第1章 恋敗れて希望あり?
その4
病院を出た藤沢慎二は、曙養護学校には戻らず、そのまま帰宅することにした。まだ3時なので、寄り道しなければ学校へは4時頃に戻れるのであるが、戻ったところで、もう生徒たちは通学バスで帰ってしまっているから、慎二としては何もすることが無い。行き当たりばったりでその日、その日を遣り過ごしている慎二としては、早く戻って明日の授業で使う教材作りをしよう、などと言う殊勝なことは決して思い付かないのである。そんなわけで、出張の恩恵として、時々そのまま早めに帰宅することにしていた。
夕食後、慎二は書斎にしている本、CD、オーディオ機器、パソコン等を詰め込んだ納戸のような雑然とした小部屋に入り、愛用のデスクトップパソコンの前に座って何時もの日記を開いた。この頃、字数だけ合わせた下手な短歌を添えながら、その日あったこと、考えたことなどを日記に付ける習慣が出来たのである。
幾らぼぉ~っと仕事をしていても、いや、それだからこそか? 同僚との行き違いはあるし、日々ことある毎に嫌なことの一つや二つ言われてしまうので、ギュッと縮み上がった神経を優しく解すのに好いし、それにこの日のように、プラスの意味にせよ乱れた気持ちを落ち着ける為にも大きな効果があるような気がしている。
それからこの頃、暇な時に、正岡子規、種田山頭火等の生き様をありありと感じさせる日記を読み、感心すると共に、自分も付けたくなって来たのである。そしてどうせ付けるなら、短歌でも添え、ちょっと洒落てみたかった。慎二は、外見にあまり自信が無い分、内面が意外に豊かであることを、誰に見せるわけではなくても、誰かにアピールしてみたかったのである。
9月10日
今日、広瀬学の訪問教育に行って来た。学は何時になく元気で、久し振りにまともに勉強が出来て、本当に好かった。
今日勉強したのは、算数の文章題と国語の文章読解問題である。どちらも読み取りに多少難があるものの、一緒に考えたら何とか出来ていた。学の場合、自閉と言っても、かなり此方の言うことを分かっており、遣り取りも出来ているので、このまま普通に遣り取りしながら勉強して行けば好いのだろう。
お母さんの話によると、昨日、薬によって身体から余分な水分を排出したらしい。この頃は時々そんなことを聞くから、決して安心はしていられないが、ともかく、今日は学の元気そうな顔を見ることが出来て、好かった、好かった。
教え子の元気な顔に安心し
遊び心が蠢くのかも
それから、病院であの人と暫らく話をすることが出来た。あの人とは、学のガールフレンド、松村美樹の訪問担当教師、森田晶子さんのことである。
嗚呼、晶子さんは、なんて清楚で美しい人なんだろう? まるで冬のソナタのヒロイン、チョン・ユジンみたいではないか!?
そうすると私はヒーロー、カン・ジュンサンか? フフッ。
なんて、そんなええもんか!? 晶子さんはともかく、自分にはそんな自信が持てないなあ。精々キム・サンヒョクがいいところか?
これでも言い過ぎだなあ。フフフッ。嗚呼、惨め。
病院が我にとっては花園か
蜜に誘われ宙を舞うかも
何でも彼女は音楽の先生らしい。出来れば独りだけで、彼女の天使のような歌声を思い切り聴いてみたいものである。そして、静かな眠りに誘われたいものである。
出来るなら天使の声に包まれて
花のベッドに寝てみたいかも
それにしても、朋美は余計なことばかり言うのだから困る。応援してくれるのは嬉しいが、それならばもう少し私の、人には見え難いけども、実は凄い、と言うところを紹介して欲しいものである。
ところで、私の人には分からないけど実は凄いところって、一体何処だろう? そんなところは果たしてあるのだろうか!? 嗚呼、自分でも簡単には見付からないよぅ。淋し~い。
我にとり光るところは何処だろう
見付からなくて淋しいのかも
自虐的に日記を付け終えた慎二は、満足そうな顔をし、おもむろに日記を閉じた後、部屋の灯を消した。