sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

人は見かけが9割!?(4)・・・R2.4.12②

               その4

 

 或る日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着いて、タイムカードのスリットを済ませた後、のんびりとした感じで執務室に入って来たら、これも何時も通り、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来ていた。

「おはよ~う」

「おはようございま~す」

 挨拶を交わした後、株価の変動、政府のコロナ対策等、ひと通り世間話をし、慎二は自前のノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。

 続いて2台のスマホを取り出し、1台目のスマホに通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。2台目のスマホテザリング用に契約している格安スマホで、上手く書けたと思う時はインターネットにつないで「あれまブログ」にアップしていた。1人、2人でも訪問してくれ、ときどき「いいね」を貰えることが妙にうれしくなりつつあった。

 

          朝のひと時雑詠

 久し振りに置き薬の点検にやって来た。

 昔ながらの懐かしさもあるが、取り扱っている商品自体珍しいものではなく、欲しい時に使え、使った分だけ払えばよい便利さ、点検の度に常に新しい商品と取り換えてくれる安心感、薬屋さんと直接コミュニケーション出来ることの大きさ等が今も生き残っている意味であろうか!? 

 最近でもあの熱過ぎる松岡修造まで使ったCMが流れている。

 ただ、タブレット、ハンディースキャナー、ハンディープリンター等を駆使して手際よく集金し、入れ替えて行くのは中々興味深かった。

 IT機器の発達により、使いこなせれば何事もスマートには見えるようになった。

 それで一体何が変わったのか?

 変わったことによる恩恵は何なのか?

 一方で失ったものはないのか?

 あったとすれば、それは何なのか?

 色々なことについてそんな検証をこの時間が出来た機会にしてみた方が好いのかも知れないなあ。フフッ。

 

        OA化其れでの変化検証し

 

        OA化仕事の質を検証し

 

 今回の新型コロナウイルス騒ぎでは各組織の首長の手腕、制度の意味、流通の問題、生物に対するマイクロレベルの目、人間関係等、色々なことがクローズアップされて来た。

 勿論、人的、経済的等の損失には甚大なものがある。

 その配慮を忘れてはならないが、今回炙り出されて来たことへの対応を通して、ただでは起きず、何かを掴み取りたい気持ちがあるのも事実である。

 

        転んでも只で起きない気持ちあり

 

        転んでも無駄に起きない気持ちあり

 

 例えば今回も欧米型社会に比べて我が国の特殊性みたいなものがクローズアップされているが、本当にそうなのか!?

 もしそうなのであれば、どこが違い、どこが違わないのか?

 違っていることのプラス面、マイナス面はそれぞれ何なのか?

 プラス面、マイナス面は表裏一体のものなのか? それともそれぞれ独立したものなのか?

 何れにしても、そのプラス面をより強調することは出来ないのか?

 そのようなことも何処かでじっくり検証し、議論して欲しいところである。

 識者、政治家、タレント等それぞれが自分の枠内で達成感、顕示欲、承認欲等を満たそうとしてマウントを取り合っていないで、こんな非常時には少しでも早く収束させ、日常に戻すという目標の下に協力し合えないものなのか?

 どうして世の中には構ってちゃんが多過ぎるのか?

 少なくとも今の我が国は非常にもどかしい状態のようだなあ。フフッ。

 

        コロナ禍や頭の中ももどかしく

 

        コロナ禍や誰もが語り煩過ぎ

 

        コロナ禍や言葉に溢れ事実無く

 

        コロナ禍や言葉に溢れ支援無く

 

 この日も自分なりには上手く書けたと思い、慎二がしみじみしていたら、井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。

「おはようございま~す」

「おはようございま~す」

「おはよ~う」

 ひと通り挨拶を交し合った後、慎二はちょっと迷い、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問いかける。

「どう、これぇ? 今日もまあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」

 それだけのことで小心者の慎二は、緊張で耳をひくひくさせている。

「ブログですかぁ~? 毎朝、よう精が出ますねえ・・・」

 半分呆れながらも、気の好いメルカリさんはさっと走らせて、

「ふむふむ。ふぅ~ん、藤沢さんのとこ、まだ置き薬屋さん来てはるんですかぁ~? 懐かしいですねえ。僕とこは高くつくからやってないけど、親のとこはまだやってますわぁ~。言うてはりますように、何時でも使える安心感、顔の見えるコミュニケーションと言うことでしょうねえ・・・」

 読んでいる内に穏やかな顔になって来たメルカリさんがしみじみと言う。 

 しかし、OA化、コロナ禍、構ってちゃんが多過ぎる等のことには触れない。あんまり込み入ったことまで話したくはないようで、慎二はそれがちょっと寂しくはあるが、メルカリさんとの会話はこんなものかと思っている。

 そう言えばファンドさんとは社会にしても、政治にしても、経済にしても、もう少し突っ込んだことを話すことがある。出身大学が同じと言う安心感かも知れない。たった4年のことで何がどうと言うわけでもないのであろうが、面白いもので、どこか気を許せるところがある。人とはそんな風に一見似た者同士で群れたいもののようである。

 それはまあともかく、適当に切り上げたメルカリさんが機嫌好さそうな顔をしてスマホを見せる。

「ところで、どうですぅ、この傘ぁ~!? ええと思いません?」

 それはメルカリの画面で、時代劇に出て来そうな紙の傘であったが、慎二にはこの話の繋がりと言うか、転換と言うか、それがよく分からない。

「・・・。まあ懐かしい和傘やけど、それ買お思てるんかぁ~?」

 分からないながら、慎二は時にそういう変化も嫌いでもないので、この変化に乗っておくことにした。

 メルカリさんはホッとしたような表情になって、

「もう買うことになってて、今日の帰りに取りに行きますねん。幸い近くやし、そうしたら送料がいらんから、安くつきますねん」

「ふぅ~ん。それで、そんなもん買ってどうするん?」 

 慎二は正直なところを言ってしまうが、メルカリさんは特に気にする風でもなく、

「これ使って、子どもの写真撮って貰いますねん」

「ふぅ~ん、写真館かどこかでぇ?」

「そう。毎年家族で写真を撮って貰うことにしてますねん」

「凄いなあ。そんなんしたら、凄い掛かるんとちゃうん!?」

 聴いていて小心者の慎二はそんなことが気に掛かっていた。

 そうするとメルカリさんは我が意を得たり! と言う感じで得意気に、

「それがねえ、アルバムを作って貰ったりせんと、データで貰いますねん。そうしたら写真を500枚ぐらいCD-Rに焼いてくれて3万円ぐらいですわぁ~。ええと思いません!? 毎年それを残して置いでも大して場所を取りません。必要な時に印刷してもええし、それに将来子どもの結婚式とかでも使えますでしょう?」

「ふぅ~ん、結構まめやなあ・・・」

 小学生を筆頭に子どもが3人いると聞くメルカリさんの家族主義に実は常々感心しているところもあった慎二は、果たして自分の場合はどうだったのか? 振り返りながら、ちょっと遠い目になって、

《俺も写真をデジカメで撮って少しは印刷し、少しは写真屋さんで印刷して貰ったが、多くはデータのまま散逸してしまったような気がするなあ。探したらどこかに置いてあるんやろかぁ・・・》

 慎二は自分が写真を観て過去を振り返る習慣を持たないので、家族についてもそんな風にいい加減にして来たことをちょっと後ろめたく思い始めていた。

 

        社会より家族のことを大事にし

        生きて行くのも悪くないかも