sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

季節の終わり(9)・・・R2.7.15①

          第3章 美樹の挫折?

  

              その1

 

 また少し時間が戻る。プレイルームで広瀬学とブロック遊びをした後、病室に戻って来ると、松村美樹のクラスメートが2人来ていて、森田晶子と楽しそうに話していた。

「こんにちはぁ~。見舞いに来てくれてたのぉ!? 有り難う」

 美樹が嬉しそうに声を掛けると、背が高くて多少太り気味の新庄正美が今気づいたかのように、

「あっ、美樹! やっと戻って来たのねぇ。大分待ったのよぉ」

 恩着せがましく言う。

「そうやでぇ。ほんま、退屈してしもたわぁ~」

 小柄で痩せぎすの浜崎菫も調子よく合わせる。

「ごめん、ごめん。この前話した学君と遊んでいたのよ」

 美樹は素直に謝っておく。

「うん。森田先生から聞いたわぁ。あの養護の子でしょ?」

 正美がそう言うのを聞いて、晶子は空かさず、

「これこれ。そんな言い方をしてはいけないわ~」

 やんわりと嗜める。

 中学校では普通に飛び交っている、養護学級や養護学校に通う障害児をちょっと馬鹿にした言い方で、晶子は普段、疑問に思いながらも、その場の雰囲気を悪くすることを避けて一々窘めないが、今の場合、美樹の気持ちを考えると、やんわりとでも嗜めずにはいられなかった。

「そうよ。学君に悪いわ~。あなたたちと一体どこが違うと言うのよ~!? 学君は優しいし、純粋だし・・・」

 美樹はそれだけでは気が済まないらしく、珍しく興奮している。

「あっ、ごめん、ごめん」

 今度は正美が素直に謝る。

「そうやでぇ。正美は口、悪いねんからなあ~。差別はあかんでぇ、差別はぁ! 人権侵害やぁ。森田先生が何時も言うてるやろぉ~」

 菫は調子よく美樹と晶子の側に回り、ここぞと正美を責め立てる。

「ほんと、菫は調子好いんだから・・・。でも、正直言って、美樹、あの子と遊んでいて、本当に面白いのぉ?」

「・・・・・・」

「ごめんなさい。別に差別とか、そう言うことではなくて、もっと単純に、話が合わないのではないかと思ったの。優等生の美樹のことだから、無理していないかと心配しになって・・・」

「無理なんてしていないわ! 学君と一緒に遊んでいると面白いし、それに何だかホッとするのよ。学校に居る時はみんなが普通だと思っていたし、障害を持った子のことを単純に可哀想だとは思っていたけど、自分たちとはどこか違うとも思っていた・・・。で

もね、学君と一緒にいると、そうじゃないのよ。上手くは言えないけど、慰められているのは、むしろ私かも知れない・・・」

 美樹が言葉を選びながら静かに語る横顔は何だか神々しくて、流石に正美も神妙な顔をして聞いていた。

 晶子は、自分の教え子たちが思っていた以上に成長しているのに感心し、黙って聞いていたが、頃合いと見たか立ち上がり、

「そしたらみんな、先生は学校に戻らなければいけないのでもう帰るわね。2人も、あんまり長くならないようにしてね。さようなら・・・」

 正美と菫に向かって言う。

「は~い、さようならぁ~」

 正美と菫は声を合わせて言い、申し訳程度にペコンと頭を下げる。

 対照的に美樹は、ベッドから下り、立ち上がって、

「先生、今日はありがとうございました。さようなら・・・」

 と言いながら丁寧に頭を下げる。

「美樹ちゃん、入院しているんだから、わざわざ立ち上がってそんなに丁寧に挨拶なんかしなくても、遠慮せずに寝ていれば良いのよ。それじゃあ、みんな、今度こそ本当にさようなら~。ウフッ」

 と晶子は、今度は皆を均等に見て笑いながら言い、その目がこの上なく優しかった。

 

 晶子が帰ってから1時間ほど話した時、夕食の時間になった。

 救われたように菫は立ち上がり、

「ほなら、また来るわぁ~。ほな、正美、帰ろうかぁ~」

 と正美を誘う。

 正美もちょっとホッとした様子で立ち上がり、

「そうね。そしたら、美樹、また来るわねぇ。さようならぁ~」

「さようなら。2人とも、今日は来てくれてありがとう・・・」

 

