エピソード35
弓道は近代までは弓術と言われ、歴史を辿れば有史以前まで遡れる。当然、普段使いの書き言葉がない世界であるから、勿論、言葉での記録は残っているはずもなく、絵や化石、それから攻撃を受けて傷付けられた側の痕跡等から推察されるのである。
これより歴史は大分後になるが、今では言葉遊びの部類に入る短詩型の短歌、および短歌から派生した俳句、川柳は我が国独特の文化で、小学生でも詠めるほど敷居が低く、曲がりなりにも言葉を獲得したほどの者ならば誰にでも詠める。下手ならば下手なりに、上手に詠もうと思えば幾らでも上がある、真に奥深い世界である。
それでは弓道と短詩、いわば言葉以前からある世界と極微に昇華された言葉の世界、この2つに共通するのは我が国古来のものということだけなのか!?
実はまだある。しかも本質的なこととして、何れも呪術、神の世界等、霊界に繋がっていたことが挙げられる。
弓道は既に述べたように、狩り、漁りから来る幸(さち)に繋がり、時が経つに連れて呪術、宗教性を帯びて行った。その痕跡は今日でも世界各地で見られ、愛のキューピッド、三十三間堂の通し矢、神社の破魔矢および祭りの的中て等、色んな例が誰にでも思い浮かべられる。
一方、言葉においても、ただ日常の情報を伝える役割だけではなく、神、仏のような自然を超えた存在に対して畏れる気持ち、祈り等を捧げる霊性を帯びた面も発達して来た。古代、詩人は詠うことによって神に願いを捧げる、いわば巫女の役目を担っており、ただの言葉遊びをする人ではなかった。その意味合いは言霊という言葉にはっきりと残っており、また私のような年配者には、書かれている言葉より、その行間にこそより広く、深い意味が隠されているということでも、言葉の霊性は素直に認められる。若い世代においても、たとえば詩のボクシングと言われる遊びがあるように、言葉には単なる文字を超えた力があることぐらいは分かるであろう。
そして、弓術は弓道となることで洗練され、一般化されて、庶民でも入り易いスポーツとなった。遊びというと真面目に取り組んでいる人たちに怒られるかも知れないが、霊性を奥底に仕舞い込むことで学校教育に馴染むようになったことも事実である。
一方俳句や短歌は、手軽さ、守備範囲の広さ故、庶民の安上がりで見栄えのする趣味として定着した。たとえば学齢期の児童や生徒のようにまだ言葉が巧みでない時期の子どもにもそれなりの達成感を与えられ、実際、言葉が巧みになっていない分、子どもが本来持つ勘の好さから来る意外性、独特の味わい等のある作品が多く生み出されていることから、学校教育にすっかり定着した感がある。
以上見て来ただけでも、弓道と究極の言葉の俳句にはかなり共通した面があるのだ。
面白いことに、この話の主人公の藤沢浩太は体育会系の弓道を好み、父親である慎二は文化部系の短歌や俳句を好む。2人とも、認めてくれる人が少しはいるが、誰にでも認められるほどでもない、真に中途半端なレベルに居る点で共通していることもおかしい。
浩太が所属する奈良県立西王寺高校の国語では夏休みの宿題として俳句か川柳を5句作ること、という課題が出された。他に、小学校で習う程度の漢字の読み書きプリントが5枚出されたが、こちらはどうということもない。しかし、俳句の方は作ったことがないし、興味もない。
《うん、何、何? 夏休み、体育大会、秋、青春、恋等、何でもいいから、たとえば季語、切れ字等、俳句での約束を気にしなくていいから、5句、作りなさい、かぁ~。でも、卑猥なこと、人の悪口等、下品なのは駄目! う~ん、そう言われてもなあ・・・》
