sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

季節の終わり(13)・・・R2.7.19①

          第4章 晶子の日常

 

              その3

 

 帰り道の途中で夕食を簡単に済ませ、7時半過ぎに独り住まいの賃貸住宅に戻った森田晶子は先ず電灯を点け、それから窓を開けておもむろにエアコンのスイッチを入れた。

 昼間誰も居ない風通しの悪い部屋は、幾ら掃除が行き届いているように見えても独特の臭いが籠もっている。夏はそれが密室に留まった熱気で十分に蒸されているから猶更であった。

 臭いがそう気にならなくなった頃、窓を閉め、晶子はファックス電話機の子機を取った。自分と姉の奈津子を大阪に残して父親の良三と共に生まれ故郷の九州に帰った母親の佐智子と話す為である。

 迷っている時には掛けるのを我慢していることが多い晶子であったが、少し自分なりの考えが纏まり、解決の道が見え始めると、何となく佐智子の声を聞きたくなって来る。気楽に話しているだけで、何時の間にか、

《自分も独りでそれなりにやれているやんか!? これ以上頑張らなければなんて思わなくても好いんやで!》 

 と思え、やがて肩の力が抜けて来るから不思議であった。

 因みに晶子が心の中の言葉まで関西弁になっているのは、奈津子と共に生まれたのが大阪府の南西部に広がる泉州地区の所為である。

 

「あっ、もしもし、お母さん! 私、晶子よ。元気にしてる?」

📞何や、晶子かいな。お母さんは何時でも元気だよ。晶子こそ、この前は何だか元気がなさそうやったから心配してたんやけど、今日は元気そうやなあ。安心したわぁ~。

「そうかぁ~。この前は隠していた積もりやけど、やっぱり、気付いていたの? 流石、お母さんやなあ・・・」

📞そんなことぐらい気付くよ。お母さんの目は節穴やないでぇ~。なんて、電話で言うてるのも可笑しなもんやなあ。こんな場合は、一体どう言うたらええんやろ? そうや晶子、あんたは国語も得意やったやろぉ!? 知らんかぁ~?

「もぉ~っ、お母さんはぁ~。知らんわぁ~、そんなことぉ。相変わらず暢気なこと言うて喜んでるんやからぁ・・・。この前はなあ、ちょっと悩み事があってん。でも、もう大丈夫やからぁ・・・」

📞悩み事って、一体どうしたんやぁ? もしかしたら、寂しいからと言うて早速悪い男にでも引っ掛かったんとちゃうかぁ~!? そやから若い娘を独りで都会に残して行くのは嫌やったんやぁ・・・。どうや、今からでも九州に来るかぁ~? お母さんが此方で好い人、探してやるよぉ。ほんま、奈津子にもよう面倒看るように言うとかなあかんなあ・・・。

「ははははは。何言うてるのん!? 自分が好きな人ぐらい、自分で探すよぉ。今は仕事のことで頭が一杯やから、それどころやないわぁ。それにお姉さんは赤ちゃんが出来たとこやし、そんな暇なんかないってぇ~。私の悩み事はそんなことやないから、心配せんといてぇ。ほな、もう気が済んだよってに切るわなあ~。また掛けるから。さようなら・・・」

📞もうええんかぁ? 何やお前は奈津子と違って、えらいあっさりしてるなあ。親としては精がないけどぉ、お前がええんやったら、お母さんもそれでええよぉ。お父さんとは話さんでええんかぁ?

「いいよ。お父さんは何時も恥ずかしがって出えへんから、無理に呼ばなくてもいい・・・」

📞ウフフッ。そうやなあ。今、お父さんも慌てて、いらん、いらん、言うて手を振ってるわぁ~。ほんま、この2人は親子揃って恥ずかしがりなんやから・・・。ほな、また何かあったら掛けて来るんやでぇ。さようなら・・・。

 それで気が済んだ晶子は一緒に住んでいた頃の、娘らしい穏やかな顔に戻り、寝る仕度をしてから風呂に入った。

 因みに九州生まれのはずの佐智子まで関西弁になっているのは、長く関西に住んでいたのと、関西弁の伝染力の強さ故であった。

 

 それはまあともかく、暫らくして湯船に浸かり、ゆらゆら揺れる湯の中でしなやかに伸びる自分の艶やかな肢体をうっとり眺めながら、晶子はこんな風に伸びやかに産み育ててくれた佐智子と良三に感謝の気持ちで一杯になり、そして近い将来この娘盛りの身体をぎゅっと強く抱きしめてくれるのは一体誰なんだろう? と期待に胸をときめかしている自分に気付き、独りで真っ赤になっていた。

 それは、霧の向こうに藤沢慎二の顔がちらついた気がしたからで、そんな自分を誰かに見られてはいないかと思わず窓の辺りを見回し、急に胸が高鳴って来たのである。

 

 風呂から上がった晶子は、冷たい麦茶で喉を潤した後、書斎と言うにはちょっと貧弱な本棚と机でほぼ一杯になった4畳半ほどの勉強部屋に入った。

 それはこの日あったことを日記に記す為である。晶子は大学受験に備えて勉強する頃から毎日寝る前に日記を付けていた。そうすることで考えが纏まり、落ち着く気がしたのである。

