sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

懐かしく青い日々(18)・・・R2年1.15③

          第2章  その8

 

        舞台では違う自分を出せるのか
        思いの外に弾み出すかも

 

 高2の文化祭のときのことである。クラスの出し物である狂言「附子」において藤沢慎二は太郎冠者を演じており、時折声は小さくなるものの、繰り返し練習する内に、それなりに調子が出て来た。

 そして何時の間にかすっかり役柄にはまっていた。

 面白いことに、小さな頃から慎二は主役に抜擢されることが多かった。

 勉強がある程度出来たと言っても、小学校、中学校を通じて、学級委員に選ばれたことは一度もないから、別に人気があったわけではない。恥ずかしがりの普段に比べて、舞台の上では生き生きとしていたのであろう。自分を離れ、想像上の人を生きる方が慎二には向いていたのかも知れない。

 

        女子マネの淡い思いに気付いても
        既に心にマドンナが居り

 

 慎二が幕間に舞台から下り、会場としていた教室を出たところ、女子マネージャーの一人、早乙女恭子の笑顔があった。

「凄い好かったわぁ~。私、3回も見たの!」
 恭子が丸くて大きい目をキラキラさせて言う。
 1年生のときから恭子は慎二に親切であった。投げられて頭を打ったり、鼻血を出したりして道場の隅で寝ている慎二を優しく介抱し、練習が見えるように枕代わりの箱を探して来てくれる。気が付けば、何気なく膝枕をしてくれているときもあった。
 しかし、それは恭子が誰にでも示す親切であるような気もした。絞め落とされて小便を漏らした部員の下着をそっと洗ってやっている恭子を見て、慎二は恭子が自分だけに思いを寄せているとも思えなかった。

 それやったら、何で俺の拙い舞台を3回も見てくれるんやろぉ!? どう考えても変やぁ。それにあの感動したような目・・・。

 慎二が自分に向かう恭子の淡い思いを確かに感じた瞬間であるが、そのとき既に、慎二の心の中には大野恵子の存在がどうしようもなく大きくなっていた。

        

        相手より先に感情受け取って
        反応すれば重くなるかも

 

 慎二は恭子に持てたと言う確信を得、また恵子との間も、むず痒い関係ではあっても、恵子から迫って来ていると言う思いがある。

 もしかして俺は思っているより持てるんやないかぁ!? 気が弱くてぎこちない態度を取ってしまうから、つい避けられてしまうだけで、別に格好が悪いわけやない。背は174㎝ぐらいあるから、平均よりは高い。それに柔道をしているから細いだけで、ほんまはスタイルがええ方やぁ。普通にしていればきっと持てるはずやぁ。

 慎二はまた何時もの甘い感傷に浸り、事実としては持てない自分を慰めていた。
 勿論、本当は持てると言うことが、慎二の思い込みとばかりは言えないのかも知れない。多少は真実も含まれているだろう。
 しかし、これも何時も反省することであるが、人が心の深奥に無意識の感情を芽生えさせたからと言って、それが表面化されるまで育つことの方が少ないのではないだろうか? あまりに微かな相手の感情に過剰反応し、相手より先に思わせ振りな言動を取ってしまったら、相手が自分の感情に気付く前に怖くなり、逃げてしまうこともある。
 そんなプラトニックな時代ならではの純情に何となく気付いていながら、慎二はどう動けば好いのか? 全く判断が付かずにいた。

 

        クラブでは競技の上手さ目立つもの
        下手な理屈は要らないのかも

 

 その後恭子からは、慎二が心の深奥で実は望んでいるようなアプローチは全く見られなかった。文化祭のときに見せた恭子の賞賛、そして思慕さえ含む表情がたとえ事実であったとしても、結果としてはどうやら慎二の思い込みに終わってしまったようである。
 落ち着いて考えて見れば当然のことかも知れない。クラブにおいて光っているのは柔道における生き生きとした動きであり、恭子を含め、女子マネージャーの献身は柔道に打ち込む男子生徒の世話をしてあげたいと言う母性本能に寄るところが大きいのであるから。
 柔道部において慎二は1年生のときほど惨めでもなくなったし、それに耐えて練習し続けている健気さも無くなっていたから、その他大勢になって、女子マネージャーの気持ちを引くことはあまりなくなっていた。
 それに比べて、教室における慎二は相変わらず目立っていた。
 これも、よく考えてみれば当然のことかも知れない。進学校において勉強がある程度出来るようになって来れば、自然と名前が目立って来るものである。進学校において運動、芸術等、他のことで目立つのも、勉強が出来てこそのことであろう。
 そして、恵子は慎二本人に稚拙なアプローチをしては、オロオロされるばかりで受け止めて貰えず、一旦は落ち込むのであるが、周りが作る慎二の偶像に惹かれ、また稚拙なアプローチを試みるのであった。

 

        像よりも目の前に居る我を見て
        心の奥に気付いて欲しい

 

        心には醜い面もきっとあり
        見せて好かれる自信ないかも

 

 たとえば慎二は面白い存在と思われるのか、よく話題に出され、皆で受けていたが、慎二が何か言っても、誰も笑わず、寒い風が吹くだけであった。
 その面白い存在と言うのも、実際の慎二を見てと言うよりも、クラスの人気者であった安城透が作る慎二の像に負うところが大きかったようである。
 慎二はそこに何か違和感を覚えながらも、あんまりマジに自分の本質を見せ過ぎ、偶像を壊してしまうほどの勇気もなく、むず痒いまま、幻の人気に浸っていた。
 恵子に偶像ではなく本当の自分を見て欲しい、そして好きになって欲しいと願いつつも、自分の醒めた部分、欲望の強い部分等、恥ずかしく思っているところまで見せるほどの勇気はない。見られたら嫌われるだろうと畏れているから、出来れば隠していたい。見られて嫌われるぐらいなら、いっそのこと多分好かれているであろう偶像に縋っていよう。そして、交際が上手く行ってから何れ少しずつ本当の自分を見せて行けばいい。

 このときの慎二は本心からそう思っていたのである。

 

        あまりにも自分ばかりにかまけては
        他人は付き合う気になれぬかも

 

 慎二は自分が思っているほど起用ではなかったので、アンビバレントな気持ちをコントロールして恵子と軽く付き合うことなどとても出来なかった。意識し過ぎて、ぎこちなくなり、遠ざけてしまうのが関の山であった。
 それでよかったのかも知れない。自我の弱さ故、自分からは中々離れられず、アンビバレントな感情に独り揺れているだけなのがこのときの慎二の本質と言えなくもないから、その本質に気付かれ、離れられたからと言って文句も言えないだろう。
 もっと言えば、このときの慎二はまだ自分の感情ばかりにかまけて、相手の感情のことには少しも気付いていないのである。相手が自分のどんな面にせよ好意を持ってくれた。それは嬉しいことには違いないにしても、それはあくまで付き合いの出発点である。そこから始まり、相手のことを考えながら互いに気持ちのやり取りをする。それが出来ない慎二にとっては、まだまだ異性との交際など縁遠い世界だったのである。