sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

交わらない心(10)・・・R元年11.30②

          第3章 惹かれる心

 

 昭和43年の春、藤沢慎二は中学生になった。その4年前にアジアで初のオリンピックを東京で開催し、大盛況の内に終えた。2年後に大阪での万国博覧会を控えて、高度経済成長期に入った我が国はまさに春を迎えていた。

 新しいクラスでそれぞれが決められた席に着いたとき、慎二は、小学生のときとは何処か違うものがあることに気付いた。小学校では2人用の木製の武骨な長机であったが、中学校では1人用の金属パイプと天板からなるスマートな机であった。それだけのことで先ず成長を感じていた。

 ざっと見渡して、同じ小学校から上がった生徒が3分の1程度なのも新鮮な気がし、慎二はふわふわした気持ちでにこにこしていた。

 それが気安そうに見えたのであろう。両隣の女子が慎二の存在を意識していないかのように、慎二の目の前で言葉やメモの遣り取りをする。

 ちらっと右側の子に目を走らせると、目が大きく、きらきらと光っており、明るそうだし、何だか可愛い。

 慎二は暫らく目を留めてしまった。

 矢野正代かぁ・・・。隣の小学校から来た子だなあ。

 正代は慎二の視線に気付いているはずなのに、気付かない振りをしながら、今まで通りに慎二の左隣の中野美代子との遣り取りを続ける。

 美代子は正代より落ち着いた雰囲気を持った子で、このときの慎二には大人っぽ過ぎ、意識の視野に入って来なかった。

 

 暫らくすると、環境が変わったことが気持ちを弾ませるのか、恥ずかしがり屋の慎二にしては珍しく、正代とぎこちない会話を交わしていた。

 気を利かしたのか、美代子は何時の間にか席を外し、他の生徒のところに行ってしまった。

 正代と時々交わす視線が次第に絡み合うようになり、慎二は心が吸い込まれて行きそうな気がしていた。

 嗚呼、何て深くて澄んだ瞳なんだろう!?

 最早何を話しているのかさっぱり分からない。ただ、正代の大きくてよく光る瞳を観ているだけで幸せであった。

 

 後から聴けば、正代は身長が158㎝で体重が52kgだと言うから、母親の祥子より少し背が高く、同じぐらいの重さである。しかし、体形が違う所為か、大分大きく見える。何より目や口の大きさから開放的な南方系の感じがし、目が細く、鼻や口の小さい祥子の北方系の顔を見慣れて来た慎二にとって、正代は何もかもが新鮮であった。

 

 何日か経つと教室の中は大分和んで来て、もう何処の小学校から来たのかにあまり関係なく、新しい友達が出来始めていた。そして慎二と正代のように、どことなく気になる異性同士のペアもそこかしこに出現し、幼い遣り取りをしながら、可笑しいほど気持ちを弾ませていた。

 橋が転んでも大騒ぎする年頃である。当然、噂になるカップルが何組か出来て来る。慎二と正代もそんなひと組で、その子とも慎二には嬉しく、そして恥ずかしくて仕方が無かった。

 しかし、どうやら慎二ほど正代は初心ではなく、慎二にとって正代が唯一気になる女子であっても、正代にとって慎二は新たに加わったちょっと気になる男子の1人でしかなかったようである。正代は色んな男子と親し気で大胆な様子で遣り取りをしていた。

 嗚呼、正代は木村ともあんなに親しそうに話している。あっ、木村の奴、正代の胸を触ろうとした・・・。何と言うことをするんだ! でも、正代は逃げながら嬉しそうに笑っている・・・。一体どうなっているんだぁ~!? あんなことされて、どう思っているのだろう?

