第3章 その4
秋の夕握る手と手が汗ばんで
フォークダンスに燃やす青春
伏せた目に焼けた太腿飛び込んで
一体何処を見れば好いやら
文化祭の終わりには恒例のキャンプファイヤーが行なわれる。
と言ってもまだま10月半ばの空は夕方になっても十分に明るく、その中で行なわれるフォークダンスは北河内高校の大多数の純情な青年男女にとって、大きな楽しみであった。
藤沢慎二とて例外ではないが、人一倍感じ易い彼にとって、ともすれば喜びが大き過ぎ、苦痛になる瞬間があった。
そして、その時は意外に早くやって来たらしい。数人後に大野恵子を認めた慎二は、既に足が縺れ始めていた。
文系コースに進んだ恵子とは3年になってからクラスが違い、教室も大分離れてしまったので、以前より顔を合わせることが少なくなった。
慎二の消極性に愛想が尽きた恵子がアプローチしなくなったと言うよりも、お互いに受験勉強で忙しくなって、自然と縁遠くなったと言うことであろう。それほど2人は恋に関しておくてであった。
しかし、会わなくなったからと言って、慎二の気持ちはいささかも収まっていなかった。会わなくなってからは結晶作用が起こり始め、むしろ純粋培養された強い思いで満たされるようになっていた。
「痛い!」
「あっ、ご免」
恵子が次に来ることで慎二の緊張は極限に達していた。それで、目の前に居る里村理恵の足を踏ん付けてしまったのである。
いざその場に立つと覚悟が決まるのか,かえって落ち着くもので、そのときの慎二も例外ではなかった。思いの外抵抗なく流れに乗って手を取り、軽く会釈してまさにダンスに入ろうとしていた。
だが、そこで恵子がはにかみながら微笑んだのがいけなかった。ただそれだけのことで慎二は恥ずかしさを覚えてしまい、目の感度が一気に増した。
そのとき伏せがちな目の前にあったのは恵子の胸!
白い半袖のトレーニングウェアーに包まれた胸は思いの外ふくよかで、慎二の目の前は太陽を直接見たように眩んでしまった。
じっと見てはいけないと思い、慎二は更に視線を落とした。
しかしそこにあったのは恵子の太腿!
まだクラブを引退せずに頑張っている恵子は、普段ソフトボールの膝上まであるハーフパンツのユニフォーム姿で走り回り、真っ黒に日焼けしている為、そのときトレーニングウェアーのショートパンツから出ていた伸びやかな太腿は真っ白い部分が15㎝ぐらいはあり、それが妙にエロチックであった。
あっ、あかん! 俺は一体何処を見てるんや!? でも、何処を見ても
落ち着かへん。嗚呼、一体何処を見たらええんや!
僅かの間のことであった。
しかし慎二にとっては無限に思える、胸苦しい時間であった。
そして、過ぎてから何時までも惜しまれる時間でもあった。
受験まで体力だけは落とさずに
余裕を持って臨みたいもの
秋の日を背中に受けて直走る
此の勢いよ更に続けと
次々と仲間を抜いて好い気持ち
自信が少し付いて来たかも
11月の初め、3年生にとっては最後の大きな行事、長居陸上競技場および長居公園を使ったマラソン大会があった。
これまでは寝屋川の堤防を利用して男子10㎞、女子5㎞で行なわれていたのが、工事の関係で足を延ばしたのである。
慎二は柔道部においてもこれまで決して速い方ではなかった。
でも、クラブを引退し、受験勉強に専念している今、余計に自分の可能性を試してみたかった。
日々、時間を何とかやり繰りしてランニング、腕立て伏せ、腹筋、スクワット等の基礎トレーニングをしながら、自分なりに体力保持に努めている。
それどころか、大枚叩いて6㎏の鉄アレイと50㎏弱のバーベルも買い、引け目を感じている筋力増強まで目指していた。同学年の皆が立ち止まっているこのときに、少しでも差を縮めておこうと目論んでいたのである。
それらの地道な努力が十分効果を表わしていること、そして受験勉強ぐらいで大きくぐら付かない自分の体力を示してみたい。
慎二はそんな思いを胸に秘めながら長居競技場に向かった。
競技は公園の中の1周3㎞のコースを男子が3周、女子が2周する。前年までに比べて男子が少し軽くなり、女子が少し重くなったのは、時代の趨勢だろう。
慎二は今までになく真剣な面持ちで、一生懸命駆け出した。
調子は悪くない!?
同学年の柔道部員を次々に抜いて行き、2周目に入る頃にはその中ではトップに立っていた。要所要所に立っている教師達が慎二の意外な頑張りに目を見張り、好意的な声を掛けた。
それを受けて慎二は、挫けそうな気持ちを立て直し、同じペースで走り続けた。2周目も快調に駆け抜け、3周目に入る頃には柔道部の後輩達も殆んど抜いていた。
後は川上と吉元だけやなあ。
2人は慎二の骨組みにバランスよく筋肉を付けたような体格で、柔道部の中では長距離走を苦手にしていなかった。
しかし、意気込みが違っていたのだろう。3周目の途中辺りで先ず吉元の背中が近くなり、先の方に川上の背中も小さく見えた。
よし、あいつらも抜いてやるぞぉ~!
慎二は一気に加速し、吉元を抜き去った。
と言っても、もうかなり疲れていたから、勿論、気持ちだけである。実際には暫らくは吉元が食らい付き、中々引き離すことが出来なかった。
漸く吉元を引き離した頃には残り1㎞を切っており、まだ川上とは少し離れている。
慎二は最後の気力を振り絞り、まさに川上の背中に触れようとするところでゴールラインを踏んだ。
悔しい! でも、自分なりには結構頑張った。
慎二は心地好い満足感に浸っていた。
教師達も口々に慎二のことを誉めそやした。
と言っても、全体として見れば男子生徒800人ほどの中、220番であったから、柔道部員の中では好い方、と言う程度で、可もなく不可もなく、と言ったところであった。
それでも慎二としては十分であった。少なくともこの時は、明日からまた受験勉強で頑張れそうな気持ちが満ちていた。