sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

季節の終わり(2)・・・R2.7.5②

        第1章  恋敗れて希望あり?

 

            その1

 

 治る見込みのない病気、悪性リンパ腫で入院している広瀬学を訪問しながら教えている藤沢慎二は、曙養護学校に来てからまだ1年半にしかならず、しかも、折角学校を卒業出来たのだから、たとえ仕事の為とは言え、今更自分から専門的な勉強をしようなどとは思わない、よくあるあんまり仕事に熱中しないタイプであったから、学の主障害と考えられる自閉症については殆んど分かっていなかった。

 それなのに、大病で入院している学の元にわざわざ週2回も通って来て、一体何を、どんな風に教えるのかと言えば、今までの様子が克明に記録されている先任者である、である多少オタクっぽく凝り性な秋園直哉が作成したファイルを参考にしながら、大雑把に、

《健常児の大体小学校2年生から3年生ぐらいの学力のようだなあ》

 と見当を付けて、公文、ベネッセ、学研、小学館、教育社等の教育系の出版社から出ている教材をコピーして持参し、元気な時はそれをそのままやらせては簡単に丸付けするだけであった。

 来てみてそこまでの元気がなさそうなら、学のベッドの横で、慎二としてはそう苦にならない折り紙、切り紙なんかしながら、母親の朋美と当たり障りのない話をして時間をつぶす。

 自閉症自体についての理解が浅い慎二にとって、学の自閉症について対応の仕方も当然よくは分からず、この1年半ほどの経験から単純に、

《障害を意識し過ぎるより、先ず人であること、親にとっては普通の子どもであることに注目しなければいけないなあ》

と思っていた。たとえば、

《自分がされて嫌なことを学にしてはいけないし、自分がして欲しい対応を学にすればいいはず》

 と、ぼんやりながら考えていたのである。だから慎二は、学が面白がって同じパターンの会話を繰り返そうとする時は、気長に、何時まででも付き合っていた。

 そんな或る日のこと、慎二は妙に浮き浮きした様子に見えた。どうやら、ここに来るまでにかなり好いことがあったようである。

「あっ、藤沢先生! こんにちはぁ~。何時来られたんですかぁ? 何だか嬉しそうですねぇ!?」

 その時、買い物から帰って来たらしい朋美が、何時もと違う慎二の様子にちょっと怪訝な表情をしながら言う。

「えっ!? いや、別に大したことではぁ・・・」

「ほんとぉ!? 何だか怪しいなあ。私相手に別に隠さなくても好いのに・・・。先生、水臭いなあ」

 夏休みの仮退院中に、独りで勝手に福井県の武生まで行ってしまった学を一緒に迎えに行ってから、朋美はちょっと頼りない慎二のことを弟のように思っているらしい。

 慎二としては特に隠す気はないのであるが、どう言えば好いのか? 実はよく分からなかったのである。

 最初の赴任校である秋川高校で知り合い、流されるままに婚約まで交わしてしまった安永麻衣子との1年半に亘る長いようで短い付き合いに漸く終止符を打つことが出来、晴れて独りに戻ったことがこんなにも気持ちを弾ませるものだとは思わなかったし、だからと言って、それをそのまま口に出すのは、何だか気が引けた。

《こんな極めてプライベートなことは、他人事のように淡々と言えるようになるまで、もう少し黙っている方が好いのだろうなあ・・・》

 不器用ながら慎二は、肌でそう感じていたのである。

「まあええわぁ・・・。でも先生。結婚するとか、何か好いことがあったら、真っ先に私に教えて下さいねっ!」

 全く反対のことを言い出す朋美に、慎二は憎めないものを感じていた。そして、先ほど病室に入る前に廊下で擦れ違った森田晶子のことが甘酸っぱく思い出された。

 晶子は、学の病院内における最近出来た話し相手、松村美樹の訪問担当である。まだ大学を出てあまり経っていないような、透明感のある初々しさを残した、もの静かな女性であり、化粧っ気がなく、地味な服装を好むようなので、擦れた神経の持ち主にとってはうっかり見過ごしてしまいそうになる。しかし、よく見ると、しっとりとした美しさを持った魅力的な女性で、慎二にとってはまるで、最近お気に入りの、韓国純愛ドラマのヒロインのようあった。

 30歳になるまでグループ交際を含めても殆んど女性と付き合った経験がなく、それも原因で、折角婚約まで漕ぎ着けた安永麻衣子と結局上手く付き合えなかった慎二は、今新たに晶子と知り合い、

《自分がフリーであることの喜びをこれほど強く感じたことはなかったなあ・・・。麻衣子とは綺麗さっぱりと別れたから、誰に恥じることなく晶子さんと付き合える。もっとも、勇気が出れば、それに晶子さんも俺のことに興味を持ってくれれば、の話やけどなあ・・・。でもまあ、どうやら学君は美樹ちゃんのことが好きみたいやし、と言うことは訪問担当同士、晶子さんとはこれから幾らでも話す機会がありそうや。嗚呼、晶子さんて、なんて素敵な女性なんやろ・・・。もしかしたら、もう付き合っている人がいるのかなあ? 彼女やったらいててもて全然不思議やない。いや、むしろいないほうがおかしいやろなあ。ほんま、どうなんやろ!? 嗚呼、気になるなあ・・・》

 独りでどんどん恋の炎を掻き立てるのであった。遅ればせながら慎二にも漸く適齢期、今風に言えばモテキが訪れているようであった。

「やっぱり、先生、何かあったんでしょう? ちょっと変よぉ。さっきからぼぉ~っとして、遠くの方ばかり見ているぅ・・・」

 朋美に心中まで見透かされたようで、慎二は真っ赤になりながら、

「いえ、何もありませんよ。お母さん、変なこと言わんといてください! ま、学君、それではこの前の続きをしようかぁ!? 漢字のプリントだったね? どれどれ、ふ~ん、大分やっているじゃないかぁ~!」

 そんな慎二を朋美は、ちょっと複雑な微笑を浮かべながらじっと見ていた。

 

        恋ひとつ終われば次の恋が見え

        忙しいのが適齢期かも