sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

トンネルを抜けて(16)・・・R2.8.24②

              第6章

 

              その2

 

 藤沢慎二は、山鉾高校の先輩、仲人を頼んだ黒田清吾の家で何を話したか、何を聞かれたか、殆んど覚えていない。電車の中で婚約者の安永真衣子に責められたことが頭を占め、ただ約束の時間を何とか遣り過ごしただけであった。

「色々あって疲れたし、今日はもうあなたと話す気分ではないから、近鉄電車に乗って西大寺回りで帰るわぁ~」

 と愛想を尽かしたように言う真衣子と丹波橋で別れ、京阪電車淀屋橋行き急行に乗り込んだ慎二は、漸くひと息吐き、やがて深い眠りに落ちた。

 

 その日の夜のこと、遠くの方で電話の呼び出し音が、

 

  トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルル、・・・・

 

 慎二はヨロヨロしながら電話機のそばに駆け寄り、

「は、はい。もしもし・・・」

「あっ、もう寝ていらしたんですか!? 私です。すみません。でも、大事な話があるので、今、よろしいですか?」

《真衣子からや。えらい決然とした様子やなあ・・・》

 慌てて近くの時計を見ると、

《ええと、6時半かぁ~。帰ってから1時間ほどしてベッドに入りそれから一時間ほど寝ただけやから、丹波橋で別れてから3時間あまりその間に彼女は一体どんな大事なことを考えたんやろう?》

 慎二はそんな暢気な計算をしながら、

「いいけど、ちょっと待って下さい・・・」

 そう言って慎二は冷蔵庫を開け、帰りに買って来た缶コーラーを取り出し、プルトップを引き上げる。そしてひと口含んでから、

「ごめん、ごめん。ちょっと目が覚めなかったもんやから・・・」

「あんなにやめて、と言ったのに、未だコーラー、飲んでいたんですねえ・・・」

「よく分かりますねえ、今、コーラー飲んだの!? そやけど、真衣子さん、そんなこと言いましたぁ?」

 意外なことを言われ、慎二は戸惑ってしまう。

「何度も言いましたよ。体に悪いから、これからは100%のジュース(※)かお茶にしてね、って言ったら、笑いながら肯いてました。あなたは何時もそうでした。都合の悪いことは何時もそうやって誤魔化すんだわ・・・」

「・・・。そう言うたら、やんわり言うてたかも知れへんけど、そんなん本気で言うてるなんて思わへんかったから・・・。それに、あれは結婚してからのことやなかったんですかぁ~?」

「何を言うてはるんですかぁ~!? 結婚したら直ぐに妊娠する場合もあるのよ! その時にどちらかの体の中に悪い添加物があったら、赤ちゃんに影響するかも知れないでしょう! それを考えたら、結婚すると決めた時から意識して生活を正すべきじゃないですかぁ~!?」

「・・・・・・」

「それを考えても、あなたには結婚への誠意がなかった、と言えると思うの。だからね・・・、もういいでしょ!?」

「えっ、それは、どう言うこと!?」

「だから、そう言うことよ・・・」

「そやから、それは一体どう言うこと?」

 真衣子が何を言いたいのかもう殆んど分かっていたが、失愛恐怖の極めて強い慎二は、生まれて初めてプロポーズした相手に今まさに別れを告げられようとしていることを、直ぐには受け入れることが出来なかった。

 このまま待っていても、最後まで自分の口からは決して言い出そうとしないであろう小心者の慎二に、とうとう真衣子は焦れて、

「別れましょ!? 私たち、もう無理だと思うの!」

「・・・・・」

「春頃からまた大分遣り取りし、話を進めて来たけど、あなたには結婚への誠意が全く感じられなかったし、第一、私のことを本当に愛しているかどうか疑問だったわ・・・」

「そ、そんなこと・・・。僕なりにはやった積もりやけどなあ・・・」

「でも、私の方を少しでも向いていてくれた!? 愛してる、なんて一度も言ってくれなかったじゃないの!」

「・・・・・・」

《確かに・・・、愛してなかったんやから、言いようがなかったんや・・・。これが紀子やったらなあ・・・》

「ほら、何も言えないでしょ!? 昼間の話にしても、きっとあなたは、私とよりもその奥さんと電車に乗っている方が楽しかったんだわ・・・。でも、もういいの。事実だから仕方がない。ねっ、お互いに無理をするのはもうこの辺で止めましょう!?」

「・・・。分かった・・・。そうしたら、これからはどうしたらいいんや?」

「やっぱり・・・。あなたも、いや、あなたこそこうなることを望んでいたのね・・・」

 慎二にすれば何が何だか分からなかった。

《別れたいと言うから、何とか受け入れたのに、今度はそれを責められる。一体俺はどうすればいいんやぁ~!?》

 その実、心のもっと奥の方では確り分かっていた。本当に好きな相手なら、ここで慎二の方からなりふり構わず縋り付くだろうし、真衣子相手にそんな気はサラサラないことを。

「今後のことは簡単でしょ!? それぞれ世話になっている方や業者に電話か手紙で断りを入れておけばいいだけよ。少しぐらいお金を取られるかも知れないけど、それは折半と言うことで・・・。それではまた電話します」

 

 プツン。プゥー、プゥー、プゥー、プゥー。

 

「・・・・・・」

 何か言い返そうとした瞬間に切られてしまった。

 仕方なく慎二も受話器を置き、ベッドに倒れこむ。

《一体どう言うことや!? 俺はこれからどうなるんやろう? どうしたらいいか分からへん・・・》

 頭に浮かべている戸惑い、嘆きとは違い、慎二の表情は妙に明るくなっていた。

 元々面倒なことが大嫌いな慎二は、ただこれからしなければならない事務的な手続きのことに思い悩んでいただけで、もう一度真衣子を説得してみようなどとは夢にも思わなかった。それに、気の重いデートをこれからしなくていいのかと思うと、どれだけ清々するか分からなかったのである。

 

        愛の無い結婚話断られ

        自然と気持ち軽くなるかも

 

※ 我が国でジュースと言われているのはかなり広く、たとえばソフトドリンク全体を指していたそうである。果汁が全く入っていない場合もあり、少しでも入っておればまさにジュースで、全く違和感がなかった。だから上記のような100%のジュースと言うような表現がされる。正式にジュースと言えるのは100%果汁だけと決められたのは1970年前後で、この話の舞台になっている1990年代には既にジュースと言えば100%果汁に決まっていたが、それでも一般人の意識の中では中々徹底されていなかったようである。