 正美と菫が帰った後、配膳された夕食を見て、美樹はちょっとがっかりし、そして学のことを思い出した。

《そうだ! また学君に何か分けて貰おうかなあ!?》

 自分の思い付きが酷く嬉しくて、美樹は弾むように病室を出た。

 

        経験が人を成長させるのか

        視野が広がり楽しいのかも

 

              その2

 

 美樹達が通う大阪市立西都中学は市内東北部の下町にあった。美樹は400人以上いる2年生の中で、実力テストも含めて5番を下ったことがない。それも塾に行くわけではなく、吹奏楽部に所属し、入院するまでは下級生たちと同じか、それ以上の練習をこなしながらである。

 吹奏楽部で美樹はアルトサックスを担当し、中々の腕前であった。その演奏姿がしなやかな青年を思わせるように決まっていたので、男子生徒だけではなく、女子生徒にも絶大な人気があった。

 男性教師の中にもファンが多く、卒業後美樹が、地元にある公立の進学校大阪府立追手門高校に行くのか? それとも私学の名門、西都女子学院に行くのか? はたまた思い切って関西音楽大学の付属高校に進むのか? と、酒席になれば決まって噂の花を咲かせていた。

 

 そんな美樹が身体の変調に気付いたのは夏休みに入った頃のことであった。

《この頃やけに貧血が続くのは何だか変やけど、ここのところの酷い暑さの所為かなあ!? それとも、もしかしたら練習のし過ぎかしら・・・》

 そんな風に思って暫らく放っておいたところ、貧血が起こらない日もあるし、忘れ掛けた頃にまた起こったりする。

 そんな不安がはっきりとした塊になろうとする或る朝、美樹は何となくお腹の辺りに違和感を感じ、ふと手を置いたところ、くっきりと触れるものがある。

 身体から一気に血の気が引き、夏だと言うのに背中がぞくぞくして、何だか肌寒い。

一瞬意識が遠退いた後、身震いし、神経をはっきりさせてから、美樹はもう一度お腹に触れてみた。

《何、これ!? 何だか変だわ・・・。別に痛くはないけど、どうしてこんなにグリグリしているのかしら? そう言えば夏休みになってからやけに貧血が起こるし、私の身体、一体どうなってしまったのかしら!?》

 言いようのない不安に襲われて、美樹はそのまま暫らくお腹をまさぐり続けていた。

 

「美樹、起きなさ~い。今日はクラブ、あるんでしょう?」

 そう言いながら母親の由紀が入って来た時、美樹は顔面を蒼白にしながらボォーッと天井を見ていた。

「美樹、どうしたの? 返事もしないで・・・」

「・・・・・・・・・・」

「美樹、美樹、一体どうしたの? しっかりして! 本当に大丈夫!?」

 血相を変えた由紀に肩を強く揺す振られ、美樹は漸く意識が戻ったかのように、

「あっ、ママ! 私、私の体、何だか変なの!」

 それだけ言うと、自分より小さくなった由紀の薄い胸に飛び込み、後は何も言えず、ただ泣くばかりであった。

 突然のことに由紀もどう言って好いか分からず、美樹が落ち着くまで、取り敢えず泣かせておくことにした。

 

 興奮から覚めた美樹がそっと自分から離れた時、由紀は言葉を選びながら優しく問い掛ける。

「美樹、美樹、・・・、どうかしたの?」

「ごめんなさい。突然びっくりさせて・・・。あのね、ママ。私、この前から何だか貧血がよく起こるようになった、って言っていたでしょう?」

 由紀は何も言わず、先を言いなさい、と目で促す。

「それがね、今朝起きたら、お腹に何かあるようなの。ほら、ここ、ここよ! ねえママ、ここ触ってみて!」

 美樹に示されたところを怖々触ってみると、確かにお腹の中に何か触れるものを感じる。

「そうね。一体何かしら? 多分大したことはないだろうけど、念の為に今日はクラブの練習を休んで、掛かり付けの萩本さんに診て貰おうか? ねっ、そうしよう! それがいいわ」

