sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

手首が覚えている!?(3)・・・R2.4.3②

               その3

 

 大阪府の東部にある守口工業高校を出た藤沢浩一は運好く、近くにある大手電機メーカー、杉上電器産業に入ることが出来、オーディオ・ビデオ機器の検査部門に配属された。

 最新の電子測定機器を使って憧れの新製品を検査する。聞こえは好いが、メーターを見て、許容範囲かどうかを確認し、記録するだけのことを毎日決められた時間、延々と繰り返すのであるから、3日もすれば飽きて来た。

 1か月もすると、学校にいたときと違って体中に凝りを覚えるようになった。

 そんなときに先輩に教えられ、比較的近くにある商店街、千林にある足裏マッサージ店を覗いてみた。

《うん? 何処かで会ったことがあるような気がする・・・》

 迎えてくれた女の子のぎこちない笑顔に、何となく見覚えがあった。

 何度目かのときに小中学校と一緒であった及川春江と思い出したが、浩一にとっては苦いと言うか? 恥ずかしい言うか? 黒歴史があるから、口には出せなかった。

 

 高校を中退し、何回か自殺未遂を繰り返した春江は、子ども家庭センターの勧めでカウンセリングを受けるようになり、少し落ち着いて来た。

 自分にはどうにも出来ないことまで抱え込み、どうしようもなくなっていたことに気付かされ、悔しかった。そして、そんなにまでなりながら、何とか生きようとし始めた自分が愛しくなって来た。

 前向きになった春江は目鼻立ちのはっきりした明るい顔に整形し、出直すことにした。

 アルバイトをしながらマッサージの専門学校に入り直し、在学中に国家資格を取った。卒業後、最近伸びて来た足裏マッサージ店に就職し、直向さが認められて主任にもなった。まさに順風満帆であった。

 そんなある日、客として浩一を迎え、春江の心は鈍い痛みを覚えていた。

 

 優等生の山田高志のことを諦め切れずに浩一と付き合っていた高木綾子は、落ち着かない気持ちを反映してか勉強に身が入らず、卒業するのがぎりぎりの成績で、4年制大学にはことごとく落ち、淀川実践短大の幼児教育科に何とか潜り込めた。

 高志は現役で国立京奈大学の経済学部に進んだ。高校を卒業するときにそれまで付き合っていた彼女とは卒業旅行を済ませ、それであっさりと別れたらしい。勿論、大学では新しい彼女が出来、それも1人や2人ではないと言う。

 完全に世界が違ってしまった高志のことを漸く諦め、浩一1人に注目してみると、

《そう捨てたものでもない。自分とは学歴が違ってしまったが、大企業に入っている。決して冒険はしないが、その分、不安も少ないだろう。多少気弱なところがあるものの、十分に格好いい》

 そんな風に満更でもないように思えて来た。

 

「化粧が濃い所為か? それとも整形でもしたのか? 顔が大分変わっていたから、初めは分からなかったけど、目や表情には独特のものがあるから、誤魔化されへん。何回か足裏マッサージをして貰っている内に分かって来たけど、向こうが何も言わへんから、未だ黙ってるねん」

 浩一は不安な気持ちを自分独りの胸に収めておけなくて、綾子に言う。

「整形したって噂を聞いたことがあるわぁ。それに、前には言わなかったけど、何度も手首を切ったことがあるそうよぉ。きっと出直したかったんやぁ~。そんな所に行って怖くないのぉ? 彼女、とっくに気付いているはずよぉ・・・」

