書斎にこもってばかりいると、書くことが中々浮かんで来ない。
電車に乗ると、不思議と浮かんで来るものである。
散歩するだけでも好い。書斎でじっとしているよりも格段に浮かび易くなる。
実は不思議でも何でもないことなのだ。慣れた同じ場所でじっとしていても、気が停滞しており、孤独、哀愁、不遇等に対する不安、不満を自虐的に連綿と書き綴り、自己愛に浸り切った、他人にはとても読むに堪えない駄文しか出て来なくても当然ではないか!?
それに比べ、動いていると、元々外は風通しがよく、気が停滞していないところに、自分の動きも加わるから、面白い気が、それこそ面白いほど捉えられる。
当然それは発想に反映され、表に現われて来る。これはもう自明の理である。
今も、まだ眠気と気だるさの残る朝の通勤電車に乗ってこれを書いているのであるが、ふと目を上げると向かいの席で、化粧気のない清楚なお嬢さんが静かに文庫本を読んでいる。それがたとえ少女向けのラブファンタジーであろうと、熟女向けの愛憎たっぷり昼メロ風ロマンであろうと、私の中でその女性は、夏目漱石や太宰治の作品を手に、外面の乾いた静けさからは考えられないぐらい心を震わせ、潤わせているのだ。
おっと、これを書いている携帯電話機(ガラケーのこと)の液晶画面に、突然見知らぬ人からのメールが割り込んで来た。
何、書いているの? 勝手な妄想
をしないでよ!
驚いて顔を上げると、向かいの席のお嬢さんが悪戯っぽい目をして軽くねめつけて来る。
予想に反して艶冶な目だ。気弱な私は慌てて目を逸らした。
運の好いことに、そこにはミニが似合う美脚のスレンダーなお嬢さんが立っており、物憂げな目で霞む生駒山を見上げていた。
いや、単に目を遣っていただけで、何も見ていなかったのかも知れない。
きっとそうだ。実は、彼女の心は既に生駒山の向こうにあり、これから行く大学か職場に居る、若かりし頃の私のように、静かな中にも目先のことに捉われず、少し先にある本当の自分に向かって邁進しようとする闘志を秘めた青年のことで一杯になり、それ以外のことは何も入って来ないに違いない。
おっと、またメールが割り込んで来た。
さっきから何を勝手なことばかり
書いているの! ほんと、気しょい
わぁ~。
また打っていることを悟られてしまったようだ。どうしてだろう? 静かに指を動かしているだけなのに、瞬時に相手に伝わってしまう。
「ねえねえ、父ちゃん。父ちゃんってぇ~! 何を独りでブツブツ、寝言を言うてるのん?」
遠くから妻の晶子の透き通ってよく響く声が聞こえ始め、気が付いたら私は、書斎の椅子でだらしなく座っていた。
どうやら暫らく気を失っていたようだ。
藤沢慎二は頭を軽く振り、飲み残しのぬるいコーラを口に流し込んだ。
「あれぇ!? もしかしたら俺、寝とったんかいなぁ~?」
「そうよ。それに何よ、これぇ~!? 毎日機嫌好く学校に通っているなあ、と感心していたら、こんなこと書いていたんかいなあ・・・」
晶子もこの頃ではすっかり奈良のおばちゃんである。結婚した頃は、慎二の下町仕込みの大阪弁にすっかり圧倒され、俯いて顔を赤くし、気弱な微笑みを浮かべながら楚々として従うだけであったのに、日常生活の積み重ねによって追い越し、追い抜くぐらいにまで鍛え上げられたと見える。
晶子が目にしていたのはパソコンの液晶画面で、慎二が携帯電話機にメモしておいたものをもとに仕立て上げようとしている怪しげな小話の一部であった。
慎二は今、故あって休職中である。自分ではずっと普通過ぎるぐらい普通だと思っているし、この頃では周りも、一緒に居てそんなに心配することはない、と判断したのか? 出来るだけ外出するように勧めるので、リハビリの為に午前中だけ職場である心霊科学研究所に通っている。
その往き帰りに、しきりに頭の中を騒がせるものがあるらしく、時々携帯電話機にメモして来ては、こうしてパソコンによって、小話として再現しているのだ。
故と言うのは、慎二は元々他人と話が噛み合わない方であったが、休職に入る前の数か月は特に酷くなったらしい。
それも慎二にすれば当然のことだと考えている。他人が喋ったことを慎二の中の誰かが耳にし、それが耳打ち伝言によって伝えられるのであるから、本当の慎二に伝わって来るまでに大分変化してもおかしくないだろう!?
また、本当の慎二が喋ったことでも、慎二の中の何人もの間を耳打ち伝言によって伝わり、慎二の口から出て来るのであるから、かなり変化して当然ではないか!? むしろ変化しない方が不思議である。
ではどうして以前よりそれが目立つようになったのか?
どうもそれは、ここ数年、晶子のため息が急激に増えた所為らしい。その都度慎二の中には伝言係が増え、他人との距離が遠くなったような気がするのだ。
反対に晶子は、近所、子ども達の通う学校等で以前より会話が繋がるようになって来たと言う。
おっと、パソコンの液晶画面にメールが割り込んで来た。
またけったいなこと書いている。
何がファンタジーよ。もぉーっ。
妻の晶子からであった。
でも、どうしてだろう? うちはインターネットになんか繋いでいないのに(これを書いた時から暫らくして漸くインターネットに繋ぐようになった)・・・。
そう考えて慎二は、独りにんまりしていた。
一方晶子は、要領の得ない顔をしながら、黙って書斎を出て行った。両手で口をしっかり押さえ、今にも漏れ出しそうになっていた溜め息を強く飲み込みながら・・・。
妄想が頭の中を走り出し
普通に仕事進まないかも
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
周りを観ていても、春になると頭が沸きがちであるが、実はこの話、私以外がモデルになっている。
なんてわざわざ書いているのは、この頃怪しげな話が続いているので、もしかして私が本当に変? なんて思われないかと不安になって来たのだ。
何せ飛び切りの小心者なもんで・・・。
でも、読む方にすれば何方でも好いことか!? フフッ。