 恨めしそうに観ている慎二を観て、ひょろっとした秀才タイプの坂本文明が笑いながら近寄り、話し掛けて来た。

「あんなあ、矢野正代って小学校のときからすごい助平やってんでぇ~。知らんやろぉ? 6年生のときに男子にスカートの上からあそこを触らせたり、ほんま、すごいねんからぁ~」

 そうやら坂本は正代と同じ小学校から来たらしい。

 しかしそんなショッキングなはずの事実を告げられても、そのときの慎二には飛び過ぎていて、どう考えてよいのか変わらなかった。何の感慨も沸いて来ない。ただ、自分とのとき以上に、他の男子に向かって弾み、奔放な態度を示している正代を観て、恨めしく、胸がやけに 痛いだけのことであった。

 

 中学生と言う年がそんな目覚めを感じさせる年なのか、環境が変わった所為なのか、それからも正代に限らず、色んな女子が小学生とときには観られなかった大胆な遣り取りをしていた。

 6月になり、夏服になった胸を触られ、身をよじりながら、大して怒りもせずに逃げている。そして暫らくするとまた、触られた男子に近付き、楽しそうに話している。

 一体このクラスの女子はどうなっているのだぁ~!?

 慎二は頭がくらくらして来た。

 しかし、環境とは怖ろしいものである。ある日の昼下がり、慎二は偶然正代の傍に立っていることに気付き、次の瞬間右手がごく自然に正代の胸に伸びていた。

 何だろう、この軟らかさはぁ~!?

 当時、中学校に上がったときにはまだブラジャーを付けていないのが普通で、その割には膨らみ始めていた乳房が直接手の平に、すっぽりと入ってしまったのである。

 慎二は自分の以外なほどの大胆さ、そして初めての不思議な感触の心地好さにただただ戸惑っていた。

 それだけではなく、正代が逃げたり、嫌がったりせず、慎二の手の上に自分の両手を重ね、恥ずかしそうな微笑を浮かべながら振り向いたことも驚きで、慎二は頭の中を真っ白にしながら正代と見つめ合っていた。

 それがどれぐらい長かったのか? はたまた思っているより短かったのか? 分からない。慎二の頭の中だけではなく、外にも空白地帯が出来たようで、騒ぎ出す者もなく、止める者もいない。近くにいたはずの担任教師、森田清美も気付かなかったようで、二人だけの静かで濃密な時間が流れていた。

 

 しかし、それだけのことであった。以後も慎二と正代はそれ以上大して近付くことも無く、正代は相変わらず色んな男子と同じように微妙な遣り取りをし、その都度慎二は恨めしそうに観ていた。

 

 正代は女子バレーボール部に所属していて、運動神経がかなり好いらしく、直ぐにレギュラー選手になっていたから、運動が大の苦手で、反応が直ぐには返って来ない慎二のようなタイプが実は苦手であったらしい。しかし、中学生になったことが刺激になって、小学生の頃より多少開放的になっていた慎二には多少感じるものがあり、時にはそのチャンスに乗じて大胆な行動を取って見せる慎二に、一時明らかに惹かれているように見えた。

 

 時の移ろうのは早いものである。春になって折角開き始めていた慎二の異性への窓口が、秋には急速に閉じ始めていた。そして、開き始める前よりもっと深く深く沈み込んで行った。

 当然、正代をはじめとして女子達は、一体何が起こったのか判断が付かなかった。あんなに大胆な行動を取っていた慎二が、話すのは愚か、偶然擦れ違い、目が合いそうになっただけで、大慌てで顔ごと逸らし、身体全体の動きが可笑しいほどぎこちなくなってしまう。

 初めは何か気に障ることでも言ったのかと女子達は自分に原因を求めてみたが、回数が重なって来ると、どうやらそうではないらしいことが分かって来る。

 やっぱり、藤沢君はおかしくなってしまった。気色悪い・・・。こっそり何か変なことをされないか、心配だわ。

 自然と女子達は慎二を避けるようになり、正代も同様であった。

 いや、なまじ近付いた分、正代とは余計に疎遠になってしまった。

 

 人間、失ってから持っていたものの価値に気付くものである。正代が離れて行ってから、慎二は余計に正代のことが気になるようになっていた。授業中、気が付けば正代の背中を粘着質な目で観ていたし、家では気が付けば正代のことを考え、何も手が付かなくなっていた。