その3
或る日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分に着いて執務室に入り、正木省吾、すなわちファンドさんとひと通り世間話をした後、早速自前のノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。続いてスマホを取り出し、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。上手く書けたと思う時はブログにアップしていた。
朝のひと時雑詠
そろそろマスクが店頭に並び始めたと聞くが、並んでも直ぐに売り切れてしまうとも聞く。
職場近くのドラッグストアでも7時開店と同時に並べられ、同僚が7時9分頃に行ったら、もう売り切れていたとか。
普通に働いていれば、中々買えるものではない。
それでもマスクをしないわけには行かない。
通勤電車の中では、たとえウイルスまで防ぐ効果が薄いと言われていても、緊張で咳、咳払いが出る時もある。
その時の為にはあった方が落ち着き、適度な湿り気もあるから、咳、咳払い等が出ること自体も防いでくれる。
職場でも大勢が集まる場では欠かせない。
私の場合は使い捨てのマスクを洗って使っているが、それでも限度があり、そろそろ底を突きそうになって来た。
そこで必要になって来る自衛手段がマスクの手作りである。
我が家ではそろそろ家人が言い始めている。
職場では既に手作りマスクをしている同僚が増えて来ている。
そうなると面白いことに、色々な生地を使う所為で、当然色々な柄のマスクが観られるようになった。
いかついタイプ、渋いタイプの中年オヤジが可愛い柄のマスクをしていたり、清楚で可愛い感じの妙齢の女性が迷彩柄のマスクをしていたり。
何だか今までは隠れていた心模様が見えるようだなあ。フフッ。
手作りのマスクが見せる心根か
心根や手作りマスク透けて見せ
手作りのマスク心の中を見せ
自分なりには上手く書けたと思い、しみじみしていたら、
「おはようございま~す」
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。
慎二はちょっと迷い、井口の方に「神の手」を向け、見せながら問いかける。
「どう? まあまあ上手く書けたと思うんやけど・・・」
それだけのことで小心者の慎二は、緊張で耳をひくひくさせている。
さっと目を走らせて井口はにまぁ~っとほくそ笑み、
「この迷彩柄のマスクうんぬんは事務員の依田絵美里さんのことですかぁ~? 藤沢さんも隅に置けないですねぇ~。フフッ」
「な、何を言うんやぁ~。別に変な下心があるわけではなく・・・」
「何も下心があるなんて言ってませんやん。フフッ。でも、気になる存在ではあるわけやぁ・・・。フフフッ」
今日の井口は何時もの人の好さとは違い、ちょっと人が悪い!?
「井口君、何や何時もと違うなあ・・・。あっ、もしかしたら家で何かあったんとちゃうかぁ~!? 出る前に嫁さんと喧嘩したとかぁ?」
「なっ、何を言うんですかぁ~! 僕、嫁さんと喧嘩なんかしませんよぅ~。我が家は至って平和なもんですぅ・・・」
そう言いながら井口はちょっと目を泳がせている。
「やっぱり何かあったんやぁ~!?」
「そんなんありませんてぇ。まあ無い、無い言うても、どこの家でも少しぐらいはあるうもんでぇ・・・。えへん! それはまあともかく、昨日言ってたノートパソコン、もう売れててぇ、間に合わんかったんですわぁ~」
心底残念そうである。確かメルカリに安く出ていたWindows7が入ったノートパソコンのことであった。
「そやったんかぁ!? ごめん、ごめん。それでやなぁ~、依田さんに限らへんけどぉ、意外な取り合わせの気がして、その心の中が気になったわけやぁ~。あくまでも一般論としてやなあ・・・」
「あくまでも一般論ねぇ。はいはい。それやったらぁ、直ぐそこにいてるんやしぃ、依田さんに直接訊いてみたらよろしいやん!?」
また井口の目が悪戯っぽく光り出す。
慎二はまた目を泳がせ始めて、
「いや、違うってぇ! あくまでも一般論としてやからぁ・・・」
そう言いながら慎二は幾分頬を紅潮させ、耳をひくひくさせていた。
そんな中年オヤジたちの与太話を執務室の扉の向こうで聞くともなしに聞こえていた絵美里は微笑みながら家での遣り取りを思い出していた。
数日前の夜のこと、弟の悟が迷彩柄のシャツを差し出しながら、
「お姉ちゃん、これぇ・・・」
いかつくて口数が少なく、一見怖そうに見えるが、実は心根が優しいことを絵美里は知っていた。
「どうしたん? 今から洗って欲しいんかぁ~?」
「いや、違う。この前にお姉ちゃん、今度の職場は変な中年オヤジばっかりやぁ~、言うてたやん!?」
それを聴いて絵美里は笑いながら、
「ウフフッ。違うってぇ~。変と言うたら何や怖い感じやけどぉ、ちょっとおかしいと言うかぁ、面白い人が集まっているって言う意味やったんやけどなあ・・・」
「まあ何方にしても、職場だけやのうてお姉ちゃんやったら彼方此方で一杯声掛けられるやろからぁ、これを使ってマスク作ったらええねん。まあ虫よけみたいなもんやなあ」
悟なりの気遣いであった。
「そんなん買い被りやぁ~。お姉ちゃん、そんなに持てへんてぇ・・・。でも、気ぃ遣うてくれてありがとう!」
その時は謙遜して見せたが、弟にも可愛いと見えていたことが満更でもなく、絵美里は表情を和ませていた。
そして虫と例えられた中年オヤジに入るのかどうかは分からないが、藤沢、井口等の遣り取りがおかしくなって来た絵美里は、藤沢が本当に聞きに来るか? ちょっと楽しみになって来た。