その30
令和2年5月28日、木曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、タイムカードにスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液で手を消毒する。
これは大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だか減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、うがいもしておく。
そんな一定の安心感が得られる程の儀式的なことまで済ませて執務室に入って来たら、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを観てはぶつぶつ言いながらしきりにメモを取っていた。
「おはよ~う」
「おはようございま~す」
挨拶を交わした後、我が国では急激に新型コロナウイルス感染症が収まっていること、しかし福岡県、神奈川県、北海道等、広範囲に亙ってまだ感染者が時には増えたりもしていること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときもあること、アベノマスクが中々届かないこと、ファンドさんの一番の関心事である株価に相変わらず大きな変動が起こっていること等、ひと通り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。
何か迷うところでもあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろにメインに使っているスマホを取り出し、通勤電車の中でメモしておいたものを見直しながら起こして行く。
ファンドさんの関心は既に投資関係の記事に移っており、また熱心にメモを取り始めた。
朝のひと時雑詠
掛かり付けの歯医者さんから5月末と聴いていた通りである。
とすると、給付されるのも聴いているように早くて6月末と言うことになるのか!?
何だかやけにのんびり動いている。
アベノマスクの方はまだうんともすんとも言わない感じである。
仕方が無いから、昨日は職場近くのドラッグストアで漸く売り出されていた使い捨ての不織布マスク7枚398円(税抜き)と言うのを買ったが、この後はどうしようかと迷っている。
ミズノ、アシックス、AOKI等、服飾関係を扱う会社が見栄えのする布製マスクを売り出したし、其方に惹かれるものもある。
話は戻るが、特別定額給付金に関して我が家では私も含めて既に皆がそれぞれに楽しんでいるから好いとするか!?
とは言うものの、上の子どもが、
「父ちゃん、どうせその内に税金で回収されるって!」
なんて冷めたことを言っていた。
然もありなん。
でもまあ、目の前の人参、すなわち喜びも大事だからね。フフッ。
目の前の人参を見て発奮し
まだ見てはいないなあ。
目の前の人参思い発奮し
それはまあともかく、今日も出勤日である。
今週は3日目になり、ちょっと疲れが溜まって来た。
大したこともしていないのであるが、これである。
それだけ年を食ったと言うことだろう。
3年前は普通に週5日出勤していたのであるから、改めて結構頑張っていたんだなあ、と我ながら感心させられる。
そう言えば昨日、今も結構頑張っている元同僚が発信しているFacebookを読んだ。
自分の老化は仕方が無いが、少なくとも今頑張っている人の邪魔をしてはいけないなあ。フフッ。
なんて反省しつつ、まだ見ぬ特別定額給付金を小出しにして使い、それをエネルギーにしながら何とか出勤するとするか!
お天気の方は回復基調にあり、週末には遊びに行こうとお誘いを受けている。
遊び心も動き出したようである。
少しずつ遊び心も動き出し
先ず遊び仕事心を呼び覚まし
近場で、人が集中せずに、涼しく癒されるところは何処だろう?
今のところ想定しているのは奈良の南部、和歌山の北部、三重の西部と言ったところであるが、行く前にこんな風に色々考えるところからもう楽しみが始まっているのだろうなあ。フフッ。
山や滝想定しつつ楽しみに
清涼な自然を浮かべ楽しみに
ところで、車窓からの生駒山は天辺までしっかりと見え、好い感じである。
海抜でも東京のスカイツリーより少し高いだけの642mしか無いから、生駒線の東側座席に座って見る生駒山は車窓の枠内にすっぽりと収まって、それも好い感じに思える。
晴れて来ると色々なことが好い感じに思えて来るから可笑しい。
ところで、車内では相変わらず殆んどの人がマスクを着用している。
この辺りの素直さが新型コロナウイルス感染症の急激な収束に繋がっているのは確かなように思われる。
それでも北九州、神奈川、北海道と、飛び飛びに彼方此方で感染者が新たに発見されている。
我が国の人口1億2千万人と言う母集団からすれば僅かで、統計的には誤差、雑音のようなものかも知れないが、自分がその僅かな側に入らないと言う保証は何処にもない!?
そんな不安と同調圧力が国民全体に上手く浸透した結果なんだろうなあ。フフッ。
ただ、これも歴史的、統計的には大したことがないと言いつつ、やっぱり3か月の自粛生活は中々きついものがあった。
家族が寄り添えたところも多かったのかも知れないが、その逆もある。
時には統計で片付けられない悲劇にもなって、警察、病院等の力を借りなければどうしようもないことにもなり得る。
そんなことを減らして行く為にも、もう暫らくは我慢だなあ。
あの特別定額給付金はその我慢料とでも思えば好い!?
我が子が言うようにいずれは回収されることを思えば、我慢料の先払いとでも思えば好いのだろうなあ。フフッ。
給付金我慢宥めてまた我慢
給付金少し緩めてまた我慢
そろそろ職場の最寄り駅近付いて来た。
座席は定員一杯座り、扉付近には数人立っている。
座席の前に立つ人も見られるようになった。
なんて好い気持ちになって書いていたら、ひと駅乗り越してしまった。
嗚呼大変だ!?
ここらで気を引き締めなくっちゃね。フフッ。
自分なりにはまあまあ上手く書けたと思い、慎二がしみじみしていても、この日は何時もならばこの辺りのところで入って来る井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来ない。
《あっそうかぁ~!? メルカリさんは今日、テレワークするって言うてたなあ・・・》
慎二が何だか寂しく思っていたら、事務を担当している依田絵美里がお茶を持って慎二の机に近寄り、立ち止まって、まだ開いている「神の手」の液晶画面にさっと目を走らせる。
この頃、若い絵美里が少しばかり感心を持って読んでくれているらしいことを意識し始めた慎二は、それだけで頬を真っ赤にして耳をひくひくさせていた。
そんな様子を見て、絵美里はちょっと照れながらも、好く光る澄んで大きな目をキラキラさせながら、
「藤沢さんのところも漸く特別定額給付金の申請書、届いたんですねぇ!? 好かったですねぇ! ところで、どんな風に使われるんですかぁ?」
ともかく自分および自分が書くものに関心を持って貰えることが嬉しく、また恥ずかしく、慎二は目をおどおどさせながらも、自分に与えられた広い机の上に目を走らせ、何とか答えようとする。
「そうやなあ。どうせ大した物は買わへんねんけど、ほら、そこら辺に置いてある安物のスピーカーとか、アンプとか、そんなもんをまたぼちぼち買い集めてるぐらいやけど、依田さんは給付金をどないする気ぃ?」
「そうですねえ。友達と遊びに行くか、それとも何か美味しいものでも食べに行くか。ともかく私も楽しみに使おうとは思ってます」
《ふぅ~ん。それで、どんな友達と行くんやぁ~!? もしかしてイケメンやったりしてぇ・・・。フフッ》
なんてオヤジ臭く訊きたいところであったが、気になりながらも小心者の慎二はそれ以上訊けず、もごもごしていると、絵美里は続けて、
「また面白い物を買ったら見せてくださいね」
そんなオヤジ心を微妙にくすぐるひと言を残して、微笑みながら遠ざかって行った。大きなマスク(と言うか小顔の所為でそう見えるだけのことか?)をしていて殆んど目だけしか見えていなくても、十分に初夏らしい爽やかな緑陰の風を感じさせる絵美里であった。そして特別定額給付金以上のやる気を与える笑顔でもあった。
給付金其々やる気引き起こし
暫らく後に元取る気かも
給付金よりもやる気を引き起こす
職場の花の笑顔なのかも