sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

今日の断片・・・R2年1.23③

 若い頃から、いや幼い頃から樺山武文は絵を趣味にしていた。

 

 高校で美術教師の趣味だったのか? 本格的な油絵を教えられてから暫らくは、油絵を描いていた。

 

 小学校、中学校と武文は、水彩絵の具に殆んど水を加えず、盛り上げるように描いていたから、ぴったりはまったのであろうか?

 

 高校を出て就職をしてからも細々と描き続け、かなり描けるようになって、地方的な展覧会に入選するところまでは行った。

 

 ただ、無理をするタイプではなかった。

 

 焦るタイプでもなかった。

 

 就職して数年経つと、殆んど絵を描かなくなった。

 

 もしかしたら、仕事が忙しくなったのかも知れない。

 

 仕事が面白くなり始めたのかも知れない。

 

 その頃に結婚し、生活に追われたのもあるだろう。

 

 直ぐに子どもが生まれ、子煩悩な武文はそれで好くなった気もする。

 

 何れにしても、殆んど絵を描かなくなったという事実は変わらない。

 

 当然のように下手になった。

 

 たまに描く絵は、素人の私の目から観ても、明らかに下手になっていた。

 

 芸実系の趣味は残酷なほど覿面である。

 

 気持ちが離れると、急速に腕が落ちる。

 

 それが分かり易かったのは、武文が好むのは主日がであったからだ。

 

 抽象画は全くと言って好いほど好まなかった。

 

 ピカソ以外は認めなかった。

 

 その気持ちが仕事、家庭に向かい、暫らくの間らは絵を忘れさせたのかも知れない。

 

 武文は現実の世界に満足し、とまでは行かなくても、見た目唯々諾々として受け入れた。

 

 そんな時間が35年過ぎた。

 

 自然から観れば瞬く間であっても、人間にとっては十分に長い時間であった。

 

 定年になって直ぐに武文は、仕事から完全に身を退いた。

 

 構造不況が続くこのご時世で、再雇用を受け入れるのが普通になっていたから、目立つほど潔かった。

 

 そして年金の出るまでの間は、節約しながら何とか食い繋いだ。

 

 それが出来たのは、子どもが十分に大きくなり、手を離れていたからである。

 

 冬至の平均的な年齢、20代後半に結婚したからそれが出来た。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 以上は通勤電車の中で思い付き、スマホにメモしておいたものである。

 

 私のことではない。

 

 頭にあるのはよく会う知人の人生である。

 

 と言っても、1か月に1回も会えばいい方である。

 

 自分のことではないから、もちろん、細かいことは分からず、勝手なことを書いている。

 

 だから気楽で、面白い。

 

 たまたま掠っても、全くの創作であるから、怒らせても言い訳が成り立つ。

 

 それはまあとまかく、もう少し膨らませて小説に出来ればと思っている。

 

 春からは変則になり、最後の1年は3日間働き、後は4連休というパターンになりそうだ。

 

 その方が職場に都合が好いようである。

 

 だから私の方も、過ごし方を変えて行く必要がある。

 

 と言う、勝手に変わって行きそうな気がしている。

 

 夢を見る元気が出て来て、創作に向いた頭に変わって行きそうな気がするので、またぼちぼち新しい小説が書ければと思っている。

 

 それはもしかしたら、上の樺山武文のように、格段に下手になっているのかも知れないが、まあ好い。

 

 機嫌好く過ごせればそれが一番!

 

 世間を騒がせなくて済む!?