁ? あの方、可愛いと言うともう失礼になるかしら? すっごく素敵な方ねっ!?」

「ええっ、そうだったかなあ? 確かまだ若い人でしたねぇ?」

「もぉ~っ、先生ったらぁ。今更惚けようとしても駄目ですよぉ! ほんと正直なんだからぁ・・・。ほら、もう顔が真っ赤になってますよぉ」

 朋美はそう言って、面白そうに手鏡を差し出す。

「・・・・・・・」

 益々縮こまり、何も言えなくなってしまった慎二に、朋美は追い討ちを掛けるように、

「でも、先生、駄目ですよぉ! 先生はもう直ぐ結婚するんでしょう? みんなから噂を聞いていますよぉ。家では彼女、学校では赤坂先生、そして病院では私だけかと思っていたら、今度は森田先生までぇ・・・。男の人は皆、本当に浮気なんだからぁ・・・」

 冗談っぽくそう言いながら、遠い目をする。

 どうやら、自分の伴侶のことでも思い出したらしい。

「そんなぁ~。僕はそんなに浮気者じゃないですよぉ! それに、噂になっていたあの話はもう無いことにぃ・・・」

「ええっ!? もう無いことに・・・、ってぇ、先生っ、もしかしたら、あっさり振られちゃったのぉ~?」

「そりゃまあそうなんですけどぉ、そんなにはっきりと言わなくてもぉ・・・」

 図星を指されて慎二は益々小さくなってしまう。

「それで今度は晶子さんにぃ~!? ほんとにもう、気が早いんだからあ・・・」

「ええっ、晶子さんと言うんですかぁ~?」

「そうよぉ。今思い出したわぁ。森田晶子さん、と言うのぉ。まだ23歳だそうよぉ。大学を出てから2年目で、今年24歳になるらしいわぁ。先生とは7つ違いで、悪くない組み合わせねっ!? 優しそうな人だし、学から聴いたところでは、どうやら、今、好い人はいないらしいわよぉ・・・」

 まだ惚けよう、焦点を暈かそうとする慎二の煮え切らない態度を無視し、本心に食い込むように、朋美は知っている情報をあっさりと伝授する。

「そ、そうなんですかぁ~? 有り難うございますぅ!」

「ほほほほほ。何が、有り難うございます、よぅ、この人はぁ・・・。ほほほほほ」

 朋美は可笑しくてしかたがない、と言うように、暫らく言葉が出ない。

「そんなに笑わなくてもぉ・・・。確かに、彼女、森田晶子さんでしたか? 彼女は素敵ですよぉ。男性ならあんな素敵な、しかも若い女性に惹かれても当たり前じゃないですかぁ~!? だから僕も当然惹かれちゃいますよぉ! それだけのことです。これのどこが悪いんですかぁ~? 何がそんなに可笑しいんですかぁ~?」

 朋美は、むきになる慎二が可愛くて仕方がないらしい。

「うふっ。今度は居直ったわねぇ、先生。別に悪くも可笑しくはないですよぉ。さっきの話だと、先生は晴れて独身に戻ったわけだし、まあ頑張ってみたら好いわぁ。応援しているのよぉ、これでもぉ・・・。そう思ったからこそ、知っていることを教えて上げたんじゃない!? ここは怒るんじゃなくて、感謝して貰わなくっちゃねっ。うふふっ」

「そうですねぇ・・・。ありがとうございますぅ!」

「ほほほほほ」

「ほら、また笑う・・・」

 そう言って慎二は朋美と暫らく見詰め合い、急にその大きな、よく光る瞳が眩しくなって来て、不自然に視線を逸らした。

 

 養護学校と言う特別な状況で先ず、かなり世間的な枠が取り払われ、更に不治の病に付き合っていると言う状況が加わり、知らず知らずの内に本音が出せてしまう相手を得て、慎二は何とも言えない喜びを感じていた。

 

        特別な状況壁を取り払い

        心と心触れ合うのかも

 

        究極の状況壁を取り払い

        心と心繋がるのかも