 中学校のときから殆んど変わらない浩一の顔を見ながら、綾子は心底心配そうに言った。

 春江は担当者として紹介された瞬間に浩一と分かっていた。

 しかし、浩一は気付いていないようなので、黙っていることにした。

 何回目かのとき、マッサージを始めて暫らくすると、浩一の身体に一瞬緊張が走った。

 身体を触っていてこそ分かる微妙な変化である。

《どうやら気付いたらしいわ。私の顔、かなり変わったはずなのに、流石ね・・・》

 しかし、浩一は口に出そうとしなかったので、春江も黙っていることにした。出直せた今、懐かしくはあっても、特別に恨んでいるわけでもない。  

 それでも、男子は全般的に気弱なのか? 彼女のことに気付くと、こそこそ逃げ出したり、知らん振りをしたりするから可笑しい。

 そして今回も、ぐっとツボを押すと、浩一は一気に眠りの世界に落ちた。

 浩一からの話を聞いて、綾子は心配でならなかった。

《春江に足裏マッサージをして貰うと気持ちが好くて直ぐに寝入ってしまい、気が付いたら終わっていると言うではないか!? 狭いながらも個室だと言うし、幾ら大の男が相手でも、そんなもの何でもし放題ではないか!? 手首まで切った彼女が浩一に危害を加えないとも限らない・・・》

 しかしそれを忠告しても浩一は、

「向こうは知らん振りをしているし、ちょっとスリルがあってええやん。春江と知ってからは気持ち好さが微妙で、それはそれでええねん」

 なんて変態的なことを言って、笑ってさえいる。

《もう知らない! 好きにするがいいわ。首でも何処でも切られるがいい・・・》

 心の中で強がりを言ったものの、綾子の気持ちは少しも収まらなかった。


《嗚呼、気持ちよかった・・・》

「ふぅーっ。フフフッ」

 その日も浩一は身体を小刻みに震わせながら微妙な眠りから醒め、料金を支払い、名乗らないままに足裏マッサージ店を出た。

《どうして俺は不安に耐えながら、綾子の忠告に耳を貸さずに春江の店に行ってしまうんやろぉ・・・》

 答えは分かっていた。怖いもの見たさである。子どもの頃と同じように、春江との間の淫靡な関係が止められないのである。

 しかし、真面目な綾子は単純な浩一にさえある人間の陰の部分に耐えられないらしい。行くのを執拗に止めようとした。

 子どもっぽさを多分に残す浩一には、それがかえって火に油を注ぐ結果となるのも知らずに・・・。

 浩一が帰ってから、春江は可笑しくて仕方がなかった。

《そんなに怖がるのなら、少しはご期待に沿わなくてはね。ウフッ。でも可愛い! 怖かったら来なければいいのに、私と気付いてから余計に来るんだから・・・。それに、変な夢でも見ているのかしら? 時々変な笑い方をしたり、急にピクンとなって、その後身体を小刻みに震わせたり・・・》

「春江さん、春江さん! 何か楽しいことでもあったんですか?」

 浩一を送り出し、暫らく余韻に浸っている春江に、後輩の真澄が言った。

 今まで仕事一筋で、女性客や年配者には受けが好くても、若い男性客はどちらかと言えば苦手としていた春江が、その若い男性客を送り出した後、珍しく相好を崩しているのが何となく気になった。

「いえ、何も。何だか可笑しなお客さんだっただけよ・・・」

 そう言いながら春江は持っていた棒状の物をそっとポケットに隠した。

 その日、綾子の部屋にやって来た浩一が神妙な顔をしながら言う。

「やっぱり・・・、もう春江の店に行くのは止めようかなぁ?」

「急にどうしたん? あれだけ反対したときは面白がって、余計に行っていたのに、何か怖いことでもあったんかぁ~!?」

「う~ん、別にそう言うわけでもないねんけどぉ~、今日、帰るときに春江の顔を見ると、何や薄笑いしてるねん。やっぱり気付いていたんやなあ・・・」

「だから言うたやろぉ~!? 調子に乗っていたらあかんわぁ~」

 そんな遣り取りで安心したのか? 浩一はおもむろに靴下を脱ぎ始めた。

「ウフッ。ウフフフフッ。これ、なあにぃ~? また行くしかないわねえ・・・」

「えっ、どう言うことぉ!?」

 ほら、と言うように綾子が指し示す足の裏を見ると、マジックで大きく、右足に「再」、左足に「見」、と書いてあった。