sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(12)・・・R2.5.16①

            エピソードその9

 

 昭和61年当時、地域トップの進学校であった北河内高校において3年生は夏休みが1週間ほど削られ、長い2学期が8月下旬から始まる。

 ただ、1月からは授業が行われずに登校しなくなるから、3年生にとっては実質2学期制のようなものであった。

 それに夏休みと言っても受験生にとっては勝負の夏と言われるほどの書き入れ時であるから、のんびりはしていられなかった。

 要するに3年生にとってこの1年は切れ目なく繋がっているとも言えた。

 また下級生においては8月中旬から盆を挟んで8月下旬までの10日ほどの間はクラブ活動が無く、生徒はのんびりと過ごしている。

 それから教員もこの10日ほどの間は割とのんびりと過ごせる時期であった。

 これが就職する生徒が多い学校の場合は進路担当を中心に大忙しの時期ではあるが、幸いと言って好いかどうかはともかく、北河内高校においては就職希望者が例年ひと桁であったし、伝統校故の利点か、探さなくても向こうから求人が余るほどやって来たから、楽なものであった。

 

 そんな比較的のんびりした8月中旬の或る日のこと、青木健吾はベテランの国語教師、内藤勝馬に誘われてカラオケに行くことになった。内藤が車を出し、健吾の他に袴田久美子、卒業生で健吾と同じく常勤講師をしている家庭科の山本淳子、ベテランの体育教師、酒井雪乃が同乗していた。

 内藤の車はボルボで、まあまあ大きいはずであるが、後部座席に女性3人が乗っていることで、女性が大の苦手である健吾は精神的にかなりの窮屈さを感じていた。それに本革のシートから割と強めの生な臭いが漂い、それも微妙な気を誘っていた。

 そんな健吾の様子に多少の落ち着きが感じられ始めたとき、頃合いと見たか? 内藤が後部座席にも届くように意識して大きめの声で話し掛ける。

「青木君、君、確か26歳って言ってたなあ?」

 何を言い出すのか想像の付いた健吾はまたちょっと緊張しながら、

「いえ、7月にもう27歳になりましたぁ」

「そう。それで今、彼女、いるのぉ?」

「いえ・・・」

「それだったらどう? この子たち・・・」

 空かさず雪乃が満面の笑みを浮かべて乗ってみせる。

「えっ、あたしのこと?」

「フフフッ。冗談はさておき・・・」

 と内藤も慣れたものであった。

 世慣れない健吾はこういう場合どう答えて好いか分からず、まして頭の中は女子バスケットボール部の合宿を終え、益々2年生部員の中野昭江のことで一杯になっていた。

「中野はまだ若過ぎるしなあ・・・」

 そこで内藤は健吾の反応を少し観る。

 この世界にはよくあることと、そんなことは十二分に承知している。

「だから今何とかしようとしても駄目だなあ・・・。もし本気なら、これから短大に行って後4年、大学に行ったら後6年は待たなければいけないが、青木君、君そんなに待てるのかなぁ?」

 内藤の時々向ける悪戯っぽい目に健吾はたじたじになっていた。

 何時の間にか後部座席からは何も聞こえなくなっていたが、耳をそばだてている緊張感だけが伝わって来る。

 健吾は益々固くなっている。

 自分の言葉の効果に満足したか? 内藤は更に踏み込む。

「中野のことは一先ず置いといて、それでだ青木君、後ろの御婦人方の内から選ぶとしたら、正直に言って誰を抱いてみたい!?」

 おいおい、それは露骨過ぎやろ!? と言う感じであった。

 それでも雪乃と久美子は内藤の極端過ぎる表現にも慣れたもので、ただ笑っているだけであったが、淳子は流石に恥ずかしがって、

「内藤先生、急に一体何を仰るんですかぁ~!? そんなのセクハラですよぉ~!」

 健吾はそんな淳子を好ましく思い始めていた。

 淳子は新卒でまだ誕生日が来ていなかったから22歳で、健吾よりも4つ下であった。中学校のクラブ活動でバレーボールを始め、身長は169cmと昭江より少し高いぐらいであった。

《昭江より僅かに痩せて見えるから、体重は同じようなものか? 家庭科の先生をしているだけあって、しっかりはしてそうやなあ。気はちょっと強そうに見えるけど、結婚相手としてはそれぐらいが好いのかも知れないなあ・・・》

 健吾は母親の由美子のことを思い浮かべながら、淳子のことが憎からず思えて来たようである。

 それを鋭く感じた内藤はにやりとして、

「いや、マジな話、それは大事なことだよぉ! 抱きたい、と強く思った人と結婚してこそ幸せになれる」

「そうよ。どうせならそう思う人と結婚しなくっちゃ・・・」

 雪乃がちょっと遠い目をして付け加える。

 淳子はもうすっかり黙ってベテラン教師たちの話を神妙に聴いていた。

 内藤特有のこんな遣り取りにすっかり慣らされて来た久美子は、初めからずっと黙って聴いていた。

「ところで、袴田さん、今、中沢君と付き合ってのぉ?」

 たまたま気付いたように内藤が訊く。

「えっ、まあ・・・」

「何でもよく知っているわねえ、このオヤジ」

 雪乃が心底感心する。

 内藤は得意気に鼻を蠢かせながら、

「そうかぁ~。やっぱり付き合ってたのかぁ~!? それで結婚は何時するのぉ?」

 ここぞと畳み掛ける。

 久美子は仕方が無いなあと言う表情をしながら、それでもどこか嬉しそうに、

「まだご両親のところに挨拶にも行っていないのにぃ・・・」

 それを聴いて雪乃が大きな年の割に澄んだ目をキラキラと輝かせ始めた。

「でも、もうそこまで行ってたのぉ!? まだと言うことは、これからご挨拶に行くことまでは決まっているのね?」

「はい!」

 もう久美子は観念したように、ただにこにこと嬉しそうに微笑んでいた。

「中沢の奴、私にはちっともそんなことを言わないんだからぁ・・・」

 可愛がっていた後輩のことをそんな風に言いながら雪乃は更に言葉を重ねる。

「そしたら袴田さん、挨拶に行ってからで好いから、またお話を聞かせてねぇ」

「はい!」

 それで雪乃は得心したようである。

 頃合いと見たか、内藤がちらっと健吾を見て確認してみる。

「どう?」

「えっ、どうって?」

「山本さんのこと、抱いてみたいと思った」

 こらこら!

「先生、もう止めて下さいよぅ!」

 淳子は溜まらなくなって来たようだ。半ば以上本気で言っていた。

 健吾は抱いてみたいかと重ねて訊かれ、昭江のことを思い出していた。女子バスケットボール部の合宿における生な光景、感情が脳裏に鮮やかに浮かび、広がっている。

 そんなわけで、ちょっと好ましく思い始めていた淳子のことはすっかり飛んで行き、この場所にいることすら忘れかけていた。

 内藤は自分の言葉の効果が無さそうに思われたのか? 妄想の世界に遊んでいそうな健吾を現実世界に引き戻そうとする。 

「おいおい。青木君、今の僕の話聴いてたのぉ!?」

「えっ? あっ、すみません!」

「これだぁ~、青木君・・・。悪気は無さそうなんだけど、まだまだ適齢期でも無さそうだね。フフッ」

 内藤は急ぐことを諦めたようである。

 淳子はホッとしたようで、何だかもの足りなさそうでもあった。もしかしたら健吾のことを普通以上に意識し始めていたのかも知れない。

 

 カラオケの方は内藤の独壇場であった。渋くて甘い声が自慢のようで、何曲も続けて響かせた。

 全体にリラックスした頃合いにマイクが回り始め、自分から握ろうとはしない健吾には最後に回って来たので、付き合いでも一緒に来た限りは断わるわけにも行かない。

「では、有楽町であいましょう、をお願いしますぅ」

 そう言って、久美子の方を見ながらもう1本のマイクを差し出す。

「袴田先生、デュエットお願いしますぅ」

 久美子も女子バスケットボール部の合宿で経験済みであるから、迷わずに受け取った。

 それを見て雪乃が囃し立てる。

「あっ、この2人、何だか怪しいなあ!? 怪しいと言えば、袴田先生、さっそく浮気は駄目よぉ~!」

「そうだなあ。青木君、ここで山本先生を誘わなくっちゃ!?」

 内藤も乗ってみせる。

 淳子は笑いながらも待っていたようであるが、自分からは言い出し難い。

 「・・・・・」

 そんな空気が読めない、と言うか、当意即妙な反応が苦手な健吾は、ただ黙って前に出ただけであった。

 

   ♪ここ~ろの、~そこ~まで、しびれるよ~な~

      とい~きが~、せつ~ない、ささやきだから~♪

 

 パチパチパチパチパチパチパチ・・・・・

 

 歌い終わると暫らく拍手が鳴り止まなかった。

「おっ、甘いなあ。甘い! これは女殺しの低音だねえ。フフッ」

「ほんと、あたしやられちゃったわぁ~」

 内藤と雪乃であった。

 そんな雪乃もマイクを握ると流石で、好く響く可愛い声で品を作りながら、松田聖子の「秘密の花園」を歌い出す。

 

   ♪月明り青い岬、ママの目をぬすんで来たわ~、
      真夜中に呼び出すなんて、あなたってどういうつもり~♪

 

 そこでわざとらしく内藤に流し目を送ると、内藤も大仰にそれを受けて投げキッスを送る。その当意即妙の反応に皆大受けであった。

 そんな遣り取りを楽しみながらも健吾は、早く家に帰って独りで昭江のことを偲びたくなっていた。

 流石にそんな心ここにあらずと言った健吾のことをはっきりと感じたようで、淳子もそろそろお開きにしたくなっていた。