sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

まだ彷徨える人・・・R2.2.20②

 春になると藤沢慎二はいまだにそわそわする。次の年度は一体どんな仕事が回って来るのか?どんな人と一緒に仕事をすることになるのか? 嬉しさが半分、不安が半分、いや不安がもっと大きいか!? ともかく、そわそわする。それが慎二にとっての春なのである。

 ただ、慎二はもうとっくに仕事をしていない。最後の職場を退いてから既に15年が経とうとしていた。だから、それが慎二にとっての春だった、と言うべきか!?

 そんな春らしくなったある日のこと。家人の晶子が大きな、まだ艶のある声で呼びかけた。晶子は若い頃に声楽を習っており、それに慎二より一回り以上下であるから、その分、実際にも慎二に比べて若さが残っていた。

「父ちゃん、テレビ、観いひんのんかぁ~?」

「えっ、何のこと!?」

 慎二はきょろきょろする。

 それには構わず、晶子は続ける。

「ご飯のときは何時もテレビ、つけるやん!?」

 そう言いながら晶子は表情を歪め、意地の強さが露わになる。

 極めて小心者の慎二はそんなとき、一言も返せず、暫らくの間固まってしまう。

《そう言われて安心しかけてテレビをつけたら、どうせまた嫌味言う気やろぉ~。おっちゃん、テレビ好きやなあ、なんて・・・》

 気の利いた会話でも出来れば好かったのかも知れない。

 しかし、この頃の晶子は話しかけても上の空のことが多くなった。話が少しも入っていないような気がした慎二が、不安から何度も確認しては、煩がられている。

《どうやら、また聴こえるようやなあ・・・》

 時々独り言を漏らし、微妙な笑い声を立てる晶子を観て、慎二は会話することを諦めがちになっていた。それがここ数年、酷くなっているような気がする。

 仕事を退くことで男性は緊張が緩む所為か、一気に老けるように言われるが、藤沢家の場合、晶子の緊張が先に解け始めたようである。それだけ晶子は小心者の慎二を支える為に緊張し続けていたのかも知れない。

 それはまあともかく、その日は幾らか会話になっている気がし、素直に乗っておくことにした。

「ほな、つけよかぁ~?」

「いや、無理に観んでもええでぇ~」

「一体どっちやねん!?」

 こんなとき慎二には晶子の心の声が聴こえなかった。

『つけては欲しないけど、つけなくても、どうせ会話なんか遠にあらへん。それやったら、テレビでもつけてる方が気まずないわぁ~』

 そんなところかも知れないが、それを認めるのは何となく嫌だった。互いに不器用なだけで、まだ会話を求める気持ちはそんなに変わらないと思っていた。いや、そう思っていたかった。

 

 夕食後のことである。書斎に戻った慎二は、おもむろに使い慣れたデスクトップパソコンを立ち上げた。

 書斎と言っても、6畳の和室に組み立ての机が2つと5段のスチールの製本棚が数本並べてあるだけである。本棚に並べてあるのは大した本でもないが、慎二が多少なりとも理系的な勉強をし、仕事に生かして来たということを窺わせていた。観る人がそう取れば、慎二としては満足であった。一般的には中高生の勉強部屋程度であったが、慎二は書斎と称していた。

 そして称してと言うのは、そして遅まきながら慎二は、仕事を完全に退く少し前からインターネットにはまり、流れに乗ってブログを書き始めていたのであるが、そこで自分の発信場所として書斎と称するのが何だか心地好かったのである。

 持って回った書き方をしたが、要するに、物書きの端くれのように気取りたかったのである。

 それはまあともかく、ブログではあることないこと何でも思い付くままに恥ずかしげもなく書き散らし、独り悦に入っていた。これからも勿論そうするつもりであった。ほんのたまにいただける、いいね! の評価が妙に心をくすぐり、生まれてからこの方、他人から褒められたり、表彰されたりすることが殆んどなかった慎二は、すっかりはまっていた。

 

        会話なく緊張解すテレビまで

        消せと迫られ漸く気付き

 

「そうかぁ~!? この緊張感が大事なんやぁ~!」

 小心者故ずっと避けて来た晶子との間の緊張感。それに耐え、感情を交わし合ってこそ見えて来ることもある。人間関係一般に言える機微である。互いに頭のねじが大分緩み、緊張感がそれなりに薄らいで来た所為か、漸くそんなことに気付き、目から鱗のつもりになっている慎二は、この緊張を解いて行く為に、むしろ緊張を楽しもうとしていた。

 それから指の弾むこと、弾むこと。慎二はそれを指先ダンスと称していた。

 

        緊張に耐えて拓ける道観えて

        指先ダンス弾む春かも

 

それは既に慎二が80になった後、初めて訪れた春のことであった。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 大分前から職場の書斎にしている控室にある机の端に放ってあったメモ帳を開いてみると、細かい字で何やら書き付けてある。 

 

 さっと目を走らせると、どうやら老後、仕事を辞めて大分経ってからのことを書いた小説らしい。

 

 大分哀愁が漂っている気もするが、その頃になってもまだ、私の分身は色々と迷い、彷徨っているようだなあ。フフッ。

 

        男とは幾つになれど甘えんぼ

        既に哀愁漂わせつつ