 

9月10日

 今日、松村美樹のところへ行って来た。母親から容態について聞いているだけに、どんな顔をして付き合えば好いのか、未だ迷っている。

 クラスの生徒である新庄正美と浜崎菫が病院に見舞いに来た。相変わらず勝手なことばかり言っているが、それでもわざわざ来るだけに優しいところがある。

 それから正美が、美樹が広瀬学と付き合っていて楽しいのか? と言っていたこと、もっと正直には、本当に美樹は学と付き合うことに意味を感じているのか? と言いたかったのかも知れない。

 その疑問を克服することはあの子たちにとっての課題であるばかりではなく、大人、そして教師としての私にとっても大きな課題であるように思う。

 他人と競争しなくても好い世界、必死になって何かを成し遂げようとしなくても好い世界、少し力を抜けば誰の周りにも見付けられるだろうに、そんなもの負け犬の世界さ、と馬鹿にして、その結果自分を追い込み、ギスギスしている。一体どちらが馬鹿馬鹿しいのだろう。

 それから、美樹の生命の儚さを思う時、一体生きるとはどう言うことなのか? 何だか疑問に思えて来る。

 日々同じことを繰り返し、その中に時々喜びを見出しながら生きて行く。そして、やがて永遠の眠りに就く。人生とは一見そう言うことのように思われるが、それではそこに一体何の意味があるのだろう!?

 そして、若くして突然亡くなる場合もある。その場合も、それまで平凡な日々を送ることで好いのだろうか?

 嗚呼、分からない・・・。

 ただ、そんな理屈はともかく、学君、そして藤沢先生と居る時、よくは分からないながら、ホッとするものがある。それが人間にとっては大切な何かなのではないだろうか!? これから私は、その大切な何かを見失わないようにしながら生きて行きたい。

 

 そこで一旦ペンを置き、晶子は暫らく何かを考えている。

《確信を持てたように思えても、また疑問に思えて来る人生の意義、それで好いのだろうし、それしか仕方が無い。そんな風に揺れながら、同じことを繰り返し、時には喜びを見出し、人は生きて行くものなんやろう》

 そう思えた時、晶子はまたペンを取り、今度は書いたり、消したりしながら、たどたどしく詩らしきものを書き進めて行った。

 晶子は以前から日記帳に時々詩らしきものを書き付けており、谷川俊太郎の詩、そして今の状況が彼女の詩心に火を点けたようである。

 

       私は生きている

   私は今、生きている

   でも、いったい私は、何時から生きているのだろう

   私が今の私であることに気付いたのは

   もしかしたら幼稚園に行く頃だろうか?

   ふと気付いたら

   枕元でお母さんが心配そうに私の顔を見ていた

   どうやら私は、悪夢にうなされて、大声を上げ

   それで目覚めたようだ

   それまでのことはあんまり私の記憶にないが

   それからのことは、まあまあ覚えている

   でも、そのずっと前から、私は生きていたはずである

   少なくともお母さんのお腹の中で、

   私は生きていたはずである

   それでは、お母さんのお腹の中で、

   私は生き始めたのだろうか?

   私は私である前に

   私のうちの半分はお母さんの中に生まれ

   私のうちのもう半分は

   お父さんの中に生まれたはずである

   でも、その私の半分たちは、いったいどこから

   お母さんとお父さんの中にやって来たのだろう?

   もしかして、お祖父さんとお祖母さんの中に

   既に私の元はあったのだろうか?

   そうしたら、曾祖母さんと曾祖父さんの中にも

   既に私の元はあったのかも知れない

   それをずっと辿って行けば

   私は宇宙の初めから生きているのだろうか?

   ところで、曾祖母さんも曾祖父さんも

   大分前に亡くなったけど

   今はいったいどうなってしまったのだろう?

   お祖母さんもお祖父さんも

   お父さんもお母さんも

   時々懐かしそうにお墓参りをするけども

   曾祖母さんと曾祖父さんは

   今頃何処かで生きているのだろうか?

   もし其れが本当ならば

   私もいつかは

   曾祖母さんや曾祖父さんと同じように

   何処か別のところへ行くのだろうか?

   そして其の時私は、

   いったいどんな風に生きているのだろう?

 

 漸く書き終えた時には、時計を見るともう12時近くになっている。

《あっ、いけない! 思わず乗り過ぎ、遅くなってしまったわ。明日も朝が早いから、もう寝なくては・・・》

 吹奏楽クラブの発表が近いので、早朝練習をしたい、と言う熱心な生徒たちに付き合う為に、毎日7時には学校に出るようにしているのである。その為に晶子は、家を6時半には出なければならない。

 晶子はダイニングに置いてあるテレビでスポーツニュースを少し見て頭を解し、それから6畳の和室においてあるシングルベッドで安らかな眠りに就いた。   

 

        生きる意味揺らされながら考えて

        余計愛しくなって来るかも