sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

無責任な奴ら⁉・・・R2.3.20①

 また週末がやって来た。

 週末になると自然と弾み出すのは庶民にとって普通のことであるが、沈み出すのもまたよくあることである。

 たとえば、子どもに手が掛かる、家族と顔を合わせているのが面倒等の理由は、望ましくはないにしても、頷ける人もまあまあ居るだろう。

 また、独りで居るのは寂しい、余暇をどう過ごせばいいのか分からない、等と言うのも意外とあることかも知れない。

 要するに、好みは様々で、理由も様々と言うことである。

 そしてこれは何も週末に限らず、何事にもあてはまることであるが、時代、地域等で好みの傾向があるのも事実で、その代表する例の決め方として色んな主義、体制等が選択されるわけである。

 勿論、広い視野、および長い目で見て普遍性があるかどうかは分からない場合もままあるが、それは元々不完全な存在である人間が何かの縁があって選択することであるから、ずっと後から、または殆んど関係ないほど離れたところから言っても仕方がない。

 突き詰めると政治、経済、宗教等に関係して来るかも知れない非常にデリケートな問題になりそうなのでこれぐらいにしておき、以下では具体例としてあまり問題なさそうで、正直言って殆んどの人が興味を持っていそうな恋愛のことについて考えてみよう。

 昔から「蓼食う虫も好き好き」と言われて来たことからも分かるように、人の好みは千差万別であり、条件、機会も同様であるから、色んなカップルが色んな理由で生まれる。余程現実と掛け離れた要望を固守しない限り、どんな人もそれなりに悩まされた末、それなりの相手が得られるわけである。だから皆に可能性があり、夢を見ることが出来る。そして、夢は現実に比べてかなり制限が緩められるので、果てしなく広げられるのである。

 想像力に自信のない人も心配は要らない。ロマン大国、韓国からやって来た熱気ムンムンのドラマ、そこまで元気はなくても、現実を離れて想像の世界を広げ易い我が国の精緻なアニメ、パワフルでスピード感に溢れ、一気呵成に夢の世界へと誘うアメリカ映画、人の心の襞まで、お洒落に、ちょっぴり皮肉を効かせ、大人っぽく迫るフランス映画等、今の時代、参考になりそうなものは幾らでも簡単に手に入れられる。

 ただ、これも地域性、人種等で好みにかなり差が現われるものであるから、選択にもそれが反映されていて当然である。

 要するに・・・

 

「要するに何が言いたいの、父ちゃん~?」

「もぉ~っ、せっかく気分が乗って来たところやったのに・・・」

 藤沢慎二、晶子の夫婦である。病欠中の慎二は今、家に居ることが多いので、暇があれば書斎にこもって思い付いたことをパソコンに打ち込んでもっともらしく纏め、小話と称している。

 それはそれでいいのであるが、その場合、打ち込んだことがそのまま目の前の24インチ液晶ディスプレーに現われ、以前使っていた14インチ液晶画面のノートパソコンよりも大分大きな画面なものだから、どうしても読まれてしまう。

「読まんといて、言うたやろぉ~! 気に入った小話が書けたら見せるから、今はまだ見んといて。恥ずかしいやろぉ・・・」

 と言っても、まあ読まれてしまう。気付いたその場で縦スクロールして隠すことは出来ても、後から幾らでも引っ張り出すことが出来る。元々パソコンには晶子の方が詳しいし、慎二は誘導に乗せられ易い方であるから、隠そうと思っても中々隠せないのである。 

 諦め顔になった慎二は、簡単に説明することにした。

「要するに、また週末が来たなあ、と言うことやねん」

「ええっ!? それが何で政治や恋愛の好みの話になるのよぉ~!? わけが分からへんわぁ~」

 晶子は呆れ顔である。

「父ちゃんの話は何時もそうやぁ~。だから一体何が好きなのか、何が言いたいのか、いっこも分からへん・・・」

「確かに・・・」

 慎二は暫らく考えた後、おもむろに口を開く。

「話が分からへんと言うのは、そもそも話はただ言葉を喋っているわけではなく、思想の一部を端的な言葉で表出しているわけで・・・」

「もうええっ!」

 晶子は怒って書斎から出て行った。

 慎二はその後も頭の中で今の話を広げ、哲学から音楽、文学、そしてアニメ、韓国ドラマへと話題が広がって行った。

 怒って出て行ったものの、晶子には分かっていた。慎二の頭の中では今、100人は大袈裟にしても数10人の別人格の人達が現われ、活発な会話を交わし合っていることを・・・。

「そりゃ決まれへんわなあ。そんな大勢に分かれたら・・・。それに、纏める人が誰もおらんねんもん。誰かが責任を取る気になって引っ張らんとどうにもなれへんわぁ~」

 独り言ちながら晶子は、どうでも好いと言うか? そんな慎二が実は羨ましかった。そして慎二の為に嬉しくもあった。

 日常生活を慎ましく営むという否定出来ない目的の為に多くの自分を黙らせて長年働いて来たとき、慎二は何時も疲れ切った表情をして帰って来るので、晶子にすれば簡単な用事ひとつ頼み辛く、好きにさせておくしかなかったが、暇があっても横になっていることが殆んどであった。

 前の部署に居るときはあんなに好きであった小話の執筆も、アイデアが少しも浮かばないらしく、夢も全く見なくなったと言う。

「そんなに影が痩せてたんやなあ。ほんまかわいそうやったわぁ~、あのときは・・・」

 既にもう過去になりつつあったが、そうは言っても、今の生活はあくまでも仮である。まだまだ見えない先のことを思うと、晶子はちょっと気が遠くなった。

「あかん、あかん! なるようにしかならへん。どうせなるようにしかならへんのやったら、目の前のことをコツコツとするしかないわなあ・・・」

 弱気を振り払い、晶子は決意するように書斎の前を離れ、階段を下りて行った。

 

        大勢で騒ぐだけでは意味も無く
        目の前のこと打ち込むのかも

 

        本当は騒ぐだけでも意味があり

        気持ちの整理付けているかも

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 10年以上前に書いた話に少し加筆訂正した。

 

 短歌は今の冷めた気持ちで付けたものである。

 

 先が見えず、大勢でわあわあやっているのはもしかして今も変わらない!?

 

 読み直してみて、そんなことをふと思った。

 

 そして誰も責任を持って纏めようとしないことも・・・。

 

 問題の大きさは違うが、本質は変わらない。

 

 中々こと納得し難いことをし決断し、纏めて行くにはそれなりの時間が掛かる。

 

 その時間がわあわあ皆で騒いでいる時間と言うわけであろう。

 

 現実の話、若い頃は長い会議が無駄に思えてならなかったが、年を重ねるにつれて、その無駄な時間の必要性が段々分かって来た。

 

 その時間が無ければ気持ちが収まらず、後の仕事が滞ることになる。

 

 そこに本質を離れた純粋ではない気持ちまで絡まると、さぞや時間が掛かることだろうなあ。フフッ。

 

 ただその本質も、人によって違って来て当然だから、話がややこしくなる。

 

        人の数増えれば訳も増えるもの