その40
令和2年6月16日、火曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、タイムカードにスリットした後、そばに置いてあるアルコール消毒液を掌に溢れんばかりにたっぷりと取り、手指を丸めたり、伸ばしたり、擦り合わせたり、爪の中まで染み込ませようとトントンしたりしながら念入りに消毒する。
この消毒液は大分前から置いてあり、来客も含めてそこを通る人の皆が日に数回ずつは使う所為か? この頃は何だかやけに減りが早いように思われる。幾ら呑気で不精者の慎二でも一旦使い始めると、そうしないことが結構大きな不安になって来るのであった。慎二はそれぐらい小心者で、同調圧力に弱いタイプでもあった。だからついでに洗面所に寄って、何回かうがいもしておく。
そんな一定の安心感が得られる程の儀式的なことまで済ませて執務室に入って来たら、既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを観てはぶつぶつ言いながらしきりにメモを取っていた。これもまた安心感が得られる見慣れた光景であった。
「おはよ~う」
「おはようございま~す」
習慣的に朝の挨拶を交わした後、我が国では多くの場所で新型コロナウイルス感染症が大体収まっていること、全国的に緊急事態宣言に続いて休業要請も解除されている所為で気の緩みの影響が出始めたのか? 福岡県、東京都、神奈川県、北海道等と、広範囲に亙ってまだ感染者が中々0にならず、東京の夜の町の例のように時には結構増えたりしているところもあること、大阪でも難波、天王寺、京橋、梅田等の繁華街で人波が確実に増えており、心配されること、通勤電車や駅に学生が見られるようになり、程々に混んでいるときも増えていること、ファンドさんの一番の関心事である株価に相変わらず大きな変動が起こっていること等、ひと通り世間話をし、慎二は自前の中古ノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマホまで用意しておく。
他人に見て貰うことを前提にすると、何処まで書いても好いのか何か迷うところでもあったのか? その後は暫らく考え、それからおもむろにメインに使っているスマホを取り出して、家を出る前に簡単にメモしておいたものを見直しながら起こして行く。
ファンドさんの関心は既に投資関係の情報に移っており、またスマホを見詰めてぶつぶつ独り言ちながら、熱心にメモを取り始めた。
朝のひと時雑詠
今日は今週2日目の出勤日である。
昨日は久し振りに殆んど隙間なく働いた所為か、ちょっと疲れが残っている。
その分、朝方まで起きることはなかったから、週に5日、フルで働いていた時のような感じである。
今日もまた出張とかも入り、忙しそうであるが、少しペースを落としながら動いた方が好さそうに思える。
まあ今日の仕事は他人の手伝いが主であるから、如何に自分を抑えるかと言うことも大事になって来る。
経験からついついもの申したくなりがちであるが、それが好いとは限らない。
それに、年を食うとしつこくなる。
黙って動き、軽く伝えておく。
それぐらいの気持ちで好い。
昔から、アドバイスは頼まれなければしない方が好い、と言われるが、まさにそんな感じだなあ。フフッ。
経験がついアドバイスくどくして
経験がついつい口を開かせて
経験がつい口数を多くして
それはまあともかく、昨日は帰ってからブログを更新したり、書き物を楽しんだりしていたので、韓国ドラマを視られなかった。
寝る前に本を読み始めたが、疲れていた所為で意識が飛び、中々進まない。
今日はヤフーの無料動画、「GAYO!」で気になっている韓国ドラマが更新されているので、少しは楽しみたいところである。
それに書き物も楽しみたいと言えば、欲張り過ぎか!?
忙しく働いている日は多少の我慢も必要であろう。
仕事に関しても、今も色々なアイデアが浮かんで来ては、直ぐに忘れている。
その内の記憶に留められるぐらいで好いのかも知れない。
何事も無理は禁物だなあ。フフッ。
忘れ去る程度のことは其れで好し
残ること其れを温め具体化し
そう言えば父親の世代のことを少しでも記憶に残っている内に書いておこうかと思っているが、中々進まない。
今一イメージが湧いて来ないのである。
もう少し色々なことに触れながら、イメージが膨らむのを待った方が好いのかも知れない。
そんな風に公私共に少し湧いて来ては動き、止まる日々が続いている。
今は雌伏の時なんだろうなあ。フフッ。
それはそうと、今日はまたスーツを着て行く必要がありそうだ。
昨日と同様に暑くなると言われているから、サウナにでも入る気分になって来た。
その辺りまで書いて、自分なりには今日も何とか上手く書けたと思い、慎二がしみじみしていたら、
「おはようございま~す」
「おはようございま~す」
「おはよ~う」
井口清隆、すなわちメルカリさんが執務室に入って来た。
メルカリさんも今日は珍しくスーツを着ていた。
慎二は近所のお役所に訪問する用事が入っていたが、メルカリさんの場合は近所の学校で行われる儀式に招待されているようであった。何方もメインの仕事ではないが、周りに一見怪しげなこの研究所の存在意義を認めて貰う為にも、普段の地道なお付き合いは意外に大事である。
それはまあともかく、慎二はちょっと迷い、メルカリさんの方に「神の手」の液晶画面を向け、見せながら問いかける。
「どう、これぇ? 今日もまあまあ上手く書けたと思うんやけどなあ・・・」
それだけのことで小心者の慎二は、緊張が高まって耳をひくひくさせている。
「ブログさん、相変わらず毎朝、よう精が出ますねえ。どれどれ・・・」
気の好いメルカリさんはそう言って半分呆れ、半分感心しながら、さっと目を走らせて、
「確かに、仕事が本格的に再開されてから、疲れが溜まりますねえ!? 忙しくなって趣味をゆっくり楽しんでいる時間も無い・・・」
ちょっと不満そうな目をしながら、しみじみ言う。
聴いていると慎二はおかしくなって来て、
「と言いながらもメルカリさん、今日も色々持ってるやん! ダイソンの扇風機らしきものに、それは一体何!?」
「あっ、これですかぁ~!? 三味線のバチですわぁ~」
そう言いながらメルカリさんは目を輝かせ、得意そうな顔をする。
「それはまあ分かるけど、何でそんなもん持ってるん?」
「まあこんなんあったって別に宜しいやん! 僕、何となく古いもんに惹かれるんですわぁ~」
「と言いながら、また何ぼか口銭付けてメルカリで売るんやろぉ~?」
「そりゃそうですけど、それが僕の趣味、楽しみですわぁ~。ブログさんも疲れた、忙しいとか言いながら韓国ドラマ三昧したり、ブログを書いたり、創作したり、色々楽しんではりますやん!?」
「そうやなあ。これがあるから働いてられるんやろなぁ~」
そう言いながら慎二の目はちょっと遠くなる。
「そうですね・・・」
それ以上しみじみしていたら仕事をする気が無くなりそうな気がし始めたのか、メルカリさんはおもむろに立ち上がり、コーヒーを淹れに行った。
そこに事務を担当している若い依田絵美里はお茶を持って来て、慎二の机の上にそっと置き、「神の手」の液晶画面にさっと目を走らせて、
「そうですね。忙しくてもそれぞれこんな風に楽しみがあるから、また仕事を続けられるんでしょうね・・・」
そう言いながら絵美里の目もちょっと遠くなり、気を取り直して離れて行く。
「・・・・・」
本当は絵美里の趣味が何なのかと訊いてみたい気もあったが、慎二はもう何も言わず、ちょっと目を交わしたことで気持ちを分かり合えたように思え、また働く気を貰えたような気になっていた。
其々に趣味を楽しみ気が晴れて
仕事する気が出て来たのかも