sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(6)・・・R2.5.10①

            エピソードその4

 

 中野昭江の父親、俊介は高度経済成長期の大きなうねりの中で第一線に立って日々戦う企業戦士であった。過去形になっているのは昭和48年の初春のこと、昭江が3つ、兄の陽介が8つの時に残業続きの過労が祟り、それに季節の変わり目にありがちな強いストレスが加わって脳溢血で亡くなっている。子どもの頃の5つ違いの差は想像以上に大きく、陽介には一緒に遊んで貰ったり、勉強を教えて貰ったりした印象がはっきりと残っていても、昭江は俊介の顔すら覚えていなかった。

 それはまあともかく、国中が真っ直ぐに前を観て走り続けている当時のこととて、遺族への保障が十分ではなく、真っ当な生活を続けていくのに精一杯のところもあったが、幸い陽介も昭江も勉強は出来たので学費が安く済み、また無利子の奨学金を借りられたので、そこは大いに助かっている。

 陽介は北河内高校を優秀な成績で卒業し、一浪はしたものの、国立阪神大学の文学部に入っている。同じ大学の工学部を出て企業戦士となり、勝ち抜けなかった俊介のことがトラウマとして残っており、サラリーマンを避ける気持ちが強く、母親の徳子もそれで好いと思っている。今のところ陽介は、教師を含めた公務員にでもなろうかと思っているが、心のどこかでは作家か、それが無理でも編集者にでもなれればと思っている。今、2回生で、通うのに2時間近く掛るから下宿をしたいところであるが、家庭教師以外のアルバイトはしたくないので、家族のことを考えて何とか頑張って通っている。

 陽介とは違い、昭江は中野家が気楽に暮らしていた頃のことを知らない。だから、何とか食べて行くことで精一杯の今の状態を普通だと思っていた。幸い、と言っていいかどうかは分からないが、北河内地区は全体に貧困層が多く、母子家庭と言うこともあって、今住んでいる公営団地の家賃は驚くほど安かった。それに何より、昭江は容姿、体格に恵まれ、勉強や運動も出来たから、教師を含めた周りの大人の好意を最大限に受けられた。そんなことも昭江にコンプレックスを持たせなかったようである。

 小学校の頃、昭江は身長が既に徳子を抜いて160㎝に達していた。美形でかなり強い人見知りであるが故に同級生にはちょっと遠い存在と言うか、アイドル的にあまり騒がれる存在ではなかったが、大人は見逃さなかった。若い男性教師達の胸を大いに騒がせ、好意を引き出して止まず、目立って親切にされること、丁寧に教えられることに違和感を持たなくなっていた。中にはけしからぬ下心を持つ教師もいたかも知れないが、教師の大部分は生真面目で明治の御代から連綿と続いて来た書生気質を残しているから、しっかり守られてもいた。

 中学校に上がってからも同様であった。身長が更に伸びて卒業する頃には167㎝に達していたから、昭江は教師を含めた大人達の注目を嫌でも浴びることになり、また更に親切にされ、丁寧に教えられることが普通になっていた。それに中学校に上がってからはバスケットボールを始め、日々の練習、練習試合、公式戦、それに受験勉強と忙しく過ごしていたから、けしからぬ大人達の入り込む余地などなかった。

 そんなこんなで箱入り娘のまま北河内高校に進んだ昭江は、若い男性に親切にされ、丁寧に教えられることに何の違和感も持っていなかった。人見知りの昭江にすれば珍しく青木健吾に声を掛けられたのはそんなことが大いに関係しており、その後図書館、更に駅前のガストで勉強を看て貰うようになったのもそうであった。

 ただ、人間には成長と言うものがある。それに周りも成長し、外面的な刺激もある。つまり、中学校では男女交際が普通になり、早い者は既に大人の関係にもなっていた。それが高校では更に加速化される。今では高校時代に半分以上が初体験を済ませているとも聞くが、当時そこまでではなくとも、無視出来ない数にはなっていた。そんな中、昭江だけが何の意識も持たずにいられるわけがなかった。

 それでも、刺激が誰にとっても心地好いわけではない。強過ぎる刺激は恐れを抱かせ、避けたくなる。家族からの愛に満ちている場合、往々にしてそうなり易い。そこに気弱な若い男性達の熱い思いがバリアとなり、昭江は信じられないほど初心でいられた。そこに加わったのが更に10年の人生経験を加えながら、更に気弱さと初心さを残した健吾であったから、当然のように周りから観れば不思議なほど淡々とした勉強会を続けることが出来たようである。

 その不思議な勉強会に学年末試験の前は昭江の友達でクラブ仲間でもある橋本加奈子が加わった。2人共2学期末には成績が大分上がっていたが、1学期とは逆の差を付けられていた加奈子は是非にと入って来たのだ。

 加奈子は学年で450人中1学期末の387番から2学期末の291番へと、親に頼んで塾に通わせて貰ったお陰もあって100番近く上がってはいた。

 それに対して昭江は1学期末の412番から2学期末の107番へと、何と3倍も上がっている。それも近所の親切なお兄さんに教えて貰っただけのことで・・・。

《昭江だけずるい! これは許せない!?》

 そんな気持ちがあったかも知れないが、それよりも加奈子は昭江を守ってやらなければとも思っていた。

 誰にでも一目で分かる明るい可愛さがある加奈子も小学校時代から注目されたが、その相手が昭江の場合とは違い、思春期の男子達であった。その内の何人かとは付き合ったこともある。家庭が裕福なこともあり、加奈子は物怖じしなかったので、当然迫られることもあったが、焦ることもなかった。現実的に考えて今は勉強する時と理性が勝っていた。と言うか、その理性を崩すほど周りの少年達が成長していなかったとも言える。

 こんな2人には往々にして年上の相手が合う!? かどうかは分からないが、少なくとも昭江は、恋とは認識していないにしても、健吾に惹かれ始めている。健吾も初心さを保っているので進展しないだけのことであった。一方の加奈子は、実は陽介に惹かれていたが、陽介が子どもの頃から知っている加奈子をずっと妹の友達と認識し、それにボーイフレンドがいると昭江から度々聞いていたから、特に意識せずに接していた。要するに陽介は加奈子にとって、韓国ドラマでよく言われるオッパー、つまり近所の親切なお兄さんであった。

 何れも微妙なバランスではあったが、特に問題はない。それに誰も恋に焦ってはいなかったから、こんな時、微温湯のような関係が驚くほど長く続くことがある。今はまだそんな関係が始まったばかりであった。この先のことは誰にも分からないが、むずむずしながらも、ともかくのんびりと見守っていることにしよう。

 さて、その日の勉強会であるが、最初こそ多少の、いや大いなる違和感があったが、そこは皆若く、柔軟であるから、意外と早く慣れるものである。暫らくすると3人共静かに問題集に取り組み、時々女子高生2人が分からないところを親切な先輩の健吾に訊くと言うパターンが自然と出来ていた。