 不安を隠し切れずに、由紀は一気にその日の行動予定を決めてしまおうとする。

「やっぱりママも・・・、もしかしたら私の身体に大変なことが起きているかも知れないと感じているのね!?」

 美樹は由紀の気丈な言葉ではなく、水面に浮かぶ木の葉のように揺れ始めている気持ちの方を真っ直ぐに受け取り、また顔面が蒼白になっている。

「そんなことは分からないわ。何とも言えない・・・。大したことがない場合も多いし、お腹の中のことは、正直言ってママにも分からないよ。でも大丈夫きっとだと思うわ。大抵の場合、大したことがない・・・。ねえ、思い立ったが吉日と言うでしょ? 後は萩本さん、いや神様にお任せして、徒に気にするのだけは止めましょう!」

 それはもう、美樹の気持ちと言うより、由紀自身の気持ちを落ち着ける為に言っているかのようであった。

 

「うん、そう。うん、そうか? それは心配だったねえ・・・」

 時折入るそんな親身な相槌に吸い込まれるように、初老の医師、萩本治に症状、不安な点を話し終えた美樹は、むしろホッとするものを感じていた。

「それではちょっと触ってみるから、そこに横になって」

 言われるままに、美樹は診察台に横たわる。

 萩本は優しく、念入りに触れて行き、美樹は安心して身を任せていた。

 

 暫らく後、触診を終わった、と言うか、気持ちの整理を付けた萩本は、美樹の目を静かに見て、

「はい。終わったよ。では、もう一度そこに腰掛けて」

 それから、元の椅子に座った美樹に向かっておもむろに言う。

「念の為にもう少し検査をしておこうねえ。血液を採るから腕を出して。その後、レントゲン室に入るように」

 そして看護師を勤めている萩本の愛娘、美也子があっと言う間に検査用の血液を採った後、美樹は診察室の裏手の、小ざっぱりと片付いてはいるが、ウォークインクローゼットのような狭いレントゲン室に入った。

 

 また暫らくして上がって来たレントゲン写真の現像フィルムをバックライトに当てて念入りに診た萩本は、美樹に向かって優しく、かつ厳粛に言う。

「特に心配はないかも知れないけど、確かにお腹の辺りに大きな影があるねえ。君はこれに触ったんだなあ!? 僕が付き合いのある好い病院を紹介するから、念の為に一度診て貰いなさい。後は紹介状を書いておくから、出来るだけ早くそれを持って近城大学の付属病院に行ってみて! それでは今日はこれで全てお仕舞い。お疲れさま!」

「・・・・・・・・」

 それを聞いて固まってしまった美樹を見て、萩本はちょっとしくじったかも知れない、と言う顔になり、一転、相好を崩して、

「あそこはね、実は僕が出た大学なんだ。だから絶対大丈夫! 大船に乗った積もりで任せておけば好いよ。いや、それでは余計に心配かなあ? ハハハ。ともかく、余計な心配はしないで、出来るだけ早く行って下さい。それでは受け付けで待っていて」

 今度こそ、美樹は、診察室から待合室へあっさりと送り出されてしまった。

 

 翌々日、意を決した美樹が、朋美に付き添われて近城大学医学部付属病院に遣って来て、大分待たされた後、その内科診察室に通されてみると、萩本の昔ながらのローテク診察室とは違い、デスクの上には大型液晶画面を持った最新のパソコンが存在感を示して置かれてあり、担当の青年医師、増田幸彦は、液晶画面、美樹、そして時々由紀と、意識して目を配りながら、ちょっと緊張した面持ちで話し始めた。

「紹介状を読ませて頂きました。それから送られて来た資料を何人かで診せて頂きました・・・」

 そこで一旦言葉を切り、自分の言葉が確かに美樹、そして由紀に届いているようなのを確認してから、更に言葉を重ねる。

「それでね、これから検査の為に暫らく入院して貰った方が好いと思いますが、それでよろしいですか?」

「・・・・・・・・・」

 美樹、そして由紀は、何も聞き返すことが出来ず、ただうなずくしかなかった。

「分かりました。いいですね? それでは、幸い病室は直ぐにでも用意出来ますので、後は看護師さんによく話を聴いて、今日の午後、入院の用意をしてからもう一度ここに来て下さい。都合は大丈夫ですか?」

 ここに来た以上、もう覚悟を決めるしかない。

「はい。よろしくお願いします!」

 今度は由紀が、せめて自分だけでもしっかりしなければ、と言う決意を見せて、はっきりと言った。  

 

        少しずつ異変を感じ覚悟決め

        病院の門叩いたのかも