sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

台風一過(エピソード8)・・・R2年1.31①

              エピソード8

 

 小学校5年生の秋、苛めの真っただ中のある日のことであった。藤沢浩太は朝、学校に行こうと思って家から出たとき、こみ上げて来るものがあり、トイレに駆け込んだ。

 体中出てしまいそうな不安に襲われ、しばらくはトイレから出られなかった。

 ここしばらくの様子を気にしていた母親の晶子は、何も言わず、学校に休みの電話を入れた。

 それが分かって気が楽になったのか? 浩太はトイレからスッと出て、再び寝床に潜り込んだ。

 翌日、翌々日と同じことが続いた。朝、学校に行こうとすると吐き気が起こり、トイレに駆け込む。実際に吐いてしまい、しばらくは出られない。しかし、晶子が気を利かして学校に欠席の電話を入れると、すぐに気が軽くなり、寝床に潜り込む。この繰り返しである。

 3日ほど続いたとき、晶子は父親の慎二に言ってみたが、

「まあ見守るしかないなあ・・・」

 などと一見お気楽なことを言う。

 重ねて子ども社会の緊張感、浩太の立場等、縷々説明してみたが、ピンと来ていない様子であった。慎二は新しい職場に移り、自分のことで精一杯の様子であったから、晶子はそれ以上言うのを躊躇った。

 4日目になり、流石に担任も心配してやって来たが、暗に浩太の弱さを指摘し、何となく保護者同士で解決して欲しい様子である。

 何度かの面談で晶子が強く出ないことを知ってからは、学校には責任がないことを臭わせつつ、浩太、更に晶子の方に足りないものがあるかのごとく迫って来る。

 思い込みかも知れないが、少なくとも晶子にはそう受け取れ、腹が立って、浩太が行きたくないのならそれでもいいかと言う気になった。

 晶子が腹をくくってからはある種の安定期に入り、それが5年生の秋から学年が修了するまで続いた。その間、担任からは月に数回の形ばかりの訪問と、週に数回、友達を通しての届け物があるだけで、誰も変化を望んでいる風ではなかった。

 この退屈極まりのない生活の慰めとなり、じわじわ滲み出るエネルギーを与えてくれたものとしては、日にち薬の他に、頼りないにせよ家族の理解は勿論、親友の存在があった。そして、実は一番大きかったかも知れないものとして、韓国時代劇が挙げられる。それは底辺にせよ高校生となった今、時代錯誤とも思える侍コレクションで自室を飾り、弓道部に所属していることからも窺い知れる。

 浩太が韓国時代劇にはまった直接の原因は慎二にある。晶子とともに「冬のソナタ」、「ホテリアー」、「初恋」、「若者のひなた」等のヨン様シリーズを視聴して以来、慎二は晶子を置いて、「美しき日々」、「オールイン」、「秋の童話」、「グッキ」等、色んな韓国ドラマを手当たり次第、レンタルビデオ店で借りてまで観るようになった。初めこそテレビで放送されるのを待って観ていたが、もどかしいほどゆっくり、くどいほど丁寧な展開にやきもきして待ち切れなくなったのである。

 NHKで何度か放送された韓国時代劇の名作、「チャングム」はまた晶子と一緒にはまった。そのあと慎二はまた独り旅。「夏の香り」、「ホジュン」、「ソドンヨ」、「がんばれクムスン」、「空くらい地くらい」、「19の純情」とのめり込んで行った。

 ほとんど未亡人状態にさせられる晶子としても、寂しいには寂しいが、自分も時々はまるし、ヨン様には今もはまり切っている。それに慎二は外で悪さをするタイプでもない。誠実かどうかは別にして、外で遊ぶほどの勇気もお金もない。時には頼りなく、家計管理の細かさを小うるさく感じながらも、一緒に居て気が張らず、安心感があった。

 浩太は先ず「チャングム」の胸をすくような展開、ロマンス、煌びやかな世界、スリルとサスペンス等に胸躍らせた。虐げられ、何も出来ずに引きこもっている自分と比べて、惨めにさせられるより夢を見させてくれた。力を与えてくれた。

 その内に「朱蒙チュモン)」が始まり、完全にはまった。初めは愚かで弱弱しい王子が、まるでベールが剥がれるように徐々に頭角を現し、幾多の苦難を超えてスーパーマンにまで成長する展開は、まさに浩太の夢と希望を具現していた。穴倉生活から引っ張り出し、背中を強く押してくれた。

 現実の世界に這い出てからは「大祖栄(テジョヨン)」の圧倒的な世界に酔い痴れた。この時からは字幕でも観られるようになり、韓国の国名、人物名等を原語のように読むようになった。たとえば、高句麗をコグリョ、新羅をシルラのようにである。偏りはあるにせよ、歴史、国語の成績が上がり、これも底辺校と言われる学校にせよ奈良県立西王寺高校に入れる大きな力のひとつになった。