若い頃から、いや幼い頃から樺山武文は絵を趣味にしていた。
高校で美術教師の趣味だったのか? 本格的な油絵を教えられてから暫らくは、油絵を描いていた。
小学校、中学校と武文は、水彩絵の具に殆んど水を加えず、盛り上げるように描いていたから、ぴったりはまったのであろうか?
高校を出て就職をしてからも細々と描き続け、かなり描けるようになって、地方的な展覧会に入選するところまでは行った。
ただ、無理をするタイプではなかった。
焦るタイプでもなかった。
就職して数年経つと、殆んど絵を描かなくなった。
もしかしたら、仕事が忙しくなったのかも知れない。
仕事が面白くなり始めたのかも知れない。
その頃に結婚し、生活に追われたのもあるだろう。
直ぐに子どもが生まれ、子煩悩な武文はそれで好くなった気もする。
何れにしても、殆んど絵を描かなくなったという事実は変わらない。
当然のように下手になった。
たまに描く絵は、素人の私の目から観ても、明らかに下手になっていた。
芸実系の趣味は残酷なほど覿面である。
気持ちが離れると、急速に腕が落ちる。
それが分かり易かったのは、武文が好むのは主日がであったからだ。
抽象画は全くと言って好いほど好まなかった。
ピカソ以外は認めなかった。
その気持ちが仕事、家庭に向かい、暫らくの間らは絵を忘れさせたのかも知れない。
武文は現実の世界に満足し、とまでは行かなくても、見た目唯々諾々として受け入れた。
そんな時間が35年過ぎた。
自然から観れば瞬く間であっても、人間にとっては十分に長い時間であった。
定年になって直ぐに武文は、仕事から完全に身を退いた。
構造不況が続くこのご時世で、再雇用を受け入れるのが普通になっていたから、目立つほど潔かった。
そして年金の出るまでの間は、節約しながら何とか食い繋いだ。
それが出来たのは、子どもが十分に大きくなり、手を離れていたからである。
冬至の平均的な年齢、20代後半に結婚したからそれが出来た。
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以上は通勤電車の中で思い付き、スマホにメモしておいたものである。
私のことではない。
頭にあるのはよく会う知人の人生である。
と言っても、1か月に1回も会えばいい方である。
自分のことではないから、もちろん、細かいことは分からず、勝手なことを書いている。
だから気楽で、面白い。
たまたま掠っても、全くの創作であるから、怒らせても言い訳が成り立つ。
それはまあとまかく、もう少し膨らませて小説に出来ればと思っている。
春からは変則になり、最後の1年は3日間働き、後は4連休というパターンになりそうだ。
その方が職場に都合が好いようである。
だから私の方も、過ごし方を変えて行く必要がある。
と言う、勝手に変わって行きそうな気がしている。
夢を見る元気が出て来て、創作に向いた頭に変わって行きそうな気がするので、またぼちぼち新しい小説が書ければと思っている。
それはもしかしたら、上の樺山武文のように、格段に下手になっているのかも知れないが、まあ好い。
機嫌好く過ごせればそれが一番!
世間を騒がせなくて済む!?