sanso114の日記

日々気になったことを気楽に書き留めています。

明けない夜はない?(7)・・・R2.5.11①

            エピソードその5

 

 平成60年4月、青木健吾は母校である北河内高校の臨時雇いの教師になった。正式には常勤講師と言うそうであるが、父親の新吉に報告した時にあっさりと、

「嗚呼、臨時雇いの教師やなあ・・・」

 と簡単に片付けられたので、自分でもその言い方が何となく気に入っている。比べると常勤講師では変に恰好を付けているような気がした。多少の自虐も入っているのかも知れないが、どうせ採用試験では1次も通らなかったのであるから、臨時雇いで十分だとも思っていた。

 日中戦争、太平洋戦争と通算で6年にも亙って戦争を体験して来た新吉は、戦争前、高等小学校出の自分に飽き足らず、ハワイへの移民を夢見て早稲田の講義録を取り寄せ、英語の勉強をしたり、近所の職業学校の夜学へ行こうとしたり、幾つかのチャレンジを試みたそうだ。戦争でそれらすべての努力が無駄になり、復員してから伝手を頼って務めた工場でも先行きが見えない気がして直ぐに辞め、結局職人で終わったから、息子の健吾には掛けるものがあったのだろう。まだまだもの足りない様子であった。

 兵庫県で生まれた母親の由美子には、子どもの頃に亡くなった母親、鈴子の印象が強く残っている。鈴子は学生の頃に県から表彰されるぐらい成績が優秀で、女子師範に進んで教師になったそうであるが、道着姿でなぎなたを持っている凛とした様子の写真が残っており、その後の経済的な事情でやはり高等小学校までしか進めなかった自分に強いコンプレックスを持っていた。そして当然のように、自分から観れば恵まれた環境にある健吾に期待するものは大きく、もどかしく、飽き足りないものを感じていた。

 健吾にすればそんなことよりも、何となく気が合い、近所の市立図書館、そしてファミレスで一緒に勉強するようになっていた女子高生、中野昭江が通う学校に取り敢えず勤められることになっただけでも十分であった。

 当時の北河内高校は学区でトップの進学校になり、自分が通っていた頃とは大分様子が変わって来たので、そこだけは健吾にちょっと緊張するものがあったが、元々高校生の頃は理科でずっとトップクラスの成績を収めており、受験関係の出版社、若草教育出版で大学受験対策用の教材を編集していた経験が更に高校理科のレベルへの自信を高めていたから、内容的な不安はまあなかった。不安があるとすれば、生徒に対する学習指導よりも保護者の期待の大きさ故の声の大きさにあった。それに人見知りが加わり、勤めることが決まってから始まるまでの1か月ほどが長かった。

 それを幾らか和らげてくれたのがクラブ活動であった。

 春休み中に転出して行く教諭、田代基樹と打ち合わせした時のことである。その時に田代から自分が引き受けていた女子バスケットボール部を出来れば引き受けて欲しいと頼まれた。直ぐに健吾は、以前に何度か昭江から女子バスケットボール部に入っていると聞いていたことを思い出し、緊張しながらも、迷わずに引き受けたのであった。

 引き受けた途端に練習試合の付き添いがあった。

《まだ皆に紹介もされてないのに・・・》

 そう思わないでもなかったが、ただ待っているだけよりは気分が晴れる。それも憧れの女子高生たちの相手であるから、余計にそんな気がした。

 付き添ってみると、想像していた以上に伸びやかで素直そうな部員たち。黄色い声。躍動する姿態。健吾はすっかり見入ってしまった。

 暫らくすると当初の邪念は消え去り、完全な素人である健吾にも、昭江がまあまあのパフォーマンスを見せながら、決してエースではないことがはっきり分かって来た。ここは出るべきところ、攻め込むべきところと思う場面で昭江は決まって引き、ボールを仲間にボールを回していた。或いは相手に奪い取られそうになってなっ外に出していた。それはもどかしいほどであったが、試合が進むに連れて、時折昭江がそれは健吾の方を見詰めていることに気付いた。

《どうやら俺の応援か、承認でも求めているらしいなあ?》

 そうなのかどうなのかは分からず、単なる思い込みかも知れなかったが、じっと見詰め返して頷いてやると、昭江はにこっとし、エンジンが掛ったように、俄かに攻め込み始めた。

「好いぞぉ~。よし、行けぇ~!」

 健吾は恥ずかしさを忘れて大きな声を出していた。それで試合会場では何の違和感も無かったようである。

 その声が聞こえたか、すっかり元気を取り戻した昭江は何人かを軽やかに交わし、鮮やかにレイアップシュートを決めていた。

 その後も全体的に体格の好い北河内高校は優勢に試合を進め、結局78対42と大きな差を付けて勝負をものにした。

 それは勿論嬉しかったのであるが、試合終了後直ぐに健吾の周りに部員が集まり、真摯な視線が集中して、

「青木先生、お願いしま~すぅ!」

 声を揃えてそう言われたが、一瞬何のことか分からず、試合直後の緊張を残した視線も汗でぴったり張り付いたタイトなユニフォーム姿も眩しくて仕方が無い。

 我に返った健吾が視線を泳がせ、おどおどしていると、部員たちはほくそ笑み始めた。

 隣にいて可哀そうになって来た昭江が肘で軽くつつき、小さな声で、

「青木先生、試合の講評をお願いします・・・」

 と助け船を出す。

 昭江も人見知りで視線恐怖症気味であったから、意識的に、大勢がいるところで健吾の正面に立たなかった。それが幸いしたようである。

 それでも健吾は何を言って好いか分からなかったが、取り敢えず口を開く。

「お疲れ様でした!」

 それを聴いた部員は反射的に、声を揃えて更に大きな声で、

「お疲れ様でした!」

 暫らく考えて健吾は、よく分からないながら取り敢えず褒めておくことにした。

「あ~あっ、まあその~、先ずは勝てて好かった。攻める気持ちが見えたから、ともかく好かった・・・」

 彼方此方からくすくす笑う声が聞こえ、健吾は力が抜けて来た。

 その後、何を言ったのか? それ以上は殆んど言わなかったのか? 帰りの電車では何も思い出せなかったが、それでも部員達は好かったようである。顧問が中年の男性教師から若い男性教師に変わったことを素直に喜んでいる様子であった。