それでも暫らくはうんうんと唸っていたが、慣れないものは中々出て来ない。と言うか、何かあってこそ出て来るのだ。古池や蛙飛び込む水の音、柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺、そんな代表的な俳句でさえ見たことも聞いたこともない、と思っている浩太に絞り出せるわけがなかった。
苦悶の末、思い付いたのが慎二に聞くことであった。
「なあなあ父ちゃん。こんなんが夏休みの宿題として出たんやけど、何か適当なん、ないかぁ~?」
プリントを見せられた慎二は目を底光りさせながらも、大して興味がなさそうな表情を作り、重々しく、
「うん!? 一体何のことやぁ~?」
「どう、何か浮かべへん?」
母親の晶子は興味津々と言った様子で言う。
「ウフッ。父ちゃんに頼んだら、喜んで直ぐに作ってくれるけど、変なんばっかり作られるでぇ~。やめとき、やめときぃ~」
「こらっ、変なこと言うなっ!」
慎二は怒ったような顔になって2階の書斎に上がって行ったが、暫らくして戻って来たとき、手には数枚のコピー紙を持っており、ちょっと得意そうであった。
「ほれっ! 取り敢えず作っといてやったから、どれ使ってもええでぇ~。1句10円やぁ~」
「ほら、みてみぃ。直ぐに作ってくれたやろぉ~。でも、どうやろぉ。使えそうなん、あるかぁ~?」
晶子の方が嬉しそうであった。
「閉じ込めた十七文字で恋よ来い、って洒落や洒落! ウフフッ。こんなおやじ臭いの持って行ったら、父ちゃんに作ってもろたこと、一遍にばれてまうでぇ~」
「しっ! 黙って読んでみぃ~!」
慎二はちょっと傷付いた様子であった。十七文字に閉じ込めるや、恋よ来いのところの言い回しに慎二としては新しい感覚を込めた気でいたから、分かって貰えないどころか、ただのオヤジギャグのように思われたのが心外であったようだ。
浩太が晶子から受け取って、さっと目を走らせたところ、他には以下のような句が並んでいた。
腹を出し口から煙徒競争
※喫煙に慣れ、運動らしい運動もしない、やんちゃな男子高生の様子。
天高く霞を食って痩せ我慢
※肥えるほど食べるのが嬉しい年でもなくなり、ダイエット中である女子高生の様子。
赤組が黄色い声で青に勝ち
※地区の小学校には赤、黄、青と3組あった。
葉っぱ踏みいい音立てる靴の下
※は、い、くの3文字を折り込んだ句。
長い夜貧乏人の子沢山
※江戸川柳を意識したもの。
時を経て菊の鎧で揃い踏み
※在りし日の枚方の菊人形を思い浮かべながら。
背を屈め鋭く射込む朝日かな
※秋は太陽の高度が夏に比べて低くなり、おまけに空気が澄んでいるので、余計に眩しく感じられる。
金色に生駒を照らす朝日かな
硝子越し暖かそうな秋の朝
※車窓から見える外の様子は暖かそうであるが、眩しい割に暖かくないのが秋の日差しでもある。
目の前の問題を解く人の道
※下手な考え休むに似たり、と言われるように、迷ったら、四の五の言わず、目の前のに課題に一生懸命取り組むことである。
結果では全て無に帰す人の道
※人を含め、生き物は必ず死ぬのだから、結果に拘るよりも過程を楽しみたい。
矢を放ち後は秋風よろしくね
服を着て漸くアート語り出せ
※夏によく観られるタンクトップ、キャミソール、ホットパンツ、ミニスカートでは刺激が強過ぎて、アートを語るどころではない。
青い空抜けて見返り青い海
※ロケットに乗って青い空を超えて宇宙まで飛び出し、振り返ると、そこには美しく青色に輝く地球が見える。
くっきりと化粧が映える秋の朝
※シックに装い、適度な化粧を施した女性は、秋の澄んだ空気がそう感じさせるのか、くっきりと美しい。
包まれて漸く色気秋の朝
※これも夏に多い裸のような姿より秋の装いになってこそ大人の色気が出ることを詠んでいる。
空高く懐寒し秋の朝
※肥えるほど食べたいが、長い不況の所為か、懐が寂しく、寒さが余計に身に染みる。
細い道恐ろしくても歩きたい
細い道震えながらも歩きたい
※細い道とは恋を指しており、ドイツの詩人、ウムラウトの詩を踏まえている。
青春に完熟娘多過ぎる
※けばかったり、遊び過ぎていたり、この頃の娘は蕾どころか、熟し過ぎている。
冬ソナに在りし日想う初供養
※伴侶を亡くした女性のあっけらかんとした強さ、それでも供養を忘れない律義さ。
秋近く迷惑アート氾濫し
※下手でも自分で楽しんでいる分には好いが、それを外に出し、評価を求めては傍迷惑だ。
身体より写真修正まだましか
※韓流スターは平気で整形するそうだが、写真も同様であるらしい。当然か!? でも、今のCG技術を使えば、みんなつるりんとしてスマートな美脚になるのなら、それに浮かされている我が国の男性陣は・・・、恥ずかし~い。フフッ。
競り合って突き抜けた先笑顔かな
※体育大会での徒競走の様子を、今度は健全に詠んでみた。
秋が来て心も化粧恋近し
※外見だけではなく、心にも化粧をして欲しいなあ、という願望を表している。
「・・・」
読み終えた後、浩太は暫らく言葉が出ない様子であった。
「う~ん、微妙やなあ。どれにしよかなあ?」
しっくりは来ないが、それでも自分で作ろうとまでは思わないようである。
「何も父ちゃんが作ったから言うて、気に入ったのがなかったら、別に使わんでもええねんでぇ~。なあ、父ちゃん?」
黙っていられなくなった晶子は念を押すように言う。
そう言われると慎二も弱い。冗談っぽく書いているように見えるかも知れないが、慎二にとってはどれも大真面目に詠んでいるつもりである。ただシティーボーイの習性で、少しはくすぐりを入れずにはいられない。遊びを作っておかないと逃げ場がなくなり、それでは照れてしまうだけのことである。
「まあ、別にええけどなあ。どうせ冗談みたいなもんやし・・・。でも浩太、気に入ったんがあったら、遠慮せんと使ってもええでぇ~」
それだけ言って、また2階の書斎に上がってしまった。どうやら覚悟が決まったのか、黙って選び出したらしい浩太の批評にさらされる勇気はなかったようだ。
それからも暫らく、浩太はあれやこれやと迷い、結局以下の5句を選び出して晶子に用意して貰ったメモ用紙に書き付けた。
閉じ込めた十七文字で恋よ来い
赤組が黄色い声で青に勝ち
葉っぱ踏みいい音立てる靴の下
青い空抜けて見返り青い海
競り合って突き抜けた先笑顔かな
いやらしくもなく、季節感があったり、気宇壮大であったり、友情、恋等、青春が盛り込んであったり、ともかく何となく無難に思われたようである。
それで安心したのか? 浩太もメモ用紙を持って2階の自室に上がり、暫らくしたら寝息を立て出した。
それから更に暫らくして、慎二がそっと浩太の部屋を覘き、机の上に無造作に放り出してあったメモ用紙を取り上げてにんまりとほくそ笑んだ。
自分の領分は作ってやったことで終わっているから、あとは好きなようにさせてやろうとばかりに、鷹揚に放り出したように見えて、しっかり気にしていたようである。その辺り、真に小心者の慎二らしかった。
慎二が出て行った後、浩太がそっと目を開け、満足そうに微笑んでいた。16年も一緒に親子をやっていれば流石に行動パターンは読めるし、反抗期を終えた息子にとって、父親の微笑ましい行動のひとつのように受け取れたようだ。
父親と息子の間微妙かな
母親そっと手を貸すのかも