その1
あんなに厳しかった残暑も漸く収まったかと思う間もなく、朝夕めっきり冷え込むようになり、街路樹も少しずつ色付き始めました。
やがてその葉を1枚、また1枚と落とし、歩道を埋め尽くす日も近いことでしょう。
秋は広瀬学君の退屈な病院生活に寂しさまで付け加え、ちょっぴり意地悪な季節です。
学君は今朝入院して来た松村美樹ちゃんのことが気になって気になって仕方がありません。
だって美樹ちゃんは、学君の大好きなアイドルタレント、松浦亜弥によく似た明るく聡明そうな雰囲気を持ち、伸びやかで、しなやかそうに見える美少女だったのです。
昼食の後、廊下を歩いている美樹ちゃんを見掛けた学君は、遊んでいた幼児用のテレビゲーム、セガのピコをそのまま放り出して、美樹ちゃんを追い駆け、息を切らしながら話し掛けてみずにはいられませんでした。
「ふぅーっ、ふぅーっ、・・・。僕、広瀬、学君です。ドラえもんは大好きなのです! ふぅーっ。お姉ちゃんの名前、何ですか? ふぅーっ」
そんな学君の様子をにこにこしながら見ていた美樹ちゃんは、
「どうしたの? そんなに慌てて。可笑しい! うふっ。こんにちは。私は松村美樹と言うのよ。よろしくね! うふふっ」
と言いながら、ペコンと頭を下げ、また悪戯っぽく笑い掛けました。
それを見た学君は何だか眩しくなって、思わず目を伏せ、黙り込んでしまいます。
暫らくしてから学君が急に心配そうな顔になり、
「僕、治らない病気です。美樹ちゃん、病院、どうして来たの?」
そう言うと、今度は美樹ちゃんが目を伏せ、その薄くピンクに染まった瞼が小刻みに震え出し、やがて涙が頬を伝い落ち始めました。
「どうしたの? 僕、何か悪いこと、言ったのかなあ? 困ったなあ。どうしたら好いのかなあ?」
学君はこれから好きになりそうな美樹ちゃんを泣かせてしまい、おろおろすることしか出来ない自分が何だか情けなくて仕方がありません。
やがて学君も釣られて涙をぽろぽろ零し始めました。
「あら、ごめんなさい。学君まで泣かせてしまって、私って本当に悪いお姉さんね」
美樹ちゃんはそう言いながら、暫らく自分の考えをまとめるように黙り込み、それからおもむろに口を開きました。
「実はお姉さんもね、学君と同じように、・・・、治らない病気なの。でもね、今までは怖くて、学君のように自分の口からは決して言い出せなかった・・・。学君、本当に強いのね!?」
そう言いながら、しっとりと落ち着いた様子で、静かに見詰めて来る美樹ちゃんの澄み切って大きな瞳から放たれる熱い視線をまともに受けて、学君はとっても眩しそうです。
でも、強いと言われてちょっぴり大人になったような感じがし、悪い気はしません。
「そう。僕強いから、ドラえもんのように、美樹ちゃん、守ってあげるのです」
すっかりナイトになった気分です。
「うふふっ。ありがとう・・・。実は私、さっきまで凄く心細かったんだけど、学君にそう言って貰えると、とっても心強いわ。だから、これからよろしく。仲よくしてね!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
これを書いたのは2003年とあるから、17年前のことで、元にした事実があったのは更に10年ぐらい前、今から数えれば30年近く前のことであった。
強く印象に残ることだったので、これの他にも幾つかの関連する話を書いている。
大分前にここに上げた「季節の終わり」、「そして季節の始まり」もそうである。
勿論、事実とは全く違い、私を元にしたこと以外は似たような話でもない。
しかし、心の中に残った真実はそんなに違っていないような気もする。
この話は数回で終わる短い話なので、週末には終わりそうであるが、お時間と気持ちの余裕があれば、読んでいただけたら幸甚である。
秋と言うこともあるが、私にとって気になっているプロスポーツ、たとえば野球、ゴルフ等がシーズンオフを迎えることもあって、また色々な話を書く時間が出来そうに思えて来た。
と言っても、新しい話はぼちぼちであるが、こうして以前に書いた話を少しずつ見直